辻風

21.大人になりそびれて

「あの日、君の呪力が暴れた時に吉川家の結界が破れたらしい。だからなのか吸い寄せられるように低級の呪霊が集まった」

何体かその時取り込んだんだけど。と奇妙な見た目の呪霊を従えたその人は話し続ける。私は腕の中で暴れだしそうなウサギ擬きのぬいぐるみをぎゅっと抱えた。呪霊は見たことがあっても対峙したことはない。結界の中にあった離れの中の更にお札を張り巡らせた部屋で暮らしていたのだから、近づく機会なんてほとんどなかったわけだった。

「私は良い餌になるということですか?」
「可能性は高いんじゃないかな。ただ、その呪骸と同じで相応の呪力量のキャパシティを超えたら散り散りになるだろうけども」

魚のようで恐竜にも見える、何とも例えがたい様相の呪霊を傑先輩はひと撫でした。悟がね、そんなことを言っていたよ。と語るようにこの人との繋がりは悟を介したものしかない。本当は悟と来る予定だったんだけど……と申し訳なさそうに現れた先輩は、手持ち無沙汰なようでつらつらと話し続けている。悟は爺様方に呼び出されたらしい。

「周りが言うほどコントロールができてないわけじゃなさそうだ」

いつの間にか運び込まれた家具や家電は離れで暮らしていた頃とは大違いで、おっかなびっくり過ごしている。その度に抱えた腕から飛び出す呪骸は私の顎にぶつかって時々星が見えちゃうし、うまく避けれないと痛い目をみる。あんまり暴れないようにしたと夜蛾先生は言ってたけどもあんまり信用ならない。

「左手についていた輪っかが私の呪力を平らにしてくれてたのでコントロールしようと思ったことなんてほとんどなかったです」
「輪が無くてもなんとかなりそうなものだけど」
「そうでしょうか」

すこし、言い方が冷たかったかもしれない。この人が私に敵意がないことはわかっているし、あったところで勝てやしないのでどうしようもないけれどいまいち警戒心が解けない。急に知らない人が増えたから?人見知りなのかって悟は笑ってたけど、確かにそうなのかもしれない。

「……何か心配事でも?」

ソファで呪骸を抱えて縮こまる私に、離れた椅子に腰かけてる傑先輩はとても静かに言葉を投げてくれる。心配事しかないとは言えず、小さく首を振った。話せないわけじゃないし、話してもいいのだけど、なんだか話したくなかった。

「一番不安なことは悟に言うといい。だから……そうだな、どうでもいいようなことは私か硝子に話してくれて構わないよ」

小さな子を諭すように話すこの人は、きっと悟のことも同じように宥めているんだろうな。悟が仲良くしているのだもの悪い人じゃない。私が勝手に面白く思っていないだけ。……そっか、面白くなかったんだ。私の世界の大部分は悟でいっぱいなのに、悟には他の世界があって、知らないところがたくさんある。お祖父様の前の悟。お兄さまの前の悟。五条家での悟。外での悟は中々に評判がよろしくなくて、世話係の子から教えてもらっては何だか知ってる悟とちょっと違うなあ、なんて思ってた。それを急に目の当たりにしたものだから、きっと面白くなかったんだ。何となく手元が揺れたことに気づいた時にはもう遅くって、ウサギの偽物が暴れだして思いっきり頬にぶち当たった。こいつ……!

「大丈夫?」

私の頬を踏み台にして飛んで行った呪骸は傑先輩が片手で簡単に捕まえてしまった。スピスピ分かりやすいくらい眠っているウサギが恨めしい。ああも簡単にこなせてしまうのは、この人も悟みたいに実力のある呪術師だからなのかな。

「……皆、これをどうやってるんですか」
「この呪骸の訓練の話かな」

片手で持っていた呪骸をボールのように反対の手に投げて、また更に反対の手に投げ返す。眠ったままのウサギの呪骸は軽いリズムで傑先輩の手を行き来した。

「無意識下で大きくも小さくもなく一定に呪力を出力するだけだよ」

だからそれができないんじゃんか。ソファに置いてあるクッションを投げつけてやりたくなったけど、ぐっと堪えて呪骸の代わりに抱きしめた。この人は悟じゃない。悟が言ってたら間違いなく投げつけてた。

「君の術式が呪力譲渡なら、譲渡する時に一定に出力できないとうまくいかないんじゃないか」
「呪力譲渡はまるめてくっつけるだけなので」
「……」
「周りにあるのを集めてよいしょって譲渡します」
「その説明でわかる人はいるのかな」

分かる人がいるかどうか?少なくとも私はわかってる。層になってる外っ側を集めて、まとめて……

「外側……?」

ふと、何にもついていない左手首を見た。呪骸の訓練を始めてからお札も張らずに、何もつけずに開放している。ここに付けてた輪っかは私の呪力を平坦にするものだった。中身は先祖の骨。構築術師が組み立てたわけじゃない、ただの骨だった。

「……あの、ひとついいですか」
「どうぞ?」
「私は一定に出力しようとすると毎回呪骸が壊れます」

ソファから立ち上がって傑先輩の前に行く。手にしていたウサギを貰おうと手を伸ばしたら、すぐに返してくれた。私が手にした途端に眠っていたウサギの鼻ちょうちんがパチンと割れて、今にも飛び上がろうと腕を振りかぶっている。まっすぐ、均等に平坦に……そう思いながら呪力を巡らせたのに、やっぱり呪骸の表層がメリメリ音を立てて裂け始める。これじゃだめだ。抑えなくちゃ。均等に出力するというよりも、もういっそのこと出さないようにするくらいの気持ちで抑え込んでみた。するとどうだ。表面には亀裂が入ってるけど、腕を振りかぶっていたウサギは大人しく眠り始めた。

「何も出さないように頑張ったら、眠るんです」
「……なるほど。ベースとなる呪力量が大きいから、"出力"に意識を置くと出過ぎてしまうわけだね」
「たぶん……。ほんの少し増やす、減らすっていう細かいコントロールはやっぱりできてないです。それで、」
「思いっきり減らすことに意識を置いても過小出力にはならない、と」
「……みたいです」

気を抜くと、またもや鼻ちょうちんが割れ始める。お願いだからもうちょっと寝ててよ。気が抜いたら呪力が出過ぎてしまう。驚いた時や気持ちが揺れた時に溢れてしまうのか、その時は呪骸も必ず暴れだす。その時は簡単にやってくるのに、抑え込むのにはかなり手こずっていた。

「今まで自分の呪力を抑え込もうとしたことなんてないんです」

回転が速くなっていく輪っかに向かって、回らないでと願うだけ。自分でコントロールなんてできなかった。

「それじゃ、君が付けていたという呪具が呪力を抑えていたってわけだね」
「だと思ってたんですが、本当に大きな力を抑えて小さくしていたのだとしたら、今の私の状況はおかしい気がしませんか」

あの日、私の呪力に耐え兼ねた輪っかは割れてバラバラになった。あの時の私の暴走は確かに抑えられていたものが解き放たれた状況に合っている。じゃあ今は?

「あの輪っかがずっと、私の意識の外で私の呪力に蓋をしてきたのだとしたら今は蓋がありません」
「……そうか。あの日の暴走が一時的なものだったとしても、普段の呪力も抑え込んでいたのだとしたら今の紗希乃ちゃんの呪力はもっと垂れ流しになっているはずだね」
「そうなんです。でも、そうなってない。だけど、瞬間的に呪力の出力が膨らんでしまっている時がある」

例えば、この呪骸。何とか押しとどめて、うとうと眠るぐらいまでには行動を制御しながら、傑先輩の前に掲げてみる。

「これは目測で胴体が直径20センチ、厚みが10センチあります。同じサイズの穴にこのぬいぐるみを丸ごと仕舞いなさいと言われたら、どうしますか?」
「手足が邪魔だね」
「ええ。手足を紐か何かで胴体にきつく縛り付けたとしたら少しはみ出すくらいで何とか抑え込んで入るかもしれません」
「紐が呪具だとするなら、紐が無くては呪骸は穴に収まらないわけだ」
「そういうことです。では、紐で抑え込まないのならどうしますか」
「……邪魔なら無くせばいい、というのは?」
「お前ら怖いんだけど」
「悟!」

