りょうや

今日は休みで本当によかったと思う。昨日は何だかんだと考え込んでしまってあまり眠れなかった。何度もこみあげてくる欠伸をかみ殺しながら、リビングに降りていく。紅茶のいい香りがして、ぼんやりとしながらも香りの元に歩いて行った。


「まあ、すごい寝癖!」
「……」
「待って待ってすぐに戻ろうとしないでお姉さま!」

色素のうすい髪と、昨日の夜に考え事していた原因そっくりな顔が視界に入ると反射的に体は部屋に戻ろうとしていた。なんで朝っぱらからここにいるの伊代ちゃん。リビングから出ようとしたわたしを伊代ちゃんが慌てたように止めにやってくる。


「……なんで?」
「何だか前にもこんなことありましたね」
「うん…我が家の人間はどうして客が来ても起こしてくれないんだろうね…」

くすくす笑いながら伊代ちゃんが手櫛でわたしの髪をすく。まるでペットになった気分で不思議な気持ちだった。山口家で飼われるのって色々と大変そうだなあ。そんなことを思いながら、髪の毛はされるがままにしてリビングにあるソファに腰かけた。だらしなく、背もたれにもたれかかり、伊代ちゃんはその隣に座って髪を直している。そんなの後でするからいいのに。そう思いながらもぼうっとすることにした。眠い、とても眠い。ふと、視界に入ったテーブルを見てあることに気付いた。


「あれ、カップが3つ?」
「ああそれは…」

伊代ちゃんが答える前に、廊下からぎゃあぎゃあと聞きなれた声がした。「見てください彫刻がありますよ!美術室のやつよりも高価そうです!!」…これはまさか…「そりゃーそうでしょ、学校に飾ってあるのなんてたかが知れてるって!」間違いなくあの二人の声だ。


「伊代ちゃん…?」
「睨まれても困りますお姉さま。伊代は何にも悪くないですもの!」
「連れてきたの伊代ちゃんでしょ」
「そうですけれど、お家に入れてくれたのは高橋さんです」

高橋さん。家で雇っている家政婦さんの一人である。ママが仕事で家を空けるときに仕事をしにやってくるおばあさんなんだけど…なぜ家に入れた……。頭を抱えて唸ると、伊代ちゃんが頭をポンポン撫でてきた。原因はあなたも含まれているのよ気付いてるかい。バタバタとあっち行ったりこっち行ったりしている足音が徐々に近づいてきた。探検をするのもいいけれど、ちゃんとわたしの目の届く範囲でやってほしいなあ。


「ひぃっ!吉川さん起きてたんですかあ!びっくりしたじゃないですか!」
「人の家に上がり込んでおいてその言いようはないと思うんだけどなあ」
「朝っぱらからごめんね吉川さん、夏目さんがどうしてもってきかなくて」
「お二人がお姉さまのところに行きたいって言うので伊代がお連れしました」
「すみません、昨日のことどうしても謝りたくって…!」

リビングのドアで驚き固まっている夏目さんとササヤンくん。わなわな震えながら近寄ってくる夏目さんを見てさらに頭がいたくなりそう。ササヤンくんが困ったような顔をしながら夏目さんの襟首を引っ張っていなかったら飛びかかられていたかもしれない。そのくらい夏目さんの目は据わっていた。ふつうに怖いんだけど!
そういえば、昨日のあの件の後に夏目さんからの謝罪メールが何通も送られてきていて、怒っていないと告げてもメールが止まることがなかったからスマホの電源を切っていたような気がする。あれでも謝り足りなかったのか。まあ、余計なことをしてくれたとは思うけど、それがなかったからとしても賢二くんが水谷さんに告白しに行ったという事実は変わらない。だから夏目さんを責めたところで何にもならないから、正直どうでもいいんだけど。

「本当に、すみませんでしたあっ……!!」
「うわ、泣いた」
「うわって失礼ですよ佐々原先輩」
「べつに怒ってないよ」
「嘘ですだって顔がコワイ!」
「お姉さまは寝起きなので普段より目つきが冷ややかなだけですよ、あさ子先輩」


にんまりと笑いながら「そうですよね?」と問いかけてくる伊代ちゃんに適当に頷いておいた。わたしは別にそこまで目つきが冷ややかなつもりはないけど、昔からお泊りした伊代ちゃんにそう言われている。目つきがかっこいい…!とぷるぷる震えていた伊代ちゃんにドン引きしたことがあるのは秘密です。


