辻風

15.歯車ひとつ落ちていた

「歌姫先輩!」
「紗希乃!!」

高専に帰って来た紗希乃は歌姫を見つけたかと思えばすごい勢いで駆け寄ってきた。まるで感動の再会だけど、結構頻繁に飲み歩いてるんだから感動も何もないんだけどね。

「ハイハイそこまで〜。おかえり紗希乃。道中なにもなかった?」
「ファンシーな奴も見てないし、それっぽいのも見てないな」
「そいつなら抉っといたからしばらく大丈夫〜」
「抉る……?」

文字通り地面ごと抉ったことを歌姫から聞いた彼女は小さく悲鳴をあげた。修復するのにかかるお金の計算をしてしまったらしい。人命がかかってたわけだし、そこらへんはゆるく見てくれなきゃ困る困る。

「二人とも無事でよかったけど……生徒たちは大丈夫?」
「生徒の命は無事よ。怪我人がいるからいま硝子に診てもらってるところ」
「私も誰かの治療いきましょうか。硝子先輩ほどできませんけど」
「ううん。紗希乃は別なとこお願いしていい?」

今回の呪詛師一派の襲撃被害の内容は高専の交流会の関係者だけに留めることになっている。とはいっても紗希乃はどう考えてもこちら側だし、今後の植物の呪霊の出方によっては要注意の対象となるから伝えても問題ない。ちょいちょい、と手招きをすれば名残惜しそうに歌姫から離れて僕の方へとやって来た。

「随分と寂しそうじゃん」
「だって数か月ぶりだったんだよ」
「僕とも数か月ぶりだったのに一昨日そうでもなくなかった?」
「そうでもあったじゃん?」
「えぇ?マジ?あれで?」
「お前たちいい加減に仕事しろ」
「ごめんなさい歌姫先輩〜〜。また今度飲み行きましょ!」
「わかったわかった。さっさと行く!」
「はーい」

学長二人と鉢合わせしないように、別の廊下を通りながら伊地知に電話をかけて今回の被害の一覧を紗希乃のスマホに送らせる。目を通すように伝えたら歩きながらそれを読んだ紗希乃の表情が曇った。

「これって……」
「けっこー面倒事でしょ」

読んだ後にそのショートメールを削除した紗希乃は、「忌庫番やればいいの?」と言った。まあ、そんなところではある。

「仮の忌庫番の子らに呪力分けてやって」
「了解。天元様の所には?」
「行かなくても大丈夫でしょ」
「4番以降は無事なのね?」

盗み出された呪胎九相図の1番から3番の行方はわからない。4番以降は無事なようだけど、呪詛師は4番以降を盗み損ねたのか、狙わなかったのかが今のところ不明だった。前者だとしたら、今の高専が崩れかけたタイミングでけしかけてくるか、はたまた既に何か仕込んでるまでもある。……まあ、僕はどちらの線も薄いと思ってるけど。

「今のところ確認がとれてるのはさっきの一覧の分だけ。細工されてる様子もなさそうではあるけど確定じゃない」
「ふーん。わかった」
「もし植物の芽みたいな呪霊がいたら距離とって。恵の様子を見たところ呪力が餌らしい」
「……恵くん大丈夫なの?」
「カラカラだったから何とかなったみたいだね。後で余裕あったら様子見てきなよ」
「そうしようかな。仮の忌庫番の子の人数は?」
「2人だよ」
「元もそんくらいだよね。うーん、たぶん余裕はあると思うけど……」
「真希が呪具見てほしいって言うかもだから無理はしないでおいて」
「はーい」


*

夏はどうしても仕事が増える。夜蛾先生が何度もそう言うのを聞いて、まじでふざけんじゃねぇとその度に毒づいた。紗希乃に会える日が全然来ない。世の中の学生には夏休みってモンがあるのに呪術高専にはそれがない。任務任務任務の繰り返し。雑魚ばっかりで俺が出る必要がないくらいだったけど、そもそも手が足りないので出るしかなかった。五条家相伝の術式の全てを使いこなせているわけでもない俺の力で何とかなってしまうのだからどいつもこいつも弱すぎた。毎日送られてくる紗希乃の様子を読みながら、せめて夏の終わりの誕生日までには顔を出すと心に決めた。

「先生マジで3日後の外泊許可だけは許して。俺何でもするからさぁ」
「すげーここまで信用できない何でもするって言葉はじめて聞いた」
「うるせーよ硝子!」
「悟。もっとちゃんとした頼み方をすれば夜蛾先生も多少は融通利かせてくれるんじゃないか」
「いやいや、そんなもんで聞いてくれるんだったらとっくに話は済んでるでしょ」
「お前は申請を通したいのか通したくないのかどっちだ」

硝子がこの前1泊だけ外泊をしたと聞いて、さすがに俺だけダメとかそんなわけないでしょ。なんて高を括っていたら直前になってダメだと言われた。あ?申請書?そんなもんいるのかよ。

「外泊となると学長に提出する必要がある」
「硝子も書いたわけ?」
「ちゃんと書いた」
「チッ、めんどくせーな。ていうか出来たら2泊がいいんだけど」
「どこに行くんだ?」
「紗希乃んとこ行く」
「せんせー、コイツ女遊びしに行くらしいですけどー」
「却下だ悟」
「遊びじゃねーよ。1回くらい顔出さねーと吉川のオッサンがうるせーんだよ」
「そんなこと言って普通に婚約者の子に会いたいだけだろう、悟」
「どっちも同じ敷地内にいるんだから会う順番が変わるだけだろ」
「……吉川?」

申請用紙に『婚約者に面会』と簡潔に並べて、夜蛾先生に手渡した。元から細い目がさらに細められて、声のトーンが一段落ちたのが気にかかる。

「先生知ってるでしょ。吉川家」
「知ってはいるが……婚約者?」
「そ。あそこん家の末娘が俺の婚約者。一個下だからうまくいけば来年高専くるよ」

先生が手にした申請書に皺が寄っていく。オイオイ、いま書いたばっかだってのにダメなわけ?2泊がダメなら1泊に―……

「吉川に娘がいた上に五条家と婚約してるだと……?!」

明らかに焦りの色が見える夜蛾先生の顔を前にこの間の図書館の件が脳裏を巡る。あの本は、俺のひとつ上の世代までしか書かれてない。だから、知らなくてもおかしくはない。……あくまで文献上は。

「まさかとは思うが、あのジジイ共、紗希乃の存在自体秘匿してたわけじゃねぇよな?」

アイツの力を恐れて離れに隔離していたんじゃなかったとしたら。御三家が吉川に集まっていたのがアイツの存在を外に出さないためだったのだとしたら。

『離れに来るのにこっちも手続きが必要だからお前みたくできねーんだよ』

いつか紗希乃の兄貴が言っていたこと。まさかとは思うが、吉川の人間の中でも紗希乃に関する情報を規制していた?

「吉川に女子が生まれた記録は少なくともこの100年以内になかったはずだ」
「えっ、なに。五条の婚約者がイマジナリー婚約者だったってこと?」
「オイオイんなわけねぇよ。だって、禪院家も加茂家も噛んでる……くそ、あいつら京都だからすぐに証人は呼べねぇ。そうだ、兄貴たちいるじゃん。次男は紗希乃に興味ないし三男もあんま仲良くないけど、長男はいま紗希乃の管理してるから、」
「悟」
「昨日も紗希乃の様子をメールで、」
「悟、よく聞くんだ」

俺のスライド式の携帯を取り出して、昨日受け取ったメールを開く。差出人の所には紗希乃の兄貴の名前で登録してある。このアドレス帳にいれた時から登録情報はまったくいじってない。傑が俺の手元から携帯を抜き出し操作している画面を硝子が覗き込む。

「吉川の長男は1か月前に死んでいる」
 

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