こおりばし

喧嘩らしい喧嘩をしたことのなかったわたしたち。初等部の頃のたった一度きりの喧嘩で、わたしは賢二くんに本当に嫌われてしまったのだと思った。わたしは嫌われたのが悲しくて、無意識に賢二くんを好きだったことや、賢二くんと過ごした楽しかったことをそうっと仕舞いこんでいた。

「どうせ、今も変わってないんだろ」

嫌っていたわけじゃなかったことを、1か月ほど前に賢二くんから説明されて少しだけホッとしていた。ほんの、少しだけ。

「はー、どうして諦めちゃったんだろうね、わたしは」

賢二くんに嫌われたと思って、同じようにつっぱねて諦めた。再会してから好きだったことに気付いたのに、水谷さんの代わりになりたくないから諦めた。何で来るなって言うの?って確かめに行けばよかったのに、わたしを見て!って何か行動をすればよかったのに。わたしは何かをする前にいつでも諦めてばかりだったんだなあ。
賢二くんが座っている階段より2・3段上に座って膝を抱えて座る。賢二くんのつむじを見るのいつ振りだろう。わたしは小っちゃい賢二くんと、今のおっきい賢二くんしか知らない。いつ声変わりしたのかとか、いつ頃から急に背が伸びたのだとか、なにも知らない。諦めてさえいなければ、どれもこれも当たり前のように知れたのかな。

「…あのね、」

わたしの声に、賢二くんは振り向こうとしたのかちょっとだけ頭が揺れる。それでも、さっき振り向かないで欲しくてわたしが頭を押したことが引っかかったのか、振り向くことはなかった。ありがとう賢二くん。きっと今、わたしは可愛くないしひどい顔をしてる。見られたくなんかない。

「なに。」
「わたし、いっつも羨ましがってるの。」

水谷さんも伊代ちゃんも、吉田くんも、夏目さんもササヤンくんも。みーんな羨ましい。

「自分にないものを持っている人を、いいなあって思うんだ。」
「そんなの誰だって思うコトじゃねーの。金も将来も持ってるお前を羨んでるやつなんてごまんといるだろ」
「うん。だけどみんながみんな、羨むだけのすぐに諦めちゃう人じゃないんだよね。わたしの周りはそんな人がいっぱいいるの。だからそんな風になりたくて、少しでも変わろうって思ったんだ。」

前を向いたままの賢二くんが、長く息を吐いた。息は白く色づいて空へ登っていく。

「お前は全部を諦めたのかよ」
「え?」
「だから、何もかも諦めてたのかって聞いてんだ」
「何も、かも…?」
「少なくとも、オレが知ってる昔のお前も今のお前も全部を諦めてるようには見えないね。お前んとこのばーさんと同じ仕事がしたいって言ってたこと、オレは
覚えてるし」

賢二くんの言葉と一緒に、ぶわあっと昔のことが頭の中に蘇ってきた。小さい頃、画用紙いっぱいにクレヨンで描いた絵。白衣を着た賢二くんとわたしが仲良く手をつないでいる。『けんじくんはおいしゃさん、紗希乃はおばーちゃんのおしごと!』バランスの悪いカラフルな字が並んでいた。

「お前がいつの間にかオレより小さくなって、小難しい本を読むようになったって、お前はオレの中でずっと変わんねーんだよ」

ずっと変わらない?本当に?目線も遠くなって、前よりも全然会わなくなっても、本当に本当に変わらないの?

「げ、げんじぐん…!」
「なっ?!」

目頭がぐんと熱くなって、気付けばボタボタと涙があふれてきた。しゃくりあげそうになるのを耐えたら、喉が震えてひっどい声で賢二くんを呼んでしまった。ぎょっとしている賢二くんが振り向いた。涙でぐちゃぐちゃのわたしを見て、かなり驚いてる。

「なんで急に泣く!」
「だっ、だって」
「突然立つな!」
「だって〜」

ハンカチは?と聞かれたけど持ってないから首を振った。そうしたら、舌打ちと共にテッシュを一枚鼻へ押し付けられた。ありがたくもらって鼻をかむ。

「賢二くん、」

「わたし、もうどれも諦めたくない」
「おう」
「義務とかじゃなくて…おばあちゃんのお仕事継ぎたい。それで、ちゃんとわたしに合う大学を選びたい。だから、そのためにアメリカに行く。」

きっかけは周りが与えてくれたものだけど、それでもわたしは自分でそれを選んで、自分で考えて最後の決断をしたい。

「あとひとつ、諦めたくないことがあるの」
「…なんだ?」

何度も、自分が傷つかないようにしてきた。諦めると断言していなくても、心のどっかでは諦めようとしてたんだろう。でも、やっぱり悔しい。諦めたくなんてないよ。


「賢二くんのことが、好きです!」


黙っていてごめんね。ずっとずっと前から君のことが大好きでした。

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