及川

12
月明かりと申し訳程度の照明を頼りに田舎の道を及川と二人で歩く。花巻のアパートからそう遠いわけじゃないけど、酔っ払いのわたしたちに早く歩くことなんて不可能で、ゆったり歩きながら帰ることになんも疑問も抱かなかった。

「オレさあ、」
「うん。」
「何かあったらオレんとこおいでーって言ったけど、吉川ちゃん来ないしさ。」
「うん、だって何もないんだもん。」
「そうそれ。何もなくなかったじゃん、高橋のことオレ聞いてないし〜。」
「だって、なっちゃん知ってる?」
「知らない。」
「でしょ。だったら意味ないもん。」

酔いのせいか、おどけてみせてるのかしらないけど、頬を膨らませてわかりやすく拗ねてる及川は、フンっと顔を逸らした。

「あのさあ、」
「ウン。なーに。」
「あ、聞いてくれるんだ。」
「だって吉川ちゃんから話してくれるのそんなにない。」
「そーかなあ。」
「そーなの。及川さんいっつも話題探しまくりなんです。」
「知らなかったな。」
「言ってないしね。」
「そうそれ。」
「なに、オレの真似〜?」
「さっき下手くそな真似してた人より似てるでしょー。」
「誰それマッキーのこと?」
「ちがうよセ川さん。」
「瀬川って誰。」
「セクハラ川って長いんだもん。セ川でいいよ。」
「もう誰だかわかんないんだけど。」
「話もわけなかんないんだけど。」
「うん。」
「あー、それでね?及川言わないじゃん?」
「ん?戻った?すごいね、話題戻すとか。」
「でしょ。で、それでだ。及川はほんとのことをちゃんと口にするのに時間がかかるとみた。」
「……そんなことない。」
「あるある。」
「ないない。」
「ある!」
「ない!」
「あるって〜。」
「それを言うなら吉川ちゃんだって周りを頼ろうとしないじゃん。」
「…そう?」
「そうだよ。オレのこと頼っていいって言ってんのにさ。」
「おいで〜とは言われたけど頼ってとは言われてないよ。」
「同じことだよ!」
「そんなのわかんないわ!」

まじか。頼れって言われてたのか。ってことはなんだ、頼って欲しかったってのもあるってこと?だからさっき頬膨らませて拗ねてたの?

「やっぱちゃんと言われなくちゃわかんない。」
「はっきり言葉にするのはいーけど、ウソっぽいって言われそう。」
「それでほんとのことすぐに言わないの?代わりの言葉用意するのって疲れない?」
「…そりゃー疲れるよ。でも、まあ、比較的 吉川ちゃんにはちゃんと言ってるつもり。」
「そうなの?もっと言っていいのに。」
「え?」
「もっと気ぬいてもいんじゃないのってこと。がっちり構えてる人のとこなんて無意識でも近づかないよ。」
「…あっはっは。」
「どこかおもしろい?」
「んー…。いや、オレはいろいろ不器用だなあって思って。」
「そう?気配りできて手先器用で羨ましいよ、ときどきむかつくけど。」
「なにそれ!」
「むかつくのはしょうがない。岩泉くんだって、及川のこと蹴るくらいむかついてたし。」
「あれは最早クセだよ。」
「それはとんでもないクセがついちゃったね岩泉くん。」

わたしの住むアパートが見えてきた。あれだよ。と、指さすと及川はフーン。とだけ言った。

「ねー、吉川ちゃん。」
「うん。」
「提案があるんだけど。」
「提案?」
「そうそう。」
「いいよ。聞こうじゃないの。」
「名前で呼んでもいい?」
「呼べば?」
「エッ、いいの?」
「いーよ、べつに。提案でもなんでもない。」
「紗希乃ちゃんってよんでもいいの?」
「うん。」
「まじか。」
「なんで驚く。」
「すんなり受け入れてくれるとは思わなくて。」
「べつにいいよ。呼ばれなれてるし。」
「だってマッキー苗字呼びじゃん。」
「花巻だって及川のこと苗字で呼ぶじゃん。」
「たしかに。」
「でしょ?」
「んー、じゃあ、今度こそ提案!っていうかお願い!」
「聞いてあげましょう。」
「オレも名前で呼んでほしーなって。」
「及川を?」
「そう。いや?」
「やじゃないけど、違和感ある。」
「まあね。そりゃそーだろうけど。」
「なんて呼んだらいいの。」
「呼んでくれるの?!」
「うん、まあ、いいよ。」
「フツーに徹でもいいし、徹くんとかでもいい!」
「急にがっつくなあ。そうだね、他の呼び方ないしね。徹さんとかだとなんか年上みたいでむかつくし。」
「ね、ちょっとの時間だけで岩ちゃんに毒され過ぎじゃないかな?」
「そんなことないよ、徹くん。」
「!!」
「なんでそんなに嬉しそうなの?」
「名前で呼ばれたら嬉しいじゃん。」
「だったら花巻たちにも呼んでもらったら?」
「それはいい。」
「なんで。」

初めにぷっくり膨らんでいた頬はどこへやら。にこにこ笑う及川は本当に嬉しそうだった。アパートの階段の前につくと、「ちゃんとベッドで寝るんだよ」とまるであやすように言われる。そんなに酔っぱらってないし、子どもじゃないって。

「気を付けてね。送ってくれてありがと。」
「いーえっ。それじゃあ、おやすみ紗希乃ちゃん。」
「おやすみ〜」

暗いとこで転ばないといいけど。そんなことを思いながら、アパートの階段に座って、ふらふら歩く及川の背中を見送った。はやいとこ、寝ちゃおう。ベッドで寝なかったら、後で及川にねちねち言われそうだしね。酒臭い体で伸びをして、ゆっくり階段を上った。それにしても、このふわふわした感覚が抜けたら及川のこと名前でなんか呼べるのかなあ。なにか違和感というかむず痒さで呼べない気がする。及川が忘れてくれていることを祈ろう。




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