月夜の晩こそ

交差点で遭難

「手伝ってもらって申し訳ないな」
「いえ……」

申し訳ないと言うけれど、その割には一方的に手伝いに決定していたようだった。どうして私、嵐山准のとなりに並んで歩いているの……?しかもトリガー研究所なんてボーダー関係者しかいないところに向かっているのだから、緊張しないわけない。

「ここがトリガー研究所……」
「来たのは初めて?」
「入学直後のキャンパス案内で外観眺めたくらいです」
「入学式の後の研究所説明会には吉川さんは来てなかったんだな」
「だってかなり混んでましたもん」
「そうは言っても残るのなんて一握りさ。結局ただの見物が多いし」
「なるほど……?」

建物自体は他の教室棟とあんまり変わらない。ちょっと違うのは受付がちゃんとあって、入館手続きで学部と記名を求められるくらい。彼はまあ顔パスなんだろうけど特に何もしてなかった。ボーダーの研究所ではうちの大学に在籍してるボーダー所属の学生が入る研究室があると聞いた。一般の学生も入れるとはいえ、やっぱり一握りなのか……。トリガーなんてよくわからないものを研究してるだけあって頭がよくなくちゃダメなんだろうな。

「あそこの扉の奥はボーダー隊員しか入れないから、この部屋で待っていてくれないか」
「……ゼミ室?」
「ゼミ室と言う名の溜まり場ってところかな」

ノックもせずに入っていく彼についていくと、中に人がいたのに驚いたのか立ち止まってしまった。

「迅、来てたのか?」
「まあね〜。冬島さんもいるよ」
「ああ。昨日泊まりだって言ってたから、寝坊した生駒の代わりに荷物の受け取りを頼んでたんだ」
「生駒っちから連絡来たよ。嵐山にめちゃくちゃ謝っといてって」
「うん。これは次会う時に奢ってもらうしかないな」
「ラーメン行く?」
「焼肉はどうだ?」
「アハハ、生駒っちキツそ〜〜」
「あ。悪い、吉川さん。そこのソファにでも座っていてくれ。すぐ持ってくる」
「は、はい……!というか手伝いって何をするんですか?」
「チラシとポスターを運びたいんだ。今日、新しく刷ったのが届いてるはずなんだが、確認がとれてなくて」
「はあ」
「取りにいってくるからここで待っててくれ。そこにいるのはボーダーの仲間で迅っていうんだ」
「どーも。実力派エリートの迅悠一でーす」
「どうも……吉川紗希乃です」
「じゃあ、すぐ戻るから」

バタバタと部屋を後にする彼を見送って、言われるがままにソファに座った。き、気まずい。……というかラーメン……焼肉……嵐山准はラーメンより焼肉行きたいのね……。なんか色々と情報過多な気がしてしまって胸がいっぱいだった。

「……」
「……」
「……お茶でも飲む〜?」
「おかまいなく……」
「……」
「……」

応接用みたいな向かい合ったソファの一角にひとりで座って、その隣りにあるテーブルの一番端に迅さんはいた。沈黙に耐え兼ねたのか、おかまいなくと言ったのに冷蔵庫にお茶を取りに行ってくれて、小さなお茶のペットボトルを手渡された。

「名前書いてないから飲んでも平気だと思う」
「えっ、誰かのお茶かもしれないんですか?」
「ん〜。特に飲んで誰か怒ったりしてなさそうだから平気平気」
「いやわかんないじゃないですか……!」

冷蔵庫のものを勝手に飲み食いしたら絶対に争いが起きる。家族でさえそうなんだから絶対ここでも大変なことになるに違いない。のに、迅さんは「大丈夫だって」と言って笑って私の向かいにあるソファに腰掛けた。

「ていうか、おれら同い年だし敬語じゃなくていいよ」
「……そうなの?」
「え?嵐山と学年一緒でしょ?そういや嵐山にも敬語じゃなかった?」
「そうなんだけど、嵐山准…くんとは会うの2回目だし」
「……2回目?」
「そうだよ」
「ふーん……?」
「えっと、迅くんは何学部?」
「おれここの学生じゃないんだ」
「他のとこ?」
「おれはただの実力派エリートでーす」
「はあ」

