こうばい

今日はおやすみ。いつもだったらおばあちゃんに借りた本を持って、研究室の隅っこで勉強してる。だけど今日はちょっと楽しみな予定が待っていた。数日前からぽつぽつと続いているメッセージに載っていた場所を目指して初めてこっちのバスに乗ってみたり、地図を見ながら歩いてみたり。普段と違う行動をしてるだけでも新鮮なのに目に入る景色がちかちかと焼け付くようにわたしの目を刺激した。目新しい景色に影響されただけじゃない、住み慣れた日本を離れて3か月。すこし遅いかもしれないけどようやく落ち着いて周りをみることができるようになった気がする。……なんて、気がしてるだけ。やっぱり寂しいものは寂しいんだ。わたしはこんなに寂しがり屋だったかなあ。

潮の香りが漂う。風が強いそこは、わたしが一人だったら来るつもりなんてさらさらなかったところだった。

「よう!久しぶりだな吉川!」
「……なんか思ってたよりも普通に吉田くんだね」
「どういう意味だ??」

3カ月ぶりの吉田くんは謎の木の枝を振り回しながらやってきた。海の男になった吉田くんを勝手に想像してたから、普通の恰好をしている吉田くんが現れてちょっぴり拍子抜けしたのは秘密にしておこ。……あれ、海の男じゃなくて海の向こうだったっけな。夏目さんのブレブレな情報と伊代ちゃんの中二病満載の報告だけじゃわたしに正確な情報は下りてくるわけないか、と「これ強そうだろ!」と枝を振り回す吉田くんを眺めながら思った。

「それにしても急に連絡が来るからびっくりしたよ。ここ、わたしの住んでるとこから確かにまあまあ近いけどさ」
「夏目とササヤンからの任務だ!」
「任務?」
「そー。吉川の生態を調べてこいってな!」
「生態って」

どうやらこっちに来てからわたし自身を目にすることがなくて少し心配してたみたい。まー、確かに自撮りとかしないしね。一緒に写真をとるような友達ができたわけでもないし。あ。ツーショット撮るの?

「これって水谷さん怒んないかな」
「なんでだ?」
「仮にも人の彼氏さんと二人で会って写真撮ってさ、どうなんだろうこれ」
「シズクはチャット見ねーから平気だ!」
「チャット……?」

木の枝を持っていると思った吉田くんの手にはいつの間にか自撮り棒が握られていて、さっきの木の枝は地面にぶっすりと刺さっていた。うわっ、ていうか吉田くんなにも合図もなしに撮り過ぎじゃない?潮風と共にカシャカシャ聞こえるんだけどどれだけ連写してるの!

「ねえ、吉田くん、待って、」
「うおおおスゲーな吉川!風で髪が逆立ってんぞ!」
「いやそれ普通に恥ずかしいから!消して!」
「ほらこの枝持てよ、きっと最強にかっこよく写るぞ!」
「えっ……、いやちょっと待ってほんとにさ!わたしネタ写真撮るつもりはないんだよ」

シズクならきっと喜ぶのに、と少しだけしょんぼりしてる吉田くんにさっきの枝を無理やり返却する。水谷さんと似てるとかなんやかんやあったけどもそこまでは流石に似てるわけないでしょうが。撮れ高はそこそこだと満足げに笑う吉田くんの隣りでわたしは一人ぜえぜえと息をあげていた。なんだかものすっごく振り回されてる。それでも、じんわり懐かしい気分がするのは気のせいじゃない。





すこし緩やかになった潮風を相変わらず全身に感じながら浜辺にある岩に腰かけた。吉田くんは砂浜に落ちているワカメをびろーんと拾っては近づいてくる波に向かって投げつけている。向かい風だから、長さのあるワカメを投げつけても全然遠くに飛んでない。ていうかこれワカメであってるのかな。もしや昆布か。

「そういや吉川決めたか?」
「なにを?」
「卒業したらまたアメリカ来るか、そのまま日本の大学行くか決めるとか言ってた気がすんだけど」
「あー、その話ね……」

わたしが言葉を濁している間も吉田くんは何度も海へ手を動かしていた。

「日本にいた時にもう決めてんだと思ったけどなー」
「ちなみにそれはどっちを選ぶと?」
「んなもん知るか。決めてんだろうなって思っただけだしな」
「……どうしてそう思ったの?」
「なんとなくだな!」

