辻風

12.白煙のもたらすものは

15歳を迎えた冬だった。その訃報は年の瀬を前にその日中に御三家を駆け巡り、翌日には呪術師の間に広く知れ渡っただろう。すぐに紗希乃に会いに行こうとしたけど、腐った大人たちの顔が浮かんでその通りに動けなかった。いつもはガキだのなんだの陰で言っている癖して、こういう時ばかり奴らは五条の顔として見る。ふざけんじゃねぇ。そう言って全て誰かに投げ捨てて紗希乃の所に行きたい。……だけど駄目だ。大人になんてなりきれないけど、背伸びをしないと足元を掬われる。御三家に仕えることの多い吉川家の訃報ときたら呪術師のパワーバランスが少しとはいえ動いてしまう。奴らが気にしないわけがない。紗希乃の今後に考えが及ばないわけがないだろ。もどかしく苛立ちを隠しきれないまま、ようやく紗希乃のいる離れの和室の引き戸に手をかける。

「紗希乃!」

静かな部屋に響いた俺の呼びかけに、紗希乃の方がはねた。部屋の隅で泣きじゃくるアイツを見つけて近づけば、縋りつくように倒れ込んでくる。一緒に倒れ込みそうになるのを踏みとどまって抱きかかえた。秋になる前に偶然拵え直した喪服に、涙で染みができていく。

「お祖父様、死んじゃった」
「うん」
「わた、わたし、最期に……」
「……うん、最期に?」
「あの人の呪力をっ……!」

これからのことばかり気になって一人で苛つく俺と、目の前のことが消化しきれてない紗希乃。見たことがないくらい紗希乃の顔がぐちゃぐちゃで、何だかいけないものを見ている気になってしまった。お前、爺さんのこと好きでもなかったんじゃないのかよ。なんて酷いことを内心毒吐く。わかってんだよ、理由なんてさ。嫌いなんて言ってなかった。好きじゃないけど無関心じゃない。紗希乃はそれ以上求めなかっただけだ。顔はなんともないのにぐちゃぐちゃと苛立ちが止まらないのを気付かれないように、紗希乃の後頭部を支えて自分の胸元に押し付けるように抱きしめる。彼女が話す度に吐いた熱が俺の胸に集まってきて、どう受け流したらいいかわからなくて、それが余計にむしゃくしゃする。不意に後ろに感じた気配に頭だけ振り向いてみれば、一日中走り回ってたらしい紗希乃の世話係がやってきた。

「五条様、お待たせして申し訳ございません。ご焼香の番が……」

喪服を握りしめる紗希乃の力が強くなった。すぐ戻るから、とゆっくり指を解く。世話係が急いで布団を敷いていくのを待って、その上に転がすように寝かせた。……左手首を回っている呪具の回転がいつもより早い。布団の上にうずくまる紗希乃の頭を撫でてから掛布団を引っかけた。





形ばかりの焼香をして、爺さんの穏やかとは言えない死に顔を眺めてきた。実際心配事は山ほど遺して逝きやがったあのジジイ。

「悟」

吉川本邸から離れへ向かう途中。渡り廊下の突き当りにいたのは、紗希乃の一番上の兄だった。いつからか勝手に名前を呼ぶ馴れ馴れしい奴。

「次期当主候補が何してんの」
「だからだよ。息抜きくらいさせろ」
「紗希乃は?」
「寝てる」

離れの広間にある障子と雨戸を一面だけ開く。僅かな月明かりが差し込むだけのそこで、互いに適当に座った。明りをつけて本邸の使用人たちに何か勘づかれたら面倒くさい。

「爺さんは本当に老衰なわけ」
「ありゃどう見ても老衰だろ」
「紗希乃が最期に爺さんの呪力を吸ったって泣きじゃくってたけど?」
「祖父様が渡してきただけだろ。うちの術式は譲渡できても吸い取ったりはできん」
「ハァ?じゃあ、ただの孫可愛さってやつかよ」

なんてオチだ。あんなに目を泣き腫らして自責の念に駆られる必要が全くない。ただ少し気がかりなのは紗希乃が爺さんに数か月ぶりに面会できたのが最期の時になってしまったこと。紗希乃の親父から嫌がらせのようにずっと会わせてもらえないでいたはずだ。

「オッサンが面会を許可したのは本当にもう危なかったって理由だけか?」
「そこは何とも言えん。最期の力を振り絞って紗希乃に呪力を渡してお陀仏しましたってのを想定してたんだったら見事に大成功だろ」
「碌なこと考えねーなあの親父」
「紗希乃が殺したとか言い触らしていないだけマシだ。どのみち長くなかった」

殺すなら上手くやれって言っていた爺さんが実の息子に上手いこと殺されたってわけか。余計なことは教えるもんじゃねぇな。これからのことを思うとため息ばかり出てくる。紗希乃の親父と一番上の兄貴の2人は爺さんからの信頼に差があって、しばらくはそれぞれの派閥で次期当主の座争いが起きるはず。いけ好かない野郎だけど、俺の都合が良いのは断然兄貴の方だった。

「うちは跡継ぎの代が飛ぶことはあんまりない。だから次期当主は親父だろ」
「爺さんの遺書とかないの」
「書ききる前に逝った。跡継ぎに関しては記載がなかったね」
「一番初めに書かなきゃいけないことだろ馬鹿かよ」
「紗希乃のことだけ書いてあった」
「……爺さんの後悔ポイントがそこなわけね」

良かったんだか悪かったんだかわからん。死人の言葉を信じる人がいたとしても、実際に生きていく側の力が強ければ遺書なんてただの手紙と同じ。それこそ金の行き先とか次期当主とか死んだ直後を左右するものを最初に書いておかなければ効力なんて持続しない。

「しばらくは紗希乃に関する一切を俺が受け持つことになる」
「それって……」
「安心しろ。少なくとも俺は現行の法律で婚姻関係を結べる年になるまでは話を詰めない」
「つまり俺が18歳になったらすぐ籍入れるとかそういう話?」
「そんなの待ってられん。女の方が法律上早いんだ。紗希乃が16歳になった時点で結論を出す」
「結論ってもう決まってるようなもんじゃん」
「手放しでお前にくれてやれたら本望だけどな。紗希乃を手に入れて、その先の事を考えたら周りが諦められるような状況を作らないと……」
「五条になれば俺がいる限り何の心配もいらないでしょ」
「お前が紗希乃を一生閉じ込めておくってんならそれだけでもいいが」
「なんで吉川を出た後も籠ってなきゃなんないんだよ」
「それくらいしないと意地でも掴もうとしてくる奴らがいるだろ」
「他人の力に頼んないと強くなれないわけ」
「誰も彼もお前ほど力をもってるわけじゃねぇよ。わかってくれ」

わかんねぇよ。力があるから強いのは事実なのに、それが紗希乃と一緒にいる理由を邪魔してるってのが理解できない。弱い奴が悪いだろ。弱いのに他人に頼って力を得ようとするやつがどう考えたって悪い。悪くて、狡くて、卑怯だ。

喪服のポケットからゴトリと落ちた、奴の携帯がピコピコ光っている。電話が来ているのにサイレントモードにしたまま気づいてないみたいだった。仰向けになって、汚い声を出して唸っている。

「誰か呼んでんぞ」
「知ってんだよ。逃げて来てんだからよ」
「流石にもうばれるだろ」
「ちっ……おい、悟よく聞けよ」
「あ?なんだよ」
「真ん中の弟は紗希乃に興味がねぇ」
「知ってるけど」
「1級に上がりたくてしょうがないが、うちの術式の性質上難しい」
「お前なってんじゃん」
「一番下の弟は、非常にわかりやすい事なかれ主義。紗希乃のことはアイツなりに可愛がってる。そしてそこまで強くない」
「……無視ィ?」
「加茂の妾の男子は禪院の双子と同い年だ。赤血操術を継いでいるかまだ不明。あと1・2年すればわかるだろう。禪院は分家出身の男に子供がいないか探してる。実際いるかどうかもまだわからんが子供がいてもおかしくない年の男が外にいる」
「紗希乃が先に16歳になるか禪院と加茂が後継者を用意できるかどうかのレースってわけね」

光り続ける携帯を横目で見てから「うるせェ」と手で握ったかと思ったら、バキン!と大きな音が鳴った。ただの鉄くずになった携帯を放り捨て、起き上がった奴はそれらを指差した。

「器に合わない量の呪力を込めたら簡単に壊れる」

お前は六眼があるから言われなくても理解できるよな。くずを拾って、指で捏ね繰り回しながらそんなことを呟く声はこれまでにないくらい静かだった。

「うちの術式は、普通の呪力持ちが器に満タンに込める呪力量よりも多く込めることができる。理屈はお前なら見えんだろ?俺たちは譲渡する先に自らの呪力を圧縮した核を作ってるんだ」
「紗希乃は丸く捏ねてくっつけてるよ」
「あいつは雑なんだよ。そんな消しカスみたいにできるもんじゃねえ」
「裏を返せばそんなもんでできてるってことか」
「そういうこと。そりゃあさ……欲しくもなるよなぁ」

同意を求められたわけじゃなかった。それでも、力があれば悩みが減るとでも思われてる気がして、朝より落ち着いていたはずの苛立ちが顔を出す。顔を見ないようにして、ぼうっと壁を見つめることに集中した。視界の端でブンブンと頭を振った紗希乃の兄貴は、ゆっくり立ち上がる。

「今度ケータイショップ付き合えよ」
「は、無理。デートすんなら紗希乃とがいい」
「ハハ。違いない。まあ、アドレスくらいはお兄さんに教えろよな」
「アンタが次会う時まで生きてたらな」
「確かにそうだ」
「これから数年以内に死んだら、どんな死に際だったとしても呪術師を全うしたんじゃなくてお家騒動って思っとく」
「うん。十中八九そうだろうな。俺が死んだ時用プランも考えるとして……」
「なに、怖くなった?」
「……いや。ちょっとな」

気になる事を思い出したからやっぱり連絡先教えろ。と半ば脅迫に近い物言いをされて、結局俺は教えてしまった。仲良くなろうとしてるわけじゃない。したくもないしできやしない。この人もただ、力に翻弄されるだけの人間だから。

「春になる前にまた会おう」

勝手な約束とずっと鼻先から離れなかった線香の匂いが結びつく。線香を前に話すことなんか、いつだって明るくないどこか夢見がちな理想と本当にあったかどうかもあやしくなってしまった綺麗な思い出だけだった。苛立ってた気持ちが、少しずつ落ち着いて馴染んで消えていく。きっと、春になる前になんか会えやしない。紗希乃と似ている目元を細めるその人を見て、なぜだか確信してしまった。
 

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