始末、顛末、また支度 2


 妙だな。
 そう感じたのは診察も終わりがけの頃合いだった。
 何かを忘れているような、そんな気持ちが湧き上がる中、あまりにもスムーズに事が進んでいるような気がしていた。

「うん、脳にも異常はなし。今日のところは帰ってゆっくり寝かせてください」

 医師のその言葉にホッとしたようで、蘭は弾む声で礼を述べて俺に笑いかけた。

「よかったね、コナンくん」
「う、うん……」
「んじゃあ帰るか。タクシーももうすぐ来るだろ。時間外にすみません、ありがとうございました」
「いえいえ。お大事に、これに懲りたら危ないことに飛び込んじゃ駄目だよ」
「はあい」

 蘭に手を引かれながら診察室を出ると、おっちゃんは俺達に千円札を手渡した。

「売店行ってなんか買ってこい」
「いいの? あ、お父さんの分は?」
「俺はいい。会計まで時間あっからゆっくり見てこいよ」

 ひらひらと手を振って、おっちゃんはさっさとロビーへ向かってしまった。その背を見送った蘭は、珍しい、と呟いた。

「お父さん、売店とか見るとついつい入って色々買っちゃうのに」
「そうなの?」
「うん。ガムだったり、新聞だったり、いっつもバラバラなんだけど大体何か買ってるの」

 そんなに余裕あるわけじゃないのにね、と苦笑する蘭に同じような笑みを返しながら、俺はその矛盾に引っかかりを感じていた。

(おっちゃんは常に売店へ寄ってる……なのに今日は行かないのはなんでだ?)

 おっちゃん自身が言っていたように、会計まで少し余裕があるはずだ。自分で行かないにしろ、何かしら蘭にお使いを頼んでもおかしくない。
 ――何かを隠してる?
 いや、考えすぎか? だけど、習慣的な行動を急に取りやめるなんて、何か考えがあるように感じてならない……。

 俺は適当に店内を物色しながらも、その引っかかりが頭から離れなかった。



 軽食と飲み物を買ってロビーへ戻ると、おっちゃんは会計に向かっていた。何枚かの書類にさらさらとサインをし、支払いを済ませると、会釈を一つ残してこっちへ戻ってきた。

「待たせたか?」
「ううん、今来たとこ」
「そうか。多分もう着いてるだろ、外出るぞ」

 そう言っておっちゃんは扉へと歩いて行く。
 俺は追いかけておっちゃんの隣に並び、話しかけることにした。

「ねえおじさん」
「なんだ?」
「なんでさっき売店に行かなかったの? 蘭ねえちゃん、いつも行ってるのにって不思議がってたよ?」
「気分じゃなかったんだよ」
「ほんとに?」
「ほんとに」

 返ってくるのは、はぐらかしともとれる気のない返事だけだ。それが嘘か、真か。裏側を透かしてみせようと、俺はその読めない横顔を眺める。すると、

「お前は俺がどう答えたら満足するんだ?」

 そんな一言とともに、視線が俺へ向けられる。
 いつものような気怠げな目元だが、その目はどことなく仕事中の――探偵の色を帯びている気がする。
 鋭い視線ではないのに、俺はぎくりと強張ってしまった。それに気付いたのか、俺から前へついと視線は動かされる。

「ま、ちょっとした手続きで時間がかかるだろうと思っただけだよ」
「手続き?」
「子供は知らなくていい」

 この話題は終わりだ、とでも言わんばかりに言い切られてしまった。
 未だにもやもやは解けない。なんなんだよ、と内心文句を溢していれば、不満げな態度が透けて見えたのかおっちゃんは小さく笑った。

 ロータリーに止まる一台のタクシーに声をかける。手配していたものだったらしく、おっちゃんはさっさと乗り込んだ。

「どちらまで?」
「米花町の…………」

 蘭が住所を告げると、人の良さそうな運転手は返事とともに車を動かした。

「今日は風呂は染みるだろうな」
「蒸しタオルとかで軽く汗拭くぐらいにした方がいいかもね」

 そんな風に俺を気遣う2人。
 完全にガキ扱いじゃねえか……、実際身体はガキなんだけど、どうにも釈然としない。この身体でいる限り、大人の対応はこうなんだろうな、なんて考えるだけで気が滅入る。
 思えば目が覚めた時、俺を保護しようとした警察官も小学生扱い――……ん、警察?

「あっ」
「どうしたの?」
「あの、僕、事情聴取とか受けなくていいの?」

 そうだ、事情聴取!
 今回の事件で犯人に不覚にもタコ殴りにされた被害者なのに、事情聴取を受けてねえんだ。重症ってほどじゃないが、それでも結構な怪我をさせられているから治療を優先したんだろう。だけど、このまま帰っていいものなのか?
 しかし帰ってきた言葉は、

「必要ない」

 の一言。そしておっちゃんは黙り込んだーーかと思えば、大欠伸。

「お前が適当に突っ走って当たりをつけた学校の倉庫に突っ込んだら犯人と出くわしてボコボコにされたって話を、明日の俺の聴取の時に話すだけで十分だそうだ」
「そ、それでいいの?」
「おう。ったく、ガキは楽でいいよなあ。聴取受けて、依頼人に最終の報告書書いて、かったるい仕事ばっか増えやがる」

 疲労感たっぷりに両肩をごきごきと言わせるおっちゃん。これは、本当に警察へは行かない流れのようだ。

「私はどうしたらいい?」
「段持ちが犯人に何発も入れてるからな、緊急性があったにしてももうちょっとどうにかしろってお説教(おはなし)があるそうだ」
「うう……あの状況は仕方なかったと思うんだけどなあ」
「みんな分かってるよ、んなこと。ま、お前たちに関してはそれくらいだな」

 もう一回欠伸を溢したおっちゃんは、着くまで寝ると言い残し、さっさと目を閉じた。

「おじさん、寝ちゃった?」
「久しぶりにあんな長距離全力で走ったから、疲れたんじゃない?」

 悪戯っぽくそういう蘭と、顔を見合わせて笑う。
 既に寝息が聞こえる車内で、仕事中のおっちゃんの話なんかをしながら俺達は毛利探偵事務所までの道行きを過ごした。




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