ワカメだけを投げ続けていた吉田くんが小さな石を拾って、それにワカメを結び始めた。ぬるつくそれが上手くかみ合わないのか、落っこちては拾って何度も同じことをくり返す。

「オレ、シズクやみんなのとこから離れんのちょっと迷ったんだよ」
「それは迷うでしょ。わたしも迷ったし」
「お前迷ってたのか?ウソだろ」
「なんで疑うの」
「お前もシズクもスパーンと切り捨ててくじゃねーか……!」
「まるでわたしたちが無慈悲な人間だとでも言いたいみたいだね?」

そんなことは言ってない。とすこし焦ったように吉田くんは目を逸らす。あ、石がまたすっぽ抜けた。吉田くんは浜辺にしゃがみこんで砂を掘り始める。

「吉川の本当のところなんてオレはほんとひとかけらしか知らねーけど、自分ひとりで決めて、動くのって難しいだろ。でも、誰かと一緒にいるのだって難しい。ササヤンとか吉川みたいなやつはとっくの昔から知ってんのかもしれねえけど、オレは高校に入ってシズクたちと会ってから世の中には色んなヤツがいるって知ったよ」

吉田くんの堀った穴をゆるやかな波が撫でるように通り過ぎていく。さっきまでは見えなかったのに、白い角が砂から姿を現した。そっと拾いあげられる白はうすく平たい石だった。

「色んなヤツがいる分、色んな付き合い方があるって学んだ」

さっきまでうまく結べなかったワカメが今度は何となく結べているように見える。満足げに微笑む吉田くんが振り返った。

「オレとシズクはもう、付き合い方を知ってんだー。だから、離れてたって大丈夫」

石に括りつけられたワカメが風を切るように飛んで行く。すごく遠くへ行ったわけじゃないけれど、今までよりも確実に先へと進んでいた。

「お前らはどうだ?」

馬鹿にするわけでもなく責めるわけでもない吉田くんの笑顔が眩しい。わたしたちは、どうなんだろう。離れてたって大丈夫?そもそもわたしと賢二くんはそもそも近くなんてなかった。物理的な距離はさておき、気持ちの面では前より確実に近い距離にいると思ってる。というか思っていたい。それでもやっぱりわたしたちは まだ人としての付き合い方を探っている途中だ。

ポケットに入れたスマホが短く振動した。見ねーの?なんて吉田くんにせっつかれて、風ではためく洋服を押さえつけてスマホを取り出した。到着したメッセージの通知に並ぶ文字に疑問しかわかない。

『お前、いつ髪切ったの?』

メッセージの送り主は見間違えることなんてない。まさにこれからの付き合い方を模索中の相手の、賢二くんだった。髪って。いつと言われたらこっちに来てわりとすぐだけど。なぜにこのタイミングで髪の話に……あっ、

「吉田くん、賢二くんにさっきの写真送ったの?!」
「おー、ついさっきな」
「いつの間に…、ていうかどれ?どの写真送ったの?」
「だいたい全部送った!」
「ええっ、あの髪ボサボサのやつとかも?!」
「おう!」

何をしてくれてるの吉田くん!ケタケタ笑って再び木の枝を手にした吉田くんは、遠くにゴミらしき漂流物を見つけてそれを目指して走り始めた。賢二くんに写真は見なかったことにして消すように伝えよう……。恥ずかしい、おでこ全開で風に煽られてる自分を想像して穴があるなら入りたかった。ていうか吉田くん、賢二くんじゃなくて最初はわたしに送るべきでしょ……!賢二くんへ返信しようとスマホを持ち直したところで賢二くんから続けてメッセージがとんできた。

『去年の夏ぐらいの長さの方が似合う』

賢二くんは何の気なしに言ったはず。再会してからのわたしと今の写真を頭の中で見比べて客観的に思ったことなんだろう。そうだそうだ。賢二くんは女の子の扱いがうまいもん。わたしを女の子扱いしてるかはわかんないけど。

「吉川、しゃがんで何してんだ?」
「気にしないで吉田くん。わたしはいま心を落ち着けようと必死なの」

深い意味なんてなくたっていい。何となくで思ったことだっていいの。好きな人から向けられた言葉や声は何だって嬉しいんだ。



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