起きた呪骸が勢いよく飛び上がる。顎に当たって、勢いのまま尻もちをついた。目の前がちかちかしてるのに、悟に笑いながら引っ張り上げられた。

「やっぱお前ら話が合いそうだと思ってた」
「私と彼女が?」
「そ。お前らは正論とか、理論とか、そーいうモンを捏ね繰り回すタイプっていうの?」
「こねくりまわしてない!」
「まぁ、紗希乃は知識に偏りがありすぎだからちょっと違うかもだけど」

悟が片手で掴んでいるウサギの呪骸を私の腕に押し付ける。目を覚ます前に鎮めないと。平らに、もういっそぺっちゃんこになれ。「お。昨日よりいいじゃん」やめてゆるむから。

「さっきの答えだけどさー。怖いけど、傑のが正解なのかもな」
「ただの丸い形なら何の問題もなく穴に収まるから、私も合ってはいると思う」

ぬいぐるみの手足で考えるから怖い話に聞こえるけれど、実際はそうでもない。例えを完全に間違えた気はするけど。

「ぬいぐるみの手足が、呪力の塊の"はみだした部分"だとするなら、呪力を均すあの輪っかはそのはみ出た部分を吸っていたんじゃないかなと思ってるの」

抑え込んでいるのではなくて、許容範囲を超えた部分を輪っかが吸い取ってカットする。はみ出した部分が大きくなればなるほど吸う量が増えていって、輪っかの中に溜めて置けなくなった分が溢れ出して暴走したのだ。……あくまで、私の考えだけど。

*

「五条はちゃんと置いてきたんでしょうね」
「バッチリです歌姫先輩!」
「でもどうせ乱入してきますよアイツ」
「それがどうにも今日は用事ができたとか言ってましたよ」
「用事?」
「そうなんです」

また何か怪しいことをしてるんじゃないのか、と呆れた顔をした硝子先輩がビールを勢いよく飲んでいる。歌姫先輩に至っては日本酒の入った瓶を手でキープしながらお猪口をぱかぱか空けている。徳利はどこ行った。キープするなら瓶じゃなくってお酒の量にしてくださいね、なんて冗談めかしく言ってみたら「任せろ!」と信用ならない言葉がふたつ返って来る。気のいい返事は私も好きだけど。

「ほらほら、飲め飲め紗希乃。五条とは飲まないでしょ」
「だって悟、お酒飲めないですもん〜」
「飲んだらどーなんの?」
「でっかい子供みたくなりますね」
「うへ〜めんどくさ」
「アイツは無駄に身長でかいからな……」

私達の暮らしぶりからすると特別目新しい話題なんて仕事のことぐらいしかなくて、この前の仕事が大変だったとか、海外はわりと面倒だったとかあんまり実のない話ばかりが続いた。そんな会話が楽しかったりするのだけど、酔っ払ってしまったら最早何だって面白く思えてくるものだった。

「そういえば、生徒たちが言ってたけど五条が嫉妬バリバリでレッドカード出したらしいじゃん」
「違う違う、イエローカードよ」
「なんでそんな微妙なラインで譲歩してんだアイツ」
「そこが捻くれてるとこよねぇ」
「生徒って誰です?真希ちゃん?」
「1年共が言ってた」
「うえ〜恵くんかぁ」
「うちの生徒は置いといて、そっちの子は大丈夫なの?」
「彼は大丈夫ですよ。弟みたい。弟なんていないけど」
「禪院に入ってないしね」
「そうそう。入る前に見つけたから」
「面倒くさいのには入らなくて正解だ」
「ほんとですよ〜。腐ったとこにいたら自分も腐っちゃう」
「五条みたいに?」
「フフッ、悟みたいに!」
「ね〜〜紗希乃〜〜別にアンタの好きにしたらいいけどさぁ、でもさぁ、もっと他の男いるはずなんだよ〜〜」
「アハハ。歌姫先輩また言ってる」
「アンタもそう思ってるんでしょぉ、硝子〜!」
「私もあんなクズごめんですけど、紗希乃はある意味五条バカなので変わんないですよ」
「べつに悟バカじゃない!」
「いーや?十分すぎるくらいお前は五条バカ」
「五条がバカなんじゃなくて紗希乃が五条バカなの?」
「五条もバカですけど名前は五条バカです」
「ふたりとも話通じてますかそれ」

まったく失礼なことを言ってくれるなあ、なんて思いながら次のお酒を頼むために店員さんに声をかけた。なかなか気づいてくれなくて、個室になってる部屋から顔を出して、店員さんに声をかける。どうせ皆同じのを飲み続けるタイプだから適当に頼んでから、部屋に引っ込むと酔って目の座り始めた硝子先輩と目が合った。

「最初は五条にしか自分から声をかけなかった紗希乃が他人に声をかけている……」
「ねえ待って硝子先輩。さっきの人ただの店員さんですよ」
「五条の後ろから出てこなかった紗希乃が五条から離れて自由を謳歌している……」
「う、うーん?まあ、そうとも言うかもしれない……」
「紗希乃ってそんな人見知りじゃないでしょ」
「歌姫先輩が紗希乃と会ったのは私よりも大分後ですし」
「なんか急にマウントとりにきたわね硝子」
「でも確かに私そんな人見知りじゃないですよ」
「何言ってるの。お前は確かに人見知りだったし、何なら私の事はじめは嫌いだったでしょ」
「えっ」
「…………いいえ?」
「わかりやすい嘘つくのねぇ、アンタ」
「嫌いじゃなかったですもん。嫌ってない。断じて嫌ってないです。ただ、」
「気に入らなかったんでしょ」
「その通り……若気の至りなんでゆるしてください……」
「紗希乃が気に入らないって、硝子なんかしたわけ?」
「なにも」
「先輩はわるくないんです。私がわるいだけ」
「別に悪くないけど」
「えぇ?じゃあなんで気に入らなかったのよ」
「だって悟と仲良しだったから」
「……はい?」
「だから、私の知らない悟を知ってるから」
「……やばいこれガチのやつじゃない……?」
「だから言ったじゃないですか五条バカだって」

何も会話しなかったわけじゃない。話がはずんだりもしてた。それでも、どこか心の奥は見せまいと硝子先輩やあの人…傑先輩にどこか線をひいて接していた。かつての同輩は、二人と接する私を見て「仲良しだよね」と目を輝かせていたものだけど、実際はそう見えてるだけだった。悟を通しての繋がりから始まったから、スタートラインの距離が多少近く見えるだけ。本当に心を開けたのは何年も経った後からだ。

「私も奴も何なら学長にすら嫉妬してたでしょ」
「否定できないのが悔しい……」
「へぇ、紗希乃がねぇ。てっきり五条が一方的に言い包めてるもんだとばかり」
「それもないわけじゃないですね」
「そんなことなくないです?」
「あるある」
「あるの?」
「ありますよ。紗希乃が五条しか見えないような生き方をしてきたのだって、途中で軌道修正できるタイミングがあったのに、奴がさせないで、むしろもっと深みに沈めてるからでしょう」
「……そう…なんですかね」
「そうとしか見えない。まあ、依存的だから悪いと切ってしまうにはお前たちの場合難しいけど」

軌道修正できるタイミングなんてあったのかな。自分の歩んできた道を心の中で振り返ってみても、思い当たらない。

「依存しきっているせいで気づいてないだけなのかもしれないですが、悟なしで生きていくっていうのはね、土台無理な話だと思うんですよ」

悟がいなければ、私はさっさと禪院か加茂に追いやられていただろう。15まで待てたかどうかも怪しい。悟がいなければ、私はあの時力尽きて、可哀そうな死に際だった歴代の吉川の女の一覧に名前を加えることになっていたはず。悟がいなかったらー……

「えっ、紗希乃なんで泣いてんの?!」
「悟がいなくなったらどうしようって思ったら、なんだか悲しくて、」
「……歌姫先輩。紗希乃が飲んでるの歌姫先輩の日本酒じゃないですか?」
「アッ」
「よしよーし紗希乃。酷いこと言って悪かったよ。五条はいなくならんから安心していいよ」
「そんなのわかんないでしょう〜〜!」
「アイツに勝てるのなんていないわよ」
「悟だって完璧じゃないもん」
「そりゃクズだし」
「あれで完璧だったらムカつくわよ」
「二人ともどうせならちゃんと最後まで慰めて下さいよ〜〜!」
 

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