月夜の晩こそ

二度目は偶然

べつにお金に困っているわけでも奉仕の心に溢れているわけでもない。あわよくば目にできないかなあって下心たっぷりで、秋学期に申し込んでいた入学式のお手伝いに私は来ていた。

「まさか通るとは思ってもなかったしね……眺める前に本物と遭遇するとも思ってなかったしね……」

今年の入学式は嵐山准の新入生歓迎スピーチが予定されているという風の噂にまんまと釣られたわけです。今となってはちょっと複雑だった。紙とか画面とか、何かしらを介した状態の嵐山くんは前と変わらずもりもり集めて眺めて楽しめてる。けど、

「目の前で眺め続けるのはまだ刺激が強すぎるというか……」
「ん?何か言ったか?」
「イエ……!」

私服姿の嵐山准が目の前にいる。うん、間違いない。私服姿の、嵐山准が、目と鼻の先にいる。同じ大学とはいえ生徒数は膨大で、私服姿の嵐山准を目撃したことはなかった。1年通っておいて損していると他の大学の友人に言われて抗議したことがあったけど、今改めて言わせてもらおうかな。確かに損してた。勿体ないことしてたよ私。しかも刺激強めで非常に困ってる!遠目から見て目を慣らす段階をすっ飛ばしてしまったのは痛かった。

「あれからマロは警戒区域に近づいて無さそうだ」
「遠出しなくていいように散歩をさぼるのをやめました……!」
「うん、それが良さそうだな」
「あの……すっごい今さらなんですけど、あの日あのまま帰って大丈夫だったんでしょうか」
「警戒区域に入り込んだわけでもないし、いわば事故みたいなものだから特に問題はないさ」
「よかった!てっきり事情聴取みたいなことをしなくちゃいけないのかと思ってあの日から実は内心ドキドキしてたんです」
「一応報告はあげたが俺の報告だけでお咎めなしだったな」

普通に会話しているように見えますか?見えるよね?見えてくれなくちゃ困る。平静を装って、さりげない会話を何とか探してる。事情聴取にドキドキしていたのは本当だけど、今は別な意味でドキドキしていた。

「そういえば、本番は明日なのに前日準備もガッツリ参加してるんですね」
「本当はリハがもっと長いと思っていたんだが……」
「もう終わったんですか?」
「いや、機材の調整で中断しているんだ。あと少しで再開だけど、どちらにせよ会場設営よりも早く終わってしまうな」
「へえ。まあ、リハは偉い方も来ますもんね。あんまり長い時間かけてられないのかも」
「吉川さんは受付設営は終わったのか?」
「受付のテーブルがひとつ足りなくて、他の設営担当が近くの棟に探しに行ってるので私はお留守番です」
「ふーん、なるほど?……設営担当は、田山さんと吉田さん、だったかな」
「知り合いですか?どちらも先輩ですけど……」
「田山さんは秋のオープンキャンパスで挨拶したけど、吉田さんは名前だけ。ほら、準備計画の一覧に担当者名の記載があっただろう?」
「あ〜、確かに……?」

あったっけ。あったのかもしれない。朝に渡された冊子は自分に関係のありそうなところだけチェックしてたし、担当同士でどうせ挨拶するから別に名前なんか確認してなかったな。そっか、この人は入学してから大学の色んなイベントにボーダーとして出ているから入学式の手伝いの書類とか先に見れるのかもしれない。……ということは?この前の夜に私の名前が出てきたのもそういう経緯なんだろうか。送ってくれた女の子たちの様子を見ても、ボーダーで市民の名前を覚える仕組みにはなってなさそうだったし。会場の中からマイクテストの音が漏れ出てきて、リハーサルの再開のアナウンスも聞こえてきた。

「あ、再開みたいですね」
「どうやらそうらしい。それじゃあ、吉川さん。また後で」
「はいまた後で……後?」
「はは、行ってくるよ」
「……いってらっしゃい?」
「行ってきます!」

なんだかやたらと元気よく行ってきますと告げられた。手を振る人にただ眺めてるだけなんてできないので当然振り返すものの、目の前で起きている出来事が何だか別世界の出来事のように思えてきた。んーと?私は?なぜ嵐山准と普通に友達のようなやりとりをしてるの??

「理解が……追いつかない……」
「吉川さん吉川さん、悩んでるところ悪いけどダンボールの上に座るのやめようか」
「あっ、すみません先輩」

*

また後でとは言ったものだけど。リハが短いとは言え、嵐山准自体は忙しそうだった。まあ、言葉の綾ってやつだよね。そうだそうだ。受付設営もとっくに終えて、手持無沙汰すぎたからどこか他の手伝いでもしようと歩き回る。

「あの〜…お手伝い……」

バタバタしている人たちに話しかけても相手にされない。仕切ってる人どこにいるんだろ。ああ、こういう時に準備計画読めばいいのか。ぐるっと丸めてポケットに突っ込んでいた準備計画を取り出したところで、近くを通った女の人に声をかけられた。

「あ!ねえ、もしかして今手ぇ空いてる?!」
「はっ、はいっ!することないです!」
「それじゃあ、あっち手伝ってきて!」
「あっち?あっちって、」
「すみません」

肩に誰かの手が乗った。おおきな、知らない手だ。

「すみません、彼女借りてもいいですか?」

手の主を辿れば、走ってきたのか息を切らしている嵐山准がそこにいた。

「あ。もしかしてボーダーの手伝い?」
「そうなんです。うちで欠員出た分の手伝いを彼女に頼んでいて」
「え」

そうだっけ?と言おうとしたのをめちゃくちゃ良い笑顔で押し込められる。っハイ、私はボーダーの仕事を頼まれていたことにします。何度も頷いて見せれば、女の人は、ボーダーの手伝いならいいや、とそのままバタバタ駆けていった。

「……ボーダーの?」
「手伝い。頼まれてくれないか?」
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