それから色々大仰な機械に入れられたりして詳しい検査をされた。詳しくは無いが免疫系の病気で、病名が……何だったかな、思い出せないや。どうやら世界でも珍しい病気らしいが、先生はこのままならばすぐに良くなると、気休めなのか本心なのか分からない言葉を言っていた。

そんなわけで、両親というか母は最初の一週間こそずっとついていてくれたのだが、仕事も休むの大変だろうし俺も言うほど調子悪くないから仕事行ってきてよと告げるとありがとうねえと若干涙ぐみながらも次の日から母は見舞いに来なくなった。そもそも一週間も休めたことが奇跡なくらいなので我侭は言えないが、話し相手が居なくなったのは少しばかり淋しい。



「暇だなあ、ねえ真田」

「……先生からの宿題や蓮二のノートがあるだろう」

「それは昼間やるからいいの。それよりさ、今日の部活どうだった?」



しかも、何を遠慮しているのか分からないが、真田と柳以外のテニス部の面々は意外にも見舞いには来なかった。騒がしいくらいが気が紛れるものだが、真田は「お前の身体に障るだろう」の一点張りで、奴は頑固なので俺が折れるしかない。そもそも今入院しているのだって病気が非常に特異な進行をしているからであって、そんなに大仰に保護されるようなことではないんだが。まあそれを真田に言ったところで「病気は病気だろう」と一喝されるのがオチなので病気については何も話さなかった。触れて欲しくないのを分かっているのか、真田も柳も直接俺には聞かない。



「テニスがしたいよ」



ベッドに立てかけられたラケットを拾い上げて、右手で蛍光灯にかざした。最後の試合、真田に宥めすかされてからの俺は自分で形容するのも妙だが確かに“神にでも成った”ような気がしたのだ。上腕は痺れるし手はラケットを取り落としそうだし足は膝をついてしまいそうだったけれど、その痛みすらも全て受け入れてもなお「テニスが楽しい」と思った。初めてのことだった。思い返せばするほどそのときの記憶は美化されていくが、どんなに美化されたとしても俺が楽しいと思ったことだけは本当だと信じたい。

だけれど真田は変に神妙な表情でそうだな、と俺の言葉を肯定するだけだった。真田と柳が代わる代わる見舞いに来て話し相手になってくれるのはとても嬉しいのだけれど、俺がその言葉を言ったときの真田の態度がまるで俺にテニスをするなとでも言うかのようなので俺は若干の苛々が募っていた。柳はそんなことなく楽しそうにそうだな、と言ってくれる。でもそれだけじゃ駄目なんだ。昔俺にテニスが楽しいかと聞いたのは真田で、暗に楽しめと言ってくれたのは真田だった。その真田が今更、折角俺が楽しんでテニスをしたというのにそれを否定するような言動を取るので、先程「最後の試合を思い出すたびに記憶が美化される」と表現したが、そうやってうっとりした後に真田のあの態度を思い出して苛立ちを覚えるのだからもういい加減にして欲しい。
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