辻風

22.水屑は全て流し消せ

高専の敷地内。居住区の門の付近に背中を預けること15分。すっかり出来上がって目が据わってる歌姫と硝子が紗希乃の手を引いて、だらだらと石畳を歩いてくる。

「え?何?泣いたの紗希乃」
「こわ。ちょっと紗希乃、アンタの旦那怖いんだけど」
「だって泣き上戸じゃないじゃん。ちょっと歌姫、後輩イジメよくないって〜」
「お前の先輩イジメも良くないな」

おいで〜とややオーバーリアクションに両手を広げてみれば、簡単に飛び込んでくる温かい塊。面白くないのか歌姫と硝子からブーイングが飛ぶけど気にしない。今日は邪魔しないでやったんだから有難く思ってほしい。硝子の部屋でまだまだ飲み明かすらしいこの二人はもう少し節度ってもんを考えたらいいと思うね。え?僕に言われたくない?文句を垂れ流しながら去っていく二人を見送っても、紗希乃はうんともすんとも言わない。

「ねー、紗希乃さーん。動けないんですけど?」
「……」
「あっそ。じゃあ、もう持ち上げちゃうよ」

文句を言うかもしれないと思ったのに、全くそんなことはなく。ただ、口は想像以上に尖らせてる。なにこれ怒ってる?脇に手を入れて持ち上げ、抱きかかえる。器用に足を僕の腰に回してくるから、紗希乃の腰と背中に手を回す。怒って……ないな?なんか我慢してる。

「なに我慢してんの?」

聞いたのが悪かったのか、思いっきり目隠しをひきずりおろされた。それから僕の前髪は勢いよくかき上げられて額が露わになる。生え際はまだ無事だけど、流石にまじまじと眺められても困る。紗希乃がそっと触れてきたのは左の額の生え際付近。そわそわと落ち着かない感覚が、背筋から走ってくる。尖らせた唇は泣くのを我慢する為らしかった。

「大丈夫だよ。もう傷もない」
「……うん」
「死なないよ」
「置いてかないでね」
「それは僕が言うことでしょ」

首に腕を回して抱き着いてきた紗希乃を抱え直してそのまま歩き出す。ちょっと重いけど、まあ動けなくはない。少し肌寒さも感じるような月明かりの下。もうすぐ夏が終わる。

「交流会の一件もあって遠出できるような休みは取れなさそうなんだよねぇ」
「そんな気がしてた」
「だからあそこ行く?この前言ってたオイスターバー」
「今日、硝子先輩たちと牡蠣フライ食べたからいい」
「えー、じゃあどこ行くよ」
「そうだなあ……」

あと数時間で紗希乃は人生何度目かの呪われた日を迎える。夏の終わりのこの日が、喜びだけに染まる日はいつになるのか。

「紗希乃にさ、話があるんだよね」

*

「御三家が吉川家との婚姻関係を結ぶことで呪術界に与える影響を考慮せざるを得まい」

腐った老人共の言葉には全部反論してやりたくなる。口を出そうとした俺をオーバーな動きで制してくる夜蛾先生から顔を背けた。周りは何事もなかったように話し続けている。今は黙って座っていろと小言を言われても、その通りに大人しくできるわきゃねーだろ、と両足を投げ出して座る。どうせ、俺の思う方へは話は進まない。

「此度の吉川紗希乃の呪力の暴走は、禪院家と加茂家が徒党を組み秘密裏に事を進めようとしたことが要因だろう」
「第一、五条家の証言と立会人の保有する情報が合致する点でいうならば、吉川紗希乃の婚姻相手は五条家嫡男の五条悟になるのが最も歴史にのっとった形になる。流れを無視した禪院と加茂の両家に吉川紗希乃を渡す義理もない」
「歴史も何も、婚姻を結ぶという前提で御三家は揃いも揃って対象を殺してきた!今さら何にのっとると言うのだ。これまでに御三家と吉川家で婚約が成立した事実がない!ならば御三家を必ず相手にする必要がそもそもないのだ!」
「つまり、五条悟との婚姻も認めないと?」
「六眼に過大な呪力の塊は必要ないだろう?」

ギャアギャアと喚く烏合の衆。しびれを切らして大声をだしてやろうかと言うところで先に行動に移したのは先生の方だった。パァン!と破裂音が雑音を切り裂く。掌を強く叩き合わせた夜蛾先生に、ジジイ共の視線が揃った。

