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帰宅。迎えは要らないと断ったが、任務で疲れてるでしょうと言う事で今日は車下校だ。ただ目立つのは嫌なので、いつも学校から少し離れたところに来てもらっている。
玄関の鍵を開けようとするが、金属に当たる音のみで開錠の音はしない。斎藤が目の前で大きいため息をついた。
やはりと言うか、玄関には黒い靴が一足。
「甚爾さん。来てるなら連絡してくださいって言いましたよね?」
返事はない。多分寝てるんだろうな。
ふわりと病院独特の消毒液の香りがする。脱衣所の扉が開きっぱで、多分そこから見える黒い服からするんだろう。お兄さんの服かな?それなら食毒液じゃなくてアルコールの匂いかもしれない。
リビングのソファにはやっぱりというか、寝ているお兄さん。家に居るのはいいけど寝るなら戸締りを…いやお兄さんなら、知らない気配がしたら多分起きるし、問題ないか。
「今日はマドレーヌだけど、眠いよね、仮眠とる?」
「マドレーヌ食べてから」
「分かった、お茶いれるから着替えておいで」
「はあい」
着替え終わり席に着くと、お茶もマドレーヌも私の分だけ。お兄さん、いつもなら帰ってきた頃には目を覚まして一緒におやつ食べる準備するのに今日は珍しくぐっすりだ。もしかしたら昨日は遅かったのかもしれない。
「この後寝るだろうし、今日はオレンジブロッサムのハーブティーだよ」
「わ、ありがとう」
ハーブティー特有のフローラルな香りがする。うん、今日も美味しい。
「それで?今日は元気ないけど、何かあったの?」
「……バレてました?」
「まぁね。長い付き合いだし、おじさんに隠し事は出来ないよ」
再度ハーブティーを一口飲む。オレンジブロッサムって不安解消だったかな。理子ちゃんの時もそうだったけど、私ってもしかしなくても表情に出やすい方なのかも…。
時系列順に昨夜の出来事を話す。夏油さんと二人で任務に行ったこと、二手に分かれたこと、非呪術師が人質に取られたこと、非術師を間接的に殺してしまったこと、夏油さんに怒られたこと、私は間違ってことをしたと思っていないこと。
「えっ、重た…想像の数倍話が重いんだけど…」
「そんなこと言われても」
えーとかうーんとか唸ってる斎藤。話を聞くと言ったのはそっちなのに、いざ聞いた後に悩まないで欲しい。私より10年も長く生きてるんだから、びっしりばっちしアドバイスして安心させろよ。
それでも話したことによって気分は楽になった。悩んでる斎藤を尻目にマドレーヌを食べる。バターの香りがして美味しい。斎藤が買ってくるお菓子は基本いいやつなので、彼が家に来るときの楽しみなのだ。
「まぁほら、人間いっぱい居るし、全員と仲良くなるのは無理だし、価値観の違いとかは諦めるしか、ね」
「斎藤はメンタルケアに向いてないよ」
「うるさいです」
斎藤の節ばった手が私の頭に置かれる。ぽんぽんと叩いたのちに、髪の毛をぐしゃぐしゃにされる。最近色んな人に撫でられてる気がする。
「ちょっと…!」
「気分が落ち込んでる時は、美味しいもん食べていっぱい寝るのが一番らしいよ。ごちゃごちゃ考えずに食べたらさっさと寝なさい」
「…はい」
髪の毛はぐしゃぐしゃだけど、斎藤の手は暖かくて、何だか涙が出そうになってしまった。
おやつを食べたなまえちゃんを部屋まで見送る。今から寝るだろうし、夕食は少し遅めで量も少なめがいいだろう。ソファで寝てる男には少ないだろうが、そこまで配慮する義理はない。
「実は起きてるんじゃない?」
「…よく分かったな」
なまえちゃんの帰宅頃には必ず起きてるこの男。普段僕が家事手伝えだの食器洗えだの言っても客室から一切出てこないこの男は、この時間のティータイムには必ず参加している。正直、保護者代わりをしている女の子の家に、知らない男が滞在しているなんて加茂家に知られたら何を言われるか。なまえちゃんがお客様として迎えているから特別に滞在を許しているものの、勘弁して欲しい。
寝るなら客室で爆睡するこの男がリビングのソファで寝ていると言うことは、多分盗み聞きしてたんだろう。
「昨夜はどちらに?」
「さぁね」
そっぽ向いて誤魔化しているけど、正直当たりはついている。なまえちゃんの任務とほぼ同時刻に出かけた男は、日が登る頃に帰ってきて一言
「今日なまえは高専に泊まるってよ」
とだけ言って寝る体制に入った。
色々問題しかない男だが、正直僕の関与しきれない所を見ててくれる事だけは助かる。
「モンペって分かります?」
「オマエもだろ」
二人の乾いた笑いが部屋を包んだ。