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食べ残したチョコレート

「露伴先生、次の号の話ですけど。」

淡々と、仕事をこなす姿。
ぼくが目の前で何をしていても、彼女が動じるところを見たことがない。

目の前で虫をバラバラにしていても、それを味見していても、彼女は特段のリアクションもせず「リアリティって大変なんですね。」
と零して自分の仕事を進める。
ぼくの言動に対して、「何してるんですか!?」などという無粋な言葉を、彼女が投げかけたことはない。

そんな彼女に興味を持った。

「露伴先生、これお土産です。」

「ありがとう。」

ぼくと会う時は必ず甘いものを持ってきてくれるななこは、どうやら和菓子が好きらしい。仕事でなくても、近くに来れば差し入れをしてくれる。
ぼくは紅茶派だが、ななこが持ってくる和菓子のせいで緑茶にも詳しくなった。台所には、ぼくの趣味にはそぐわない急須と湯飲みが置いてある。

その急須が、最近は戸棚にしまわれっぱなしだ。

忙しいのだろうかと考えたが、いずれうちに原稿を取りに来ることだし、と誘うようなことはしなかった。

ぼくはそれを後悔することになる。

「…あれ、ななこは?」

原稿を取りに来た編集者は、ななこではなかった。

「…彼女は異動になりまして。本当なら今日一緒に挨拶に来るはずだったんですが、今日は都合がつかなくて。また後日挨拶に来させます。」

新しい担当だという男は、そう言って原稿を受け取りに来た。

「…というわけで岸辺先生、これからよろしくお願いします。」

ベテランであろう彼は、嫌味のない笑顔で言った。

*****

それからたっぷり一ヶ月後、普段とは違った出で立ちで彼女は僕のところにやってきた。

「…露伴先生、ご挨拶が遅くなってすみません…」

「あぁ、異動になったんだって?」

「はい。私事なんですけど、先日結婚しました。それで、異動することに…今までお世話になりました。」

幸せそうに笑う彼女の左薬指。
小さく光るダイヤの嵌った、銀色のリング。

その輝きを見つけた瞬間、ぼくは弾かれたようにスタンドを出し、彼女に書き込んでいた。
こんなのはリアリティじゃあない、と思いながら。

「なぁ、ななこ。」

「どうしたんですか、先生。」

「…いや、なんでもない。」

「へんな先生。」

そうしてふわりと笑う彼女は、普段と何ら変わらない。
和菓子を置いて、原稿を受け取って。そうして帰っていくような気さえする。
今日彼女が持ってきたのは、イタリア土産のチョコレートで、ぼくの原稿は3日ほど前に入稿してしまったけれど。

*****

「なぁ、お茶くらい飲んでいくだろう?」

「…ありがとうございます。」

「なんなら、『ずっとここにいろ』よ。」

「…せんせ…?」

そう言い残して露伴先生は、台所に消える。
私はご挨拶をして、新婚旅行のお土産を置いたらすぐに帰るつもりだったのに、どうして部屋に上がって、ソファに座っているのだろう。

「驚いたな、君が結婚するなんて。」

目の前に、見慣れた湯飲みが置かれる。
先生が私にと買ってくれたもの。
もう見ることはないと思っていた、可愛らしい湯飲み。

「私も驚いてます。」

そう言って笑うと、露伴先生は少しだけ不機嫌そうに眉をひそめた。

「…結婚前に教えてくれれば良かったのに。水臭い。」

「…まぁ、色々ありまして。」

先生はいつも通りで。
私もいつも通りで。

けれど、露伴先生が淹れてくれたお茶と、今日私が持ってきた、イタリア土産のチョコレートは、なんだかとてもちぐはぐだった。

緑茶では溶かしきれないチョコレートの甘さ。何が心に引っかかっているような、不安感が拭えない。

「そいつは、どんな奴なんだ?」

「…え?」

冷たい声が聞こえて、顔を上げる。
見つめた露伴先生は、いつもと変わらぬニヒルな笑みを浮かべていた。

「君と、結婚した奴さ。…ぼくは生憎、結婚というリアルを知らないんだ。良ければ教えてくれよ。」

冷たい声は私の聞き間違いだったのか、露伴先生はいつも通り「リアリティ」を追求しているだけらしい。

「…えっと、ですねぇ…」

無意識に薬指の指輪を撫でる。
まだ慣れない感触を弄びながら、彼を想った。

いつ出会ったのか、とかどこに出掛けたか、とか。彼の人となりではなく時系列的に話を聞きたがるのが少し不思議だったけれど、露伴先生のリアリティとはそんなものなんだろうと気にもしなかった。