「現時点での結論を、お聞かせ願えますか。落ち着きを取り戻したとはいえ、これまでとは異なる状況に身を置いている吉川紗希乃が再び暴走しないとは限りません」
「オイ、紗希乃はそんな、」
「暴走を止めたのも五条悟です。再び暴走するのであれば、その時止められると判明しているのは"現時点では"五条悟だけでしょう。暴れだす前に向かわせた方が良い」
「……」
「となると相手は自ずと絞られてきますが……彼に至ってはまだ婚姻年齢すら迎えていませんな。そして、吉川紗希乃はすぐに婚姻を結べる状況でもない。ならば最終結論を出す段階ではないでしょう」
「俺は紗希乃の呪力が欲しいんじゃない。紗希乃が呪力をコントロールできるようになれば普通の術師になれる。そうなったらアンタたちが俺らを使うように"術師として"紗希乃を使えばいい」

だから、俺と紗希乃の関係を誰かに決めつけられるのなんてごめんだ。心の底で思っていることを口に出す前にいくつものため息が部屋の中で木霊する。

「味方を戦闘不能にするような術師はいらぬ」
「力を必要としていない者としか任務に就くことのできない術師はただの荷物だ」
「高専で爆弾をいつまでも抱え続けるつもりはない」
「……吉川紗希乃の先の扱いは保留とし、来春の高専入学までに問題ない程度の呪力制御を身に着けることができなければ死刑も検討する。この程度が我々が提示できる最大の譲歩だ」
「いいぜ。絶対に死刑になんてさせねぇし」

俺の態度が気に入らないらしいジジイたちは揃いも揃って舌打ちをした。それでも、少しずつ道筋が見えてきた。結婚は後だ。紗希乃を上層部のクソ共に奪われる前に、上の提示することをまずは飲み込んで、こなしていかなくちゃならない。そうしないと難癖つけてそれこそもっと酷い仕打ちをうける可能性だってある。

「こんな婚姻は誰も喜ばん」

部屋を出る間際に聞こえてきた声に足が止まった。振り向いても、障子の向こうにいる人間の顔は見ることができない。

「そりゃそうだ。唯一喜びそうな奴らは皆死んでるよ」

誰かに喜ばれたくて紗希乃を自分の手元に置いておきたいわけじゃない。完全なる自己満足によるものだ。幼かったあの夏に手に入れた独占欲の芽は、背を伸ばすばかりじゃなくて根っこも長くしつこいくらいに広がっていた。ふと、同級生二人の顔が思い浮かぶ。もう俺たちのことに気を揉んで憂いてくれる人たちはこの世にいないが、あいつらが単純に喜んでくれる相手になってくれたら儲けもんだな。





「日課の呼び出しは終わった?」
「あ?傑と地下室行ってたんじゃないわけ」
「アンタ抜きで私らだけあの子に会えるわけないじゃん……夏油はマジメに向かったみたいだけど」
「硝子はただのヤニサボりだろ」
「日課なもんで」
「あっそ」

とりあえず、昨日は死刑まではいかなさそうな流れだったものの、一転してまたもや紗希乃にタイムリミットができてしまった。本人にどう伝えるか悩みどころだ。死刑になるかもしれないと現時点で耳にいれてしまったら、今すぐでもいいなんて言いかねない。そう思わなくなるように、周りから変えていけばいいか?

「紗希乃のこと、面倒みてやってよ」
「ハハ、それ本気で言ってるんならクズどころか能天気すぎ」
「は?なんで?ただ仲良くなってって言ってるだけなんだけど」
「私にする気があっても向こうがどうかわからないだろうけどね」
「……傑も硝子も、紗希乃と話は合いそうなもんだけど」
「そう思うならそうなんだろうけど、アンタの彼女は急に現れた人間を警戒しないの?」
「する必要がなくね?俺の同級生だって伝えてあるし、お前らは害を与えないじゃん」
「そういう問題じゃない。自分の彼氏の同級生連れてきてハイ仲良くしてよって普通に無理じゃない?」
「えっ、紗希乃は嫉妬してくれてるの」
「私に聞くんじゃねークズ」

結局、地下室にそのまま直行してみれば二人は何やら不穏な問答を繰り広げていて、嫉妬も何もなさそうな感じだった。そうだよ、お前らはそうやって色々考えてばっかなんだ。傑のタイプは紗希乃みたいな子じゃないし、紗希乃は俺以外選ぶわけがない。話し相手が増えてよかったじゃん。紗希乃の頭を撫でてやれば、もっとしてほしそうに制服の裾をそっと握られる。そんな細かな機微も見逃さないのが特注の呪骸で、紗希乃の頬に向かって飛び上がるそれを受け止めてあげれば嬉しそうに微笑んでいた。

「……最後も笑えるようにしなきゃな」
 

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