辻風

02.一歩進んで目を瞑れ

「紗希乃さん、紗希乃さん、はしたないですよ」
「流行はながれゆくと書くだけあって時代によって服の着方も変わるでしょ」
「またそんな話をどこから仕入れてくるんです」
「本で読んだ」

ただでさえ暑いのに、こんなに何枚も着てられない。いつもだったらもっと楽なお洋服を着せてくれるのに今日に限ってはかしこまったカッコをしなくちゃいけないと世話係の子が言ってた。ただしいよそおい、正装。覚えておこう。振袖の帯をぎゅうぎゅうに締められていたのを引っぱって少しゆるめた。これなら走れそうだね。こんな時ばかり現れるこの女の人は、立会人だそう。立って会う人。まさにその通りなんだけど、すこしめんどくさい人だった。ああしなさい、こうしなさい。一度にたくさん言われてもわかんない。そんなことより新しく手に入れた本を読みたい。結局ゆるめた帯はその場で簡単に直されてしまって、またゆるめられないように左手はガッチリと掴まれたまま歩き出すことになった。

「どうせまた五条の子は来ないんでしょ」

いっつもそうだ。御三家の集まりにいつも来ない。その子が来ないから、私はいっつもおめかし損をしてる。御三家の人間が揃ってないと、その人たちの前に出ちゃいけないって言われてるから。長い廊下をひたひた歩けば、立会人さんの手に引かれた左手首につけた呪具の輪っかがくるくると回っていく。

「五条様、ですよ紗希乃さん」
「はあい。五条さま、禪院さま、加茂さまでしょ」
「そうです。いいですか、どの御家と婚姻を結ぶことになるかは未だわかりません。それまで、貴女から入れ込んではいけないのです」
「えっと、だれと結婚するかわかんないからだまって座ってろってことね」
「平たく言えばそうです」
「どのおうちの人もまだ見たことない。五条の子は噂がすごいけど」
「全て鵜呑みにしてはいけませんよ」
「はーい。ちゃんと、読みくだいて、飲み込んでからきめる」
「そうです。その通りですよ紗希乃さん」
「今日は御三家の人に会ってどうするの?」
「顔合わせのようなものです。本当は貴女が7つになったらすぐに顔合わせの予定でした」
「だって去年はずっと五条の子がこなかったじゃん」
「五条様!」
「はあい、五条さま〜」

小さな頃から言われてた。我が家は御三家に力を貸す宿命があるのだと。しゅくめい、やどるいのちで宿命。生まれたときからもってる役目のことだとお祖父さまは言ってた。お兄さまたちも御三家の人たちに仕えているんだとかこき使われてるとか言ってる。けど、私はちがうんだって。吉川家の女の子は必ず御三家にお嫁に行かなきゃいけないんだってさ。

「ねえ、どうして女の子は私だけなの?」

これまで何度も訊いてきたせいか、聞こえないふりをされた。せめて返事くらいしてほしい。女の子はほとんど生まれないのはなんで?顔を覗き込むようにして聞いても何の返答も得られない。私にはお姉さんもいないし、従兄弟もみんな男の子。我が家にあるだだっ広い家系図の記された壁には外からお嫁に来た人たちしか女の人がいない。頑張って背伸びをして辿ってみても、私の身長で読めるところにうちから生まれた女の人の名前はなかった。ねえ、ちょっとくらい返事をしてみてよ。すこしだけ抵抗して足を止めてみた。ずりずりと引っ張られたけど思ったより早く止まってくれる。ハア、と大きなため息が聞こえて立会人さんの顔を見上げた。

「その答えが判るなら、どうして今生まれてきたのかを聞いてみたいくらいですね」

……――いいかい、紗希乃。嫌なことを言われたら、輪っかが回るのを見つめなさい。ゆっくり回転しているならばお前はまだまだ大丈夫。ぐるぐるたくさん回りだすなら息をたっぷり吸い込んで細く長く吐き出すこと。輪っかが静かに止まったら……

「なあ、そこで何してんの」

……――殺さないよう、目を瞑れ。

 

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