最初は、ただの興味だった。
ぼくのいないところで、ななこがどんな風に生活しているのか。着飾ってデートする姿でも、可愛らしく喘ぐ姿でもなく、普段の彼女が見たかった。
彼女の部屋は、窓辺に固定電話があるらしく、電話を取ると窓越しに彼女の姿が見える。
寝る前だとか、朝だとか。彼女がどんな格好で生活しているのか知りたくて、ぼくは彼女の家の前から電話をかけた。
「もしもし?」
そう余所行きの声が聞こえると、話そうとしていたことも忘れて聞き惚れてしまうだけ。
ぼくは彼女を認識しているけれど、彼女はぼくを誰だかわかっていないという状況が、なんだか胸を高鳴らせるというだけだ。
それを無言電話だなんて、失礼じゃあないか。
まぁ、ぼくだとわかっていないせいなんだと、それさえも愛おしく思えるのだけれど。
郵便物だって、可愛い彼女に変な男からラブレターが届いてやしないかと心配していただけのこと。中身を抜いたりはしていない。
通販雑誌やらのカタログは、彼女が使っている化粧品を調べて、うちにも置いてやろうと思って何冊か失敬したが。
けれど、だけれど。
「露伴先生、私…怖いんです…」
そう言って幼子のようにぼくに縋る彼女を見ることができようとは!
「ぼくが守ってやるから、大丈夫。」
そう言えば、赤子が母親に見せるような心底安心した顔をして、ぼくに擦り寄ってくる。
この状況は、嬉しい誤算以外の何物でもない。
ぼくは、ななこの与り知らぬところで思い通りに彼女を喜ばせたり悲しませたりできることに、ひどく興奮を覚えた。
そうして、彼女の言う「ストーカー行為」を続けたまま今に至る。
お陰で彼女は、ぼくの家にいることが増えた。これも嬉しい誤算だ。
「ねぇせんせー、パソコン使ってもいい?」
彼女には何か趣味があるらしく、よくぼくのパソコンで遊んでいる。
そういえば何をしているのか気になって、彼女が帰った後、履歴を確認する。
「ピンクダークの少年の、ファンサイト…?」
そこはぼくの漫画のイラストだとか毎週の感想だとかが載せられた、個人サイトだった。
管理人のページと日記から、どうやらななこの作っているものらしいとわかる。
感想なんてぼくに直接言えばいいのに、原稿だって事前に読めるのに、わざわざ発売日に買って読むのかななこ。なんて可愛らしいんだ。
メールフォームから、素敵なサイトですねという趣旨の感想を送る。
きっと彼女は、喜んでくれるだろう。
*****
翌日、やけに機嫌の良い彼女に問う。
「随分と嬉しそうじゃあないか。何かあったのか?」
「…えへへ。嬉しいメールが来たんです。」
案の定、といった反応に、思わず笑みがこぼれる。
あぁもう本当に、可愛らしい。
ぼくまでにやけてしまうじゃないか。
「…意外に単純なんだな。」
それは自分に向けた言葉でもある。君が嬉しいとぼくも嬉しいなんて、相当イカレてるな、と。
そんなに喜ぶならと、更新をチェックしては感想を送る。同一人物から何通も届くのはおかしいと思って、キャラクターを何人か設定した。漫画家の僕には「キャラクターを動かす」のなんて容易なことだったし、彼女から来る返信が一人一人宛に異なるのが興味深かった。
漫画の感想の感想なんて、変な話ではあるが。
*****
そうして彼女へメッセージを送るのが日課になった頃、彼女のホームページは突然閉鎖された。
404 NOT FOUNDの文字が、無情に画面に踊る。何か嫌なことでもあったんだろうか。
日記を見る限り、特に何か変わったことはなかったようだが…。
彼女が来たら聞いてみようと思いながら、ぼくはウインドウを閉じた。
*****
「なぁななこ、ホームページ…閉鎖したのか?」
そう言うと彼女は、ひどく驚いた様子でぼくを見た。
「先生!…なっ、なんで知って…!?」
「…感想ならぼくに直接言ってくれればいいのに。」
でも、とても嬉しかったんだ、ありがとう。
髪を撫でながらそう告げれば、朱に染まる頬。あぁ、なんて可愛らしい。
「最近良くメッセージをくれる人が、何人かいたんですけど…」
歯切れ悪く呟かれる言葉たち。
送り主であるぼくが緊張しながら続きを待っているなどとは露知らず、彼女は逡巡しながら言葉を紡ぐ。
「みんな、同じ人からだったんです…。それで、なんだか怖くて…」
ストーカーの人だったらどうしよう、と不安げに俯く。まぁその通りではある。
ただ、全部ななこの大好きなぼくなんだから、問題ないだろう?なぁ。
「そんなことで閉鎖したのか?…ぼくは楽しみにしていたのに。」
「そんなこと、って…言われても、怖いし…」
「怖くない。あれは全部ぼくだ。」
ななこの顔がすっと青褪める。
あぁ、初めて見る表情だな。スケッチしたいな…なんて呑気なことを思いながら、まじまじと顔を見る。
「…え、せんせ…?」
「…君が喜ぶのが、とても可愛らしいと思ったんだ。」
そう言って髪を撫でようと伸ばした手は、思いも寄らず振り払われた。
意味が分からず見つめると、ななこは泣きそうな顔でこちらを見ていた。
「なんで…そんなこと…?」
「…だから、君が喜ぶ顔が見たかったんだって。他に理由なんてないさ。」
そうだ、君の表情はどんなだって可愛らしいけど、やっぱり笑顔が一番好きだ。
そう思ったけれど、目の前の彼女は笑顔じゃない。
「そんな表情、初めて見るな。…どんな顔でも可愛いけど、いつもみたいに笑ってくれなくちゃあ。」
「…せんせ…、」
殺人鬼に追い詰められるシーンがあったら、今の表情を使いたいくらいにひどく怯えている。どうして怯えるのか検討がつかない。
「なぁ、なんでそんな顔するんだ?」
「…せんせ、怖い…よ、」
「…怖くなんてないだろ。全部ぼくなんだから。」
「…全部…って、電話も…?」
あぁ、そうか。君はまだストーカーだと思っていたんだな。ぼくだと分かれば、怖がることなんてなくなるはず。もう怯えなくて大丈夫。ぼくはやっぱりいつもの笑顔がいいんだ。
「…全部ぼくだ。電話は、普段の君が見たかったから。郵便物はほら、洗面台に君の化粧品を揃えてやっただろ?」
「…せ、んせ…」
「…だからもう怖がることなんてない。ほらいつもみたいに笑って。」
その言葉を聞いて、ななこが見せた表情に、ぼくは首を傾げた。
ぼくなんだから、問題ないだろう?
ほら、いつもみたいに笑えよ。
なぁななこ。
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bkm