「…二年前、か。」

そう露伴先生が呟いたところまでは、覚えている。

*****

「あれ、先生…?」

なんだか、頭がぼうっとする。

「…疲れてるんじゃあないか、随分と眠そうだな。」

「す、スミマセン…」

手元の時計を見る。来た時からそれほど時間は経っていない。

「それで、今日はどうしたんだ?」

「…先生…の、原稿を…、?」

いや、違う。
目の前には何故かチョコレート。

「なんだ、ぼくに逢いたかったのかと思った。」

「…逢いたかった…ですよ?」

逢いたかった、と言われてなんだかしっくり来たような気がする。
差し入れは大抵私の好きな和菓子で、露伴先生はそれをいつもお茶と一緒に出してくれるんだけど、今日は海外製のチョコレート。

「ねぇ先生、取材で外国にでも行ったんですか?」

そう問えば、露伴先生はすごく嬉しそうに微笑んだ。悪魔みたいに綺麗だな、なんて思う。先生は絶対に天使じゃない。

「…あぁ、まぁ…な。」

上機嫌な先生を見て余程楽しかったんだろうなと思ったけれど、旅の感想や写真なんかが先生から出てくることはなかった。

「…先生、そんなに楽しかったなら写真とか見せてくださいよ。」

「…漫画になってからのお楽しみにしておけよ。」

「…んー…それもそうですね!先生の漫画、面白いから。」

私は、先生の漫画が好きだ。
ページを開けば、岸辺露伴が求めて止まないリアリティ。
それが一番に読める、というのは、何よりの贅沢だと、そう思っている。

「それで、今日は泊まっていけるんだろう?」

「え?…泊まる、って、先生?」

いつもと変わらない先生の筈なのに、言っている意味がわからない。
私は編集者で、先生は漫画家で。
それなのに、どうして?

そもそも私は、どうしてここに来たんだったっけ?

「先生、私…もう帰らなくちゃ…」

*****

あぁ、頭がぼうっとする。

唇の端から零れる喘ぎ声で、意識を取り戻す。
どうして私はこんなところで組み敷かれてみっともなく喘いでいるのかわからない。
こんなのおかしいよ。

「…ろ、はん、せんせ…ぇ…」

目の前にいる男の名前を呼ぶ。
どうしてこうなってしまったのか。
考えようとすればするほど、頭の中が快楽に侵されていく。

「随分と可愛い声で啼くんだな。」

先生は普段と何ら変わらないトーンでそう言うと、私に口付けを落とした。

「君は、誰が好きなんだっけ?…ななこ。」

「ろ、はんせんせ…が、好き…」

そうじゃない。誰が好きなんだったっけ。
私は、誰かと。

この薬指に光る指輪は、とても大切なものだった気がする。

「なぁ、そんな指輪外せよ。」

「…これ、っ、大切な、の…ッ先生、お願い…」

「指輪なら、いくらだって買ってやるから。」

そう言って露伴先生は、無理矢理に指輪を外そうとした。

「やだ!…せんせ、やっあ…」

指をぎゅっと握って、指輪が外されないようにする。なぜだか思い出せないけれど、多分きっと、大切なもの。

「…それは…大切なものじゃない、だろ。」

冷たい声が、心に沈んでいく。
なんだか泣きたくなって逸らした視線の先には、私の洋服だったものが無残に散らばっていた。

「…せんせ…ッ…おねが…」

「…いいから、ぼくだけ見てろよ。」

先生は、ひどく悲しそうな顔でそう言った。
私の知っている不遜で自信家な先生とは掛け離れた表情に、不安が募っていく。

「せんせっ、や、あっ、ん!」

突き上げられて、涙がぽろぽろ零れる。
悲しい、気持ちいい、怖い、やだ、先生、せんせい。

そもそも私は、どうしてこんなことに。
原稿を取りに来たのでは、なかったのか。

「…ななこ、…ななこっ…」

先生が私を呼ぶ声が、段々と切羽詰まったものになって。

「せんせっ、ろは、ンッ…あッ、や、んあっ…!」

「…っく…ななこッ…!」

先生が私の中でどくどくと脈打つのを、薄れゆく意識の中で感じた。


*****


意識を失ったななこの、握った左手をそっと解く。薬指から指輪を抜くと、無造作にゴミ箱に放り投げた。

「…忘れた、はずだろ…」

あの男に出会ったのは2年前だと言っていた。僕の担当になった後で良かったと、本当にそう思う。

「…ヘブンズドアー。」

もう随分と軽くなってしまった彼女の身体を抱いて、何度開いたかわからないページをめくる。

破いたページはもう戻らない。
スタンドを解けば、彼女ごといなくなってしまうだろう。
リアリティのある彼女はもう手に入らないのかと、破いてしまったページをそっと撫でる。

「…あいしてるんだ、ななこ。」

このままじゃあ、いつか書いてしまう。
でもそれじゃあダメなんだ。

君がぼくを、愛してると言ってくれなきゃダメなんだ。

スタンドを使ってそんなことしたって、虚しいだけだとわかっている。
けれど、いつか書いてしまうのだろう。きっと。



彼女が買ってきたチョコレートは、まだ残っている。


萌えたらぜひ拍手を!


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bkm