意味が分からない……。ボーダーについて詳しく聞くのも、どこまで聞いていいかわかんないし失礼に当たりそうで聞けることが思いつかない。どうしたものか…と思っていたら、ガチャリと勢いよく扉が開いた。

「おい迅、俺のスマホその辺に……うおっ、知らん女子大生がいる……!」
「アハハ。ここ大学構内なんだからいてもいいじゃん」
「関係者以外あんまいねーだろ」
「お邪魔して申し訳ないです……!」
「いやいや、こっちこそオッサンが急に申し訳ない……」

長身長髪の男の人が急に入って来て驚いた。お互いにペコペコ謝っているところに嵐山准が戻ってきた。小さなダンボールを小脇に抱えて、筒状のポスターが数本入った紙袋を持っていた。

「あ!冬島さん、荷物の受け取りありがとうございました」
「元から居たし構わねーよ。生駒に何か奢れって言っといて」
「焼肉を奢ってもらおうと思います!」
「お〜イイじゃん。日付決まったら連絡くれ」
「はい!」

いい笑顔で焼肉奢りを決定させてるんだけど、どこの誰かわかんないボーダーの人どんまいです。目当てのスマホを見つけて出ていった冬島さんに続いて、迅くんもよっこらせと立ち上がった。

「おれも帰ろうかな」
「玉狛に戻るのか?」
「んや。ちょっくら本部に行ってくる」
「そうか。焼肉が決まったら連絡するよ」
「楽しみにしとく〜。そんじゃ、吉川ちゃんもまたね」
「あ、うん。バイバイ迅くん」

ボーダーの人はまたねって言うのが得意なのか何なのか。嵐山准も迅くんも次があるようにほのめかすのがうまい。偶然、嵐山准とは次があったけど、ここの大学生じゃない迅くんとの次なんて全く想像できなかった。

「私も荷物持ちますよ」

どっちを持ったらいいかわからないからとりあえず手だけ差し出してみた。ポスターの入った紙袋が差し出される。こっちを持てばいいのね、と受け取ろうとしたら何故か紙袋の持ち手がするりと嵐山准の手首まで下りていった。……ん?残ったのは彼の手のひら。肩に置かれた時に大きいなと思っていたその手が、何故か私の手のひらを握りしめた。

「?!?!」

混乱して手を引こうにも、がっちり握られていてびくともしない。嵐山准思ったより力強いね?非力とは思ってなかったけど、なんていうか、こんなに……ふとかち合った視線に縫い留められて、怒ってるようにも笑ってるようにも見えて思わず身が固まる。

「敬語」
「はいっ?!」
「敬語はやめてほしい」
「う、うん……同じ学年だしね……?」
「うん。それと、最初から言っておけばよかったんだが…俺と友達になってくれないか?」
「ともだち……?」
「ああ。イヤか?」
「イヤじゃないけど、」
「よかった!実は吉川さんと友達になりたかったんだ」
「あ、そうなの……」

そうなの?そうなのかな?友達という単語が頭の中でぐるぐる回る。あれ、なんだろうこれ。確かにあの月夜の晩にこれが恋のきっかけなのかもと思っていたことは認める。だけども、結局はただの吊り橋効果ってやつで、私は嵐山准のただのファンでしかなかったはずなのに。……友達って言われてがっかりしてないか私。良かったと笑う彼の顔に私も顔が緩んでしまうけど、心の奥で我儘にも落ち込んでいる自分がいた。あわよくばとか考えていたわけですか。私はめっっちゃくちゃ恥ずかしい奴でした穴掘って埋まりたい。友達となる第一歩の握手は未だ継続中。何なら急に熱っぽく感じてしまうし、私の手汗ヤバそうだから離して欲しいんだけど、そんなに嬉しそうにされたら振りほどくのも考えもの。

「これからよろしく、吉川さん!」
「よろしく……嵐山くん……」

またしても次が用意されちゃった。しかもどうやら想像以上にこれからの嵐山准との関わりがしっかりありそうだった。メッセージアプリのアカウントの交換までしてしまって、なんだかもう後に引けないなあ、と友達になっただけなのに背筋が伸びた。……あわよくば?ないない。きっともうこれで運は使い果たしたよ私。


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