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 偶然、聞いてしまった。別段任務も何も出ていない。しかも副長には間接的に関わるな、と言われてしまった後のことだった。おそらくあの人がそう言ったのも俺がこれ以上関わって伊東一味に暗殺されるのを防ぐためなのだろう。
 副長は見かけによらず優しい。幼い頃に俺を拾ってくれた恩は今だに返し切れていない。
 それにしても、満月が際立つ、よく晴れた夜だ。襖の近くの壁に張り付くと、その内容に聞き耳を立てる。

「武州行きの列車内で近藤を討つにしても、もし土方が何か仕掛けているかもわからない」
「……副長ならば直接乗り込んで来そうですがね」
「いいや、仮にも局長と一番隊隊長が不在。その上副長までいなかったら、それこそ僕以外の手で真選組は滅んでしまうだろう」

 伊東の私室で、伊東の傍にいて話していたのは篠原、俺の部下。見込みがあると思っていただけに、少し残念だが仕方が無い。副長の敵は俺の敵でもあるのだ。
 聞き取れない部分が多少ある。襖に影が映れば、俺がここにいることがばれてしまうがしかしせめてと少し、ほんの少しだけ襖をずらした。

「そういえば、君が言っていたことは本当だったのだね」
「え? ……あ、あのことですか」
「ああ。先日本人の口からそう言われてね。流石にデマだと思っていたのだが、もしかしたらそれで釣れるかもしれないな」
「真選組鬼の副長・土方十四郎が医者だなんて知れたら、ある意味で一大事ですからね。特に、隊士達には」
「あれだけ人を殺しておいて、本人もまさか医者だとは名乗れまいよ。……なァ」

 鼠くん?



 万事屋から帰ってきた俺はしばらくの間、それこそ死んだように眠り続けた。最近睡眠時間があることの大切さを学ぶのは気のせいではあるまい。
 ほぼ半日寝ていた俺は、軒下を慌しく走る物音で目が覚める。少々ぼんやりしている俺は一回伸びをして、走っている奴らを注意しようと襖を開け放した。
 視線を上に向けると、兎が跳ね回っているんじゃないかと思う程に美しい、満月の夜だ。一番隊の隊員が俺の部屋の前で焦ったように足踏みしているのを見て俺は顔を顰める。

「副長大変です! 山崎さんが…!」
「は? ちょ、一回落ち着け」
「落ち着いてられませんよ! さっき隊長が倒れてる山崎さんを見つけて、今、すっごい、死にそうなんですよ! 血がいっぱい出てて、今は客間で止血してるんですけど中々止まらなくて。こんな夜中じゃどんな医者だってやってないからって、なんでか分からないけど局長が副長を起こして来いって!」

 俺も彼も混乱している。粗方の話を聞くうち、不意に目が眩むような想いが俺の脳を駆けた。
 例えば、例えば。もしも倒れていた山崎を拾って介抱しなかったら、アイツは俺を恩人だと命を懸けることもかったのだろうか。俺が伊東と冷戦状態にならなければ、アイツは今無事に笑っていたのだろうか。目の前の彼も、何も知らずに酒盛りでもやっていたのだろうか。

「早く来いよ土方ァ。アンタは、山崎が誰の為に命懸けてると思ってんでィ」

 それでも、俺も土方十四郎なのだと誰かに認められたいと思うのは、間違っているのだろうか。
 医者は、命を救うために命を懸ける。反して真選組は、人を殺すために命を懸けている。彼は、それを知っても俺を凄い人だと言ったのだ。人を殺して殺して、手にその感触が馴染むほどに刀を持つ俺を。彼は、「アンタは考えすぎですよ」と笑ったのだ。
それが、どれほど心強かったことか!

「山崎の奴、気を失うまでずっと「副長は絶対に呼ばんでくださいよ」って言ってやした。アンタも随分と、アイツに慕われたもんだ」
「……ッ」

 行かなければ、と強く思う。他の誰の手でなく、俺が治癒してやりたいと思う。また、皆で笑いあいたいと思う。

「悩んでんならさっさと行ってやれや。アンタの好きにするといいさ」

 総悟を見ると、稀に見る笑顔で呆れたように笑んでいた。手をぎゅう、と握り締めると、空に上がる満月を見る。
 そして俺は、走った。

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