17.掴めよ玉の緒
「紗希乃」
塊の中は真っ赤だった。肉のような。薔薇のような。血のような。
「紗希乃」
色んな赤の真ん中で、目を見開いたまま膝をついて天を仰いでいる彼女。赤茶色だった眼は、周りの赤が映って普段よりも濁った色をして見えた。なぁ、見えてねぇの。せっかく迎えに来たんだけど。紗希乃の正面に膝をついて頬を包むように手を添えたら、彼女の頬どころか頭の方まで指が届いた。小さい。違うか。俺が大きくなったんだ。繋いでも手を合わせても同じくらいだったのにいつの間にか差ができた。その差が何やら恥ずかしくて可愛らしくも見え始めたのは春の頃。あの頃は、ただ笑っていただけだったのに。
「さと、る……?」
だらん、と垂れていた紗希乃の両手が探るように俺の腕に触れていく。形を確かめるように探っていった小さな手が行きついたのは、頬を包む俺の手の甲。
「さとる、さとる……!」
「うん。遅くなってごめん」
堰を切ったようにあふれ出す涙が頬を伝って、俺たちの掌を濡らしていく。
「も、会えっな、かと……!」
「はは、会えないかと思ってたわけ?まーそりゃそうか……俺は何が何でも会う気でいたけど」
「だって、悟、わたしっ……!」
「大丈夫だよ紗希乃」
もっと早くに来れたら良かったな。俺もお前の兄貴も知らないことが多すぎた。紗希乃の短い爪が俺の手に食い込むくらい小さな手は強い力で離さない。抱きしめてやろうと思っても手を離してくれなくて、どーしたもんか。もう楽にしていいよと言ったってそんなもんできたら最初からしてる。赤い壁に照らされて、やけに輝いて見えたのは小さな唇。本当はさ、最初にするときのシチュエーションとか色々あるよななんて思ってたけど、もういいや。紗希乃の呪力が帯びる熱か、俺以外の誰も紗希乃に手出しができないという独占欲によるものかわからないけど、ふわふわしていた感覚がまるで背を押すように後ろから乗っかってくる。
「後でいくらでも上塗りしてやるから、我慢して」
不安で揺れてる小さな唇なんか簡単に食べてしまえた。手が届かない時は、ああだこうだと色々考えていたものだけど手にしてしまったらもうこっちのものだった。うまく息継ぎできなくて息苦しそうにする紗希乃の手が緩む。少し離れてはまたすぐに吸い付くと、隙間隙間に零れる俺の名前を呼ぶ声につい高揚してしまったところで気づく。1分どころじゃねぇ。
「も、ばか…こんな、こんな時に……!」
「ごめんって」
「あやまるならするな、こんな、変な赤いとこでそんな……」
「……赤?」
「なにここ、気持ち悪い。何なのこんな真っ赤なとこ、どこなの?」
「紗希乃、見えてる?」
「見え……てる!」
見えてることに今気が付いたのか、自分の両手を眺めたかと思えば俺の顔を思いっきり両手で掴んで引き寄せる。
「悟だ……」
ひどく安堵した顔と、波が打ち消し合うようにバラバラに消えていく赤を見た。瞬きした後に見えたのは、地べたに座った俺の膝の上に倒れ込むようにして気を失っている紗希乃だけ。
「悟!!」
後ろから駆けよってくる傑を見返す。帳は降りたままだけど、明らかに状況が変わっていた。そこいらの空気がふわふわと温かいものから夏特有の蒸し暑さに代わっている。
「……解けたのか」
「悟!大丈夫か?」
「あー、まぁな。つーか時間どんくらいかかった?」
「1分は過ぎてる」
「だろーな。あ〜〜〜〜」
「どうしたんだ。その子をはやく硝子に診てもらいに……」
脱力している紗希乃を抱え直してぎゅうぎゅうに抱きしめる。呆れた顔をした傑が「何してんの」と聞いてくる。
「充電してる」
「後にしろよ馬鹿」
「あ〜〜マジで俺止まったのえらい。本気でえらい。こいつさぁ、呪力に催淫効果あんじゃねってくらいでさ」
「あったとしてもこんな状況下で引っかかるのはきっとお前くらいだよ」
「いーの、俺だけで」
「その子にこの会話聞かせてやりたいね」
「やめて?どん引かれる自信しかない」
抱き上げて立ち上がると、傑は手持ちの呪霊を使ってその辺に転がしてあったオッサンを飲み込んだ。
「傑。後でもっと手伝ってもらうかも」
「私にできることならいいよ」
「簡単。禪院と加茂に高専のジジイ共を黙らす証言が欲しいだけだから」
「ああ、さっきの奴がどんなにダサい格好だったか言えばいいのかな」
「そんなとこ。それと、紗希乃の呪力の中でも余裕だったって言ってくれたらそれで助かる」
「それだけでいいのか?」
「ああ。弱い奴じゃダメなんだってことを分からせる必要があるんだよ」
「……わかった。引き受けよう」
あの陰気臭い札だらけの部屋はもうない。紗希乃を隠そうとする家の所業もこれで公になる。吉川家の問題は続くから、そこはまあ上手く立ち回らないといけないけど。それでもこれで、紗希乃は自由になれるはずだ。崩れた家屋の下に、見慣れた輪っかの一部が転がっていた。
「それは呪具か?」
「……悪い。もう一件頼んでもいいか?」
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