徒野に咲く
  
むかしのはなしI

人のいない食堂で、誰かがつけっぱなしにしていたらしいテレビの音声が響き渡っていた。しょうがないな、消さないでいたら怒られるから私が代わりに――……

『攫われた爆豪くんについても同じことが言えますか?』

え?

『反面、決勝で見せた粗暴さや、表彰式に至るまでの態度など精神面の不安定さも散見されています』

画面の向こう側の大人たちは一体誰の話をしているんだろう。記者がつらつらと並べ立てている事は、全部全部先輩のことではあるけれど。……攫われた。爆豪先輩が、攫われた?昨日返してもらったスマホを慌ててポケットから取り出した。爆豪先輩とのメッセージのやりとりは返信がないまま。……既読もついていなかった。

『悪の道に染まってしまったら?』

意地悪な記者の声がやけに大きく耳につく。悪の道?あの人が敵になるって言うの?そんなわけない。敵顔だけど、行動も誤解されやすいけど、ちがう!ちがうよ!そんな人じゃない!私の手から落ちたリモコンの床にぶつかる音が響いた。様子を見に来た施設の職員さんがテレビと私を見比べて、慌ててテレビを消そうとする。彼女がリモコンを手にする前に、リモコンを覆うようにドーム状の壁が現れた。

「紗希乃ちゃん、部屋に戻ろう」
「やだ!だって、あの人勝手な事言ってるの!先輩はそんな人じゃない!」
「そうね、そうよね。紗希乃ちゃんが仲良くしてる先輩はそうじゃないよね」
「わかってない!何も知らないのに、なのに、」

部屋に連れて行こうと肩に伸ばされた手をはたいてしまった時だった。画面の向こう側で頭を下げているイレイザーヘッドがアップになる。

『誰よりも"トップヒーロー"を求め…もがいてる。あれを見て"隙"と捉えたのなら敵は浅はかであると私は考えております』

さっきまでの押し寄せてくるような憤りが、静まっていく。力が抜けて、その場に座り込んだ。仮にもヒーローを目指すというのなら、こんな時こそ強くあらねばならないのだろうけど。それでも、涙があふれて仕方がなかった。画面の向こう側で頭を下げているイレイザーヘッドの言葉が嬉しいのと、それと、それと、

「ごめんなさい〜、私、私っ、」
「うんうん。彼のことはね、たくさんのヒーローが集まって助けに向かっているからね」
「先輩もいなくなっちゃったらどうしよう……!」
「大丈夫よ。待っていてあげて」

*

『次は、君だ』

オールマイトが画面越しに語りかけるその動画と、ヒーロー側の勝利を掲げるニュースは瞬く間にネット上で拡散されていった。ベッドに横たわって、怪我もなく救出されたらしい爆豪先輩のニュースを何度も眺めては、ほっと息を吐いた。大多数のヒーローが神野区に集まっていることをニュースで大々的に取り上げているからと外出禁止令を出されている。夜に出かけたりしないのにわざわざ通告されたのは、被害にあったのが私の知り合いだったからかもしれない。ずっと握りしめてたスマホを枕元に置いて起き上がった。……頭も顔も重たい。狭い部屋の入口にある姿見の前に立つと、ぶくぶく浮腫んだひどい顔がそこにあった。泣き続けた顔はろくに冷やしもしてなかったから……。ベッドの上でスマホがブブブ、と振動した。ハッとして駆け寄れば、ずっと既読がつかなくて私がワアワア騒いでいるだけになっていたトークルームに一言だけメッセが届いてた。

「"何ともねぇ"……?」

そんなわけないじゃん。ちゃんとしたヒーローたちも傷だらけになってた。そんな中で何ともないわけないじゃん。ナンバーワンが、オールマイトが、あんなにボロボロになってたんだよ。それを見て、爆豪先輩が何とも思わないわけない。オールマイトに憧れてるあの人が何も感じないわけない。身体に傷がなくったって、そんなの、

『―――紗希乃は綺麗な石が作れるよな?』

パキン、

「……ッ」

強く握りしめていた掌の中で暴れるように形作って肥大化していくのは濁った炭素の塊。汚い汚い粗悪品。重さが増してくそれをベッドの上に投げ捨てて、裸足のまま窓辺に近づいた。窓ガラスに両手を押し付ければ、ガラスが捩れるように変形して、窓のフレームにまとまっていく。外から強い風が吹き込んできた。

『本当は正しくないとはわかっていたんだ』

頭の中で響く声に聞こえないふりをして頭を左右に振った。床に転がったスマホを拾い上げて、通話履歴の一番上を押す。2コール目で繋がった先には沈黙だけがそこにあった。

「爆豪先輩、今から会いに行っていいですか」
『……ハァ?』

返事を待たずにスマホの電源を切る。ワンピースについてるちっぽけなポケットに無理やり突っ込んで、窓の桟に足をかけた。1階だから降りるのなんて何てことない。転がるように外に飛び降りる。草の擦れる匂いと、月明かりに照らされて不思議な気分だった。施設に保護されてから従順に生きて来た。それこそグレーゾーンを攻めたりしてみたけども、結局は大人たちの言うままに生きている。今晩抜け出したのは、彼の為じゃない。健全に自己満足だ。私がそうしたくてたまらないから。私が私を許せないから。だから……涙がぼたぼた垂れてくるのを拭いながら、裸足で駆けだした。先輩のお家は知ってる。この辺で爆豪なんて苗字のお家は一個しかないもん。普段ならちょっと遠いなって思うんだろう。それでも今は何とも思わなかった。足の裏に小石が刺さるなら、個性で分解してしまえばいい。足が動かないなら、足が前に出しやすいように個性で地面の形を変えればいい。泣きながら走っているせいで、過呼吸気味になって正面からすっ転んだのに痛くなかった。息をすこし整えてまた走り出す。使っては消して、使っては消して。繰り返しながら辿り着いた爆豪先輩のお家の前には当然のように護衛のヒーローがいた。転んで傷だらけの自分を見て、乾いた笑いが出た。っは、こんなの、私が敵みたいじゃん。

「吉川!!」
「ば、ばくごうぜんばい〜〜〜〜!!!!」

家を飛び出そうとして家族に引き止められている護衛対象とそれを見てギャン泣きするボロボロな私を見比べて、優し気なヒーローは首を傾げるだけだった。

むかしのはなしI



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