「まあ、強いて言うなら突然押しかけるのはやめてほしいかな」
「連絡しましたよ!それでも吉川さんは返してくれないんですもん!」
「あー、電源切ってた」
「なんでそんなミッティみたいなことするんですかー!」
「……」
「あ、夏目さんヤバイってそこ」
「シズク先輩と喧嘩でもしたんですかお姉さま?」
「喧嘩はしてないよ」
「ほんとに…!ほんとにごめんなさい吉川さん…!」

センサーで察知したように自分の眉毛がぴくり、と無意識に吊り上がったことがわかった。過敏に反応しすぎでしょ自分。溜息をついてしまって、泣きべそをかいている夏目さんはまたもや謝ってきた。ちがうと言ってもきっと泣くんだろうな。

「わざわざ来てくれてありがとね。まあ…昨日の事はわたしがどうにかできる範囲のことじゃないんだからそんなに謝らないでよ」
「うう…吉川さん…!」
「はは、どのみち泣くのね」
「また伊代だけ除け者……2年生の勉強ってそんなに難しいんですか?」
「へ、勉強?」
「何をしらばっくれてるんですか佐々原先輩!前にお姉さまから聞いたんですよ、あさ子先輩の成績がとうとうやばくてお姉さまやシズク先輩たちで勉強を教えてるって。きっと、テスト期間に入ってシズク先輩の勉強量についていけなくなったんでしょう?」

そういえば、伊代ちゃんにそんなことを言っていたような気がしないでもない。夏目さんとササヤンくんの視線をひしひしと感じながら、何とかうまく乗り切ってくれるよう祈って、わたしはソファから立ち上がった。そういえば、まだパジャマだった。ササヤンくんいるけど…まあいいか。べつにお互い意識する相手でもないし。そのことを考えていたのが伝わったのか、ササヤンくんがニンマリ笑う。


「なんか、思ったよりもかわいーの着てんね!」
「なっ、ササヤンくん!何を言ってるんですか!」
「いや、だってうち男兄弟しかいないしみんなジャージで寝てるし」

なんだか不潔なものを見るような目で夏目さんと伊代ちゃんがササヤンくんを見ているのは置いといて。わたしもさっさと着替えないといけないな。

「わたしこの後に用事があるんだけど三人ともどうする?」
「吉川さんと遊ぼうと思ってたのに…!」
「えっ、オレ謝るのが目的だと思ってたんだけど」
「伊代はママとお出かけする予定があるのでもう少ししたら失礼しますよ」
「ええ伊代ちゃんまで〜!」
「とりあえず遊ぶのは今度にしようか夏目さん」

また別の意味で泣きそうな夏目さんをなだめて、わたしは部屋へ戻って着替えることにした。というか、謝りに来てその後そのまま遊べると思っていたことに少しびっくりだよわたし。結構図太いな夏目さん!部屋に戻って、スマホの電源を入れる。着替えている間に受信しつづけたメールはどれも夏目さんからだった。家に来る連絡が「今から家に行きますね!」というフランクなものだったことには目を瞑ろう。だって謝りに来たって言ってたもの、ただの好奇心だとは思わないでおこう。髪を整えて、昨日準備しておいた鞄を手に取りリビングへと降りた。

「伊代ちゃんもう帰ったの?」
「お母さんが近くまで来てたみたいでお迎えに来てくれたそうですよー」
「そっか。この前借りた本返そうと思ってたのになあ」
「吉川さんと伊代ちゃんってすごい仲良しですねえ」
「付き合い長いしね、ほんとの妹みたいなものだし。途中まで送るよ、帰り道わかんないでしょ?」
「助かる〜この辺りってあんまり来ないからさあ」
「周りに何にもないもんね」
「ひとつひとつの家が大きいのが恨めしいです…」
「はは。その分、主張が激しい人が多いのが難点ね。」
「あれですか昼ドラみたいな奥様方の井戸端会議!」
「それそれ。井戸端っていうか、どこかでランチしながらみたいだけど」
「立場が変わってもみんなやること変わんないんだね」
「そんなものじゃない?大きい顔して歩いてる人なんてその人自身の成功じゃないことが多いもの」
「はあ」
「カンタンに言うと、わたしのおばあちゃんはグループ会社を統率してる、いわば成功したポジションにいる人物だけど、孫のわたしは何にも成功していないのにふんぞり返ってる。みたいな感じね」
「吉川さんふんぞり返ってないと思うけどね」
「例えだよ」

家政婦の高橋さんに出かけることを告げて、三人で家を後にした。一番近い駅まで二人を送ることにして、家から駅までの道を三人で歩く。

「吉川さんの考えてることって何だか全部カタいというか真面目というか…何だか大人っぽいですよねえ」
「そうかなあ」
「わかんなくはないかも」
「ええ?」
「だって、さっきのおばあちゃんの成功の話だって別にいいと思いますもん。悪く利用する人もいるかもですけど、わたしのおばあちゃんはこんなにすごいんだぞーっって事じゃないですか。わたしが孫なら絶対そうします自慢しまくります!」
「現にマーボたちは親の成功を好きなように使ってるし?本人たちも言ってたけど人生楽勝って言ってて羨ましいよ」
「そうですよー。もっと全部気楽に考えたらいいんだと思いますよ」
「気楽かあ…でもこういう性分だか逆に変えようとするほうが面倒かな」
「あっ真面目なくせして面倒くさがりでしたよこの人!」
「てゆーかさ、吉川さんいつからヤマケンすきなの?」
「いつ……はっきりとは覚えてないけど、小さい頃から好きだった気はする」
「幼等部の頃からですか?」
「うん。周りに男の子が賢二くんしかいなかったしね」
「ふーん、それで久しぶりに会って好きだったことを思い出したってこと?」
「まあそんな感じ」
「でもヤマケンくんって女好きじゃないですか、それなのにどこがいいんですか」
「ちょ、それは直球すぎでしょ夏目さん」
「病院のナースさんたちにちやほや可愛がられて育ってるからあれはしょうがないよ」
「吉川さんって伊代ちゃんの中2病の件といい、あの兄妹についてかなり諦めてるところ多いですよね!」

諦めている、というかそれが彼らの性格のひとつだと思っているしわたし自身に特に害はなかったから気にしなかっただけのことなんだけどな。どちらも適当に流しておけばなんてことないこと。まあ、お互いに見逃せないポイントになっているらしく賢二くんは伊代ちゃんの中2病を、伊代ちゃんは賢二くんの女好きを嫌がっているようだけどね。わたしと山口兄妹の関係は奇妙なものに思えるのか、二人はあまりすっきりしていないような表情をしていた。まあ、何ていうの慣れだよ慣れ。

「あ」
「なに夏目さん」
「真面目で面倒くさがりな吉川さんのかわいーワガママ思い出しました!」
「は?」
「はは、吉川さん露骨に嫌な顔しないでよすっげー怖い」
「吉川さんは、ヤマケンくんの一番になりたいんだそーですよっササヤンくん!」
「へ〜!」
「そんな風に言ったつもりないんだけど」
「同じことですよ、ミッティの代わりは嫌だって言ってたじゃないですか。それってミッティじゃなくても誰かの代わりは嫌なんでしょう?ってことはヤマケンくんの一番になりたいってことですよう!」
「……そ、そういうことなの…?」
「やったあ!夏目あさ子、初めて吉川さんに勝ちましたよ!口じゃ言い負けてばかりですけど今回ばかりは頭脳戦で勝ちましたーっ!」


ピョンピョン飛び跳ねている夏目さんが視界に入るけれど、今はそれどころじゃない。一番になりたいって、そういうことなのかな。わたし、ただ誰かの代わりになるのが嫌でそう言っていただけなんだけど、それはそういうこと?


「まー、それも気楽に!だよ吉川さん。それに好きになったら誰だってその人の一番になりたいじゃん」
「「……」」
「えっ、なんで二人してジト目で見てくんの?!」
「なんだかササヤンくんのアドバイスが経験値によるもののような気がしますが吉川さんはどう思います?」
「経験値っていうか今まさに「吉川さんストップね!」…どうだろうね夏目さん」
「……」
「まー、とりあえずさ!オレは応援してるから!」
「わたしもですよっ」
「はは、ありがとう二人とも頼もしいよ」

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