辻風

14.あの人も知らない事ね

輪っかが止まったら目を瞑れ。
誰かを殺してしまわぬように。
目を瞑ったらその先は?
瞑れば誰かを殺さなくてもよくなるの?
輪っかが止まると、どうして誰かを殺してしまうの?

胸の奥が熱い。輪っかが止まっている。心臓が感じたことのないくらいとても早く動いてる。輪っかが止まっている。ふわふわと地面が揺れているような気分がする。輪っかが止まっている。腕や足が自分の物じゃないみたいに軽く感じる。輪っかが止まっている。薄暗いはずの部屋がやけにきらきら輝いて見える。輪っかが止まっている。なんだか開放的でとっても気持ちがいいね。輪っかが止まっている。瞼なんて縫い付けられたみたいにおりてこないよ。輪っかが止まっている。白いペンキをぶちまけたみたいに目の前が真っ白になる。輪っかが―……あれ、おかしいなぁ。なにも、見えない。

「もう会えないみたい、悟」

*

黒くて重い小さな世界。帳を下ろすといつも思う。世の中から断絶した化け物が詰め込まれたこの小さな世界はなんて重くて汚くて悲しいんだろうって。

今日の相手はまあまあ雑魚だった。呪具を扱う以上どうしても近接戦闘中心になってしまうけど、冥さんみたく美しい筋肉は生憎持ち合わせていなかった。疲れたなあ。ビキビキ唸る背中を伸ばしながら新田ちゃんのいる待機場所に戻った。帳が開いたそばから差し込む光が目に痛い。黒いブラウスが日を吸って暑くってしょうがない。冷房のよく効いた車の助手席に乗り込むと、新田ちゃんが何やらニコニコしていた。

「すこし早めの誕プレっス!」

手のひらを出すよう言われ、されるがままにしていたら小さな包みがのっていた。パステルカラーの包装紙に書かれているロゴは有名ボディケアショップのもので、大きさと重さからしてきっと私が愛用してる石鹸だった。

「え〜、ありがとう!まさか誕生日を祝ってもらえるとは……」
「日頃の感謝の気持ちっスよ。紗希乃さんにはめちゃくちゃお世話になってるんで!ちなみにお店は五条さんに聞きました!」
「だろうね。私のお気に入りの石鹸でしょ」
「正解!さすがにアイテム名までは聞き出せなかったんでカタログ見せてそれっぽいのを教えてもらった感じっス!」
「フフ。そのプレゼントの仕方いいね、困られないし今度から参考にさせてもらおう」

ゆっくりと動き出した車のシートに身を預ける。交流会はどうなったかな。スマホを取り出してみれば、悟からのメッセージが数件きてた。なになに……『高専が特級と呪詛師の襲撃受けたから帰ってきたら手伝って』……襲撃?

「新田ちゃん。高専から連絡あった?」
「特に何もないっスけど……」
「ちょっと巻きで帰ってもらえるかな。ちょっと面倒ごと起きてるみたい」
「了解っス!」

新田ちゃんに報告が降りて来てないってことは小規模だったのかも。悟の言う手伝って、って言うのが気になるところだけど。わかったよ、とメッセージを打つと、『気をつけて』と短く返って来る。近道を通って帰ろうと行き先を変えてもらったけれど、結局渋滞にはまって時間をロスしてる。大通りで信号待ちしてた方がよかったな、失敗した。

「紗希乃さんと五条さんはいつになったら籍入れるんスか?」
「へっ……?」
「事実婚って今時わりといるっスけど、別に二人とも籍入れたくない派じゃないでしょ?」
「ん〜まぁ。入れたくないわけではない」
「ホラ。二人とも家柄的に難しいのかもしれないっスけど、そんなこと言ってたらいつまでも入れらんないス」
「ん〜〜〜でもなぁ」
「何か気がかりあるんスか?」
「悟とは一緒になりたいけど、五条家に入るのは気が重い」
「御三家っスもんね。でも、五条さんで持ってるような家なら五条さんがきつく言えば何とでもなりそうっスけど」
「……子供つくれって言うもの。絶対」
「あー……当主ともなると確かにその問題はどこもあるあるっスねぇ」

あるあると言えばそうなんだけど、問題はそこじゃない。新田ちゃんが「やっぱ難しいんでしょうねぇ、名家は」なんて呟いているのをよそに窓の外を眺める。私の気が重いのは子供が欲しいと思えないから。子を作れと責め立てられてたって、できるかどうかなんてわからない。第一、悟と私の子がどの術式を継ぐかがわからない。彼と私と同じ力をもつ人間は100年以上この世に存在してなかったのだから、突然2世に渡って同じ術式が生まれるわけない……けど、わからないのだ。私達が年近く生まれたように、前例のないことが起きてしまったら……。

「五条さんにはそれ言ってあるんスか?」
「……子供の事?」
「そうっス。お世辞にもあの人が子育てしてるイメージは全く沸かないっスけど、紗希乃さんとの子だったらわからないじゃないっスか」
「子供の話はしたことないかも」
「ちゃんと話しといた方がいいっスよ〜」
「うーん……」

子育てしてる悟が想像できないのは私も同じだった。私自身がしてるのも全く想像できないんだけど。あのでっかい身長で高い高いされたら赤ちゃんは泣き喚いて止まんないだろうな。あやしたりはしてくれるかも。それでもオムツ替えたりはしなさそう……できる?無理じゃない?してるとこ見てみたい気はするけど。

「まぁ、でも。ただ好きでずっと一緒にいるっていうのも全然アリだと思うっス」

いつの日か、ある人に言われた言葉が甦る。『―……君が悟を好きだと思う事だけで充分一緒にいる理由を満たしていると思うとも』年齢も性別も違うけれど、悟と比べたらほんのちょっとの間しか一緒にはいなかったけれど。きっと、私になんて声を掛けたら良いのかわからなくて絞り出した答えだったんだろう。世間知らずで我儘な私はそれに縋りついて今まで生き延びた。

「そう言ってもらえるとね、生きててよかったって思えるんだよ」

私と悟の呪いにも似た繋がりを第三者から肯定してもらえることがどれだけ有難くて、嬉しいことだったのかあの人は知らないまま。ちゃんとお礼を言えてなかった。言っておけばよかったね。今更こんなこと悟に言えやしないけど。
 

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