かんゆやけ

賢二くんと電話をしたあの日、クラスメイトの男の子にわたしは悪戯されてたみたい。みたい、というのはわたしのスマホには証拠も何も残ってないけど賢二くんが直接連絡きたと言ってたから。内容はすこしも教えてくれなかったけど、油断してんじゃねーよと叱られた。油断って言われてもなあ。ほんとにいつの間に……あ、スマホ忘れた時か。

「変にしつこいやつは適当に笑って流しとけよ」

最近よく話しかけてくるんだよね、とちょこっと相談してみると賢二くんから真面目に答えが返ってきた。それはもしや経験則でしょうか、なんて茶化せないのは面と向かって話ができないせいだ。なんだか怒ってるような声の気がするけど、怒ってる?なんて聞いたら怒ってなくても怒らせちゃいそう。それから続くちっちゃなお説教すら嫌な気分にならないのは久しぶりの賢二くんの声に耳が麻痺してるからかもしれない。いい声だなあ、なんて上の空で賢二くんの小言を拾い続けた。

「聞いてんのか紗希乃」
「え、あー、うん。聞いてたよ」
「嘘つけ」
「ほんとだよ」

声はちゃんと聞いてたよ、なんちゃって。

*

賢二くんと電話をした次の日。あの男の子はいつも朝から目の前に現れるのに今日はそんなことなかった。教えてもらったアドバイスを実践するまでもなかったなあ、なんて思いながら一日を過ぎていく。今日は研究室に寄って借りた本をつもりだったから普段よりも重い荷物を抱えた時だった。ふらりと現れたあの男の子がばつが悪そうに謝りはじめた。

「ごめんね紗希乃」
「……彼に何か言われたの?」
「それは僕の口からは言わないよ」
「というかそもそもどうして賢二くんに連絡とったの?」
「単純に気になったのさ。勉強以外に興味無さそうで、SNSもやってないのに紗希乃はよく写真を撮って誰かに送ってるから誰なんだろうって」
「写真が趣味かもしれないのに」
「どうみてもそういう風には見えないね!」

がり勉だのなんだの日本じゃよく言われていたけど、まさかこっちに来てまで言われると思わなかった。勉強にしか興味ないなんてことはないって言っても信じてもらえない。……同じくらい興味があることを言ってみてと言われても難しいのは確かだけどさ。謝ったら満足したのか、毎日のようにちょっかいを出して来た男の子はどこかへと消えていった。賢二くんは彼に一体なにを言ったんだろ。



勉強が好きとかそういうことは一旦おいとく。わたしってそういえば趣味らしい趣味ないのかもしれない。平均的な女子高生だったけどそれは友人や伊代ちゃんたちがいつも周りにいてわたしを引っ張ってくれていたからで、それがなければわたしは本当にがり勉だったのかもしれない。

「どう思います?」
「趣味とかなくてもいんじゃない?やりたいことのためにこっち来たんでしょ」
「まあ、そうなんですけど……」
「そんなに気になるんならこっちで同じような友達作りな。こんな大人ばっかのとこ来ないでさ」

おばあちゃんお抱えの研究室の端っこはいつのまにかわたしの勉強スペースになっていて、研究の合間にご飯を食べる研究員の相手をするようになっていた。わたしが晩御飯に食べようと思って持ってきたおにぎりと研究員のお姉さんが買ってきたバーガーをトレードしてお互いにもしゃもしゃ食べてる。久しぶりの美味しい米……!と喜んでるこの人も日本人だった。もしもわたしが高校卒業後にこっちに来る道を選んだとしたら、わたしはこの人みたいな生活をすることになりそう。研究が恋人の日本食を常に恋しがってる女の人。

「同じような友達、かあ」

あれ。同じようなって結構ハードル高くないかな?わたしの友達を指折り数えていく。幼等部から一緒の子たちに松陽での友達に、夏目さんや水谷さんやササヤンくんに吉田くんに大島さん…。途中で指折りするのを諦める。彼らは濃すぎるから、同じような人なんて無理だ。同じ人数揃えたところで満足度は低そう。それに伊代ちゃんもいないし。賢二くんみたいな人だってもっといない。

「あ、噂をすれば夏目さん」
「夏目さんって、あのかわいい子?」
「そうですそうです。頭の中もある意味かわいい」
「それってバカにしてるだけよね?」

ヘルプです、たすけて、ヘルプミーーー!!!と一向に用件を伝えずにヘルプを並べているだけの夏目さんからのメッセージに思わず電源を落としそうになった。ちょいっと画面を覗き込んでげらげらお腹を抱えて笑ってくれる人が隣りにいるから辛うじてそのままでいれたけど、一人だったら即見ないふりをしてると思う。夏目さんしつこい!
どうしたの、とだけ返すとすぐさま返事が返ってきた。

『ハルくんが海の向こうに行くって言うんです!!』

向こうっていうか、海の男になるんじゃなかったっけ。マグロ漁に出るとか言ってた気がするんだけどそのことかな。大丈夫だって吉田くんなら活きの良いおっきなマグロを獲ってくれるよ、と伝えたらどうやらマグロ漁じゃないみたいだった。何でも知り合いの研究についていくとか。

『吉川さんもハルくんもみんな研究研究って言うけど、研究はそんなに大事なんですかあああ』

文字でしかないけれど、脳内で半べそをかいてる夏目さんが簡単に想像できちゃって思わず笑っちゃった。あー、なんか前にも似たようなことあった気がする。勉強と友達どっちが大事なのっていうやつ。

「どーしたの。やっぱり面白い子なのね夏目さんって」
「はい。やっぱり面白いです、いつだって変わらなくて」
「うんうん。変わらないのがいいこともあるよねえ」
「研究はそんなに大事なんですか、って言われました」
「あはは。ふつうに大事だよね、世の発展を考えるとさ。それでもその子はそんなスケールの話をしたいんじゃないだろうけどー」

世の発展なんかどうでもよくて、周りの環境が崩れることが嫌なんだろうな。だからあのヘルプの連続をわたしに送ってきたんだろう。わたしに送られても困る。どっちも大事だと返信してから静かになったスマホに連続で返って来たのは意味不明な夏目さんの言葉たち。『っあ!等価k』『等価交換しましょう!!!!』『ハルくんが海の向こうへ行くのであれば吉川さんを日本に戻せばオッケーです!』合間に感激しているスタンプがいっぱい飛んで来てる。

「なんにもオッケーじゃないんだけど……?!」
「あっははは!いいなあ、紗希乃ちゃん」
「なにがです?」
「その子からしたら、紗希乃ちゃんは変わって欲しくないものの一つってことでしょ?変わらないでいてねって望みに応えるかは別として、何かを自分に望んでくれる相手がいることってとても素敵なことよ」

夏目さんだけじゃないけど、アメリカに行くことになってから行かないでと言われることはたくさんあった。それにちょっとだけ面倒くさいなって思ってた自分もいたことは確か。もしそれが何も言われずに、ただただ見送られてたらどうだったんだろ。……それってすごく寂しいかもしれないなあ。

「帰ってきてって言ってくれる人たちがいっぱいいて良かったね」

本当にわたしは幸せ者なんだろうな、なんて思いながら夏目さんへとりあえず猫のスタンプだけ返しておく。そもそも等価交換の等価の時点で成り立ってないよ、とも返すと涙を流すスタンプが何個も送られてきた。いやほんと夏目さんスタンプ押し過ぎでめんどくさいなあ。



prev next



- ナノ -