よいやみ

「吉川さんは何をしてるんですかああああ!」
「痛い。夏目さん痛いから耳引っ張らないで」
「だってこうでもしないと吉川さんはわたしの言う事ちっとも聞いてくれないじゃないですか!」
「聞いてる聞いてる」
「聞いてる人が!なぜ恋敵に塩を送るようなマネをしてるんですかあっ!もう食塩どころじゃないです岩塩送ってますよごっそりと!」
「塩の種類は関係ないと思うよ」

どうしてわたしが夏目さんに両耳を引っ張られながら塩の話をされているかと言うと。簡単に言えば、わたしと賢二くんのやりとりを夏目さんについぽろりと、話してしまったせいだったりする。

「もじがじて、こないだ目が少じ腫れていだのはそのぜいですか…!」
「なんで夏目さんまで泣くのよ」
「うわああやっぱり!ものもらいだなんて言って誤魔化しておいてやっぱりそうなんじゃないですか!」
「だってあの場に水谷さんいたし…」


あの時、賢二くんに水谷さんのことを忘れるように言えたならわたしはきっと前よりも賢二くんに近づくことはできたと思う。相談に乗った、というのかな。そういう相談相手のような者になれていたんだと思う。結果としてなれなかったわけだけど。彼に言ったことはブーメランのように見事にわたしに返ってきた。伝えきれていないのはわたしの方だ。『もう来るな』と言われて勝手に嫌われたと思って傷ついて距離を置いて、忘れたふりをした。それでいてひょっこり思い出してどろどろ嫌な思いをしてる。人のことを言えないね。

「なんで、ヤマケンくんがミッティのこと好きだってわかってるのに、ミッティのところに行くように仕向けるんですか!普通は、行かないようにすべきでしょう!」
「だって、賢二くんの中で水谷さんは忘れられていないのに、わたしを好きになって、なんて迫るのは嫌だもん。」


水谷さんは頭もよくて、さっぱりしていて、自分を飾って見せようとしない素直な子だと思う。わたしの周りにいる人たちはよくも悪くも素直な人が多い。水谷さんは、自分のしたいことに真っ直ぐで、この先に何をすべきかしていきたいのか自分を持ってる。それに比べてわたしはぼんやりと家を継ぐんだろうな、とか親やおばあちゃんの言いなりで反発もしなければ何も選びさえもしていない。だから、水谷さんが羨ましいんだろうな。賢二くんにも好かれて、自分を持っていて。わたしが欲しいものを持ってる。悲しいというよりも悔しいなあ。


「逃げてるだけだってわかってるよ。それでもわたしが今近づいたところでね、水谷さんの代わりにしかならないもん」

代わりは嫌だ。我儘だと言われても、誰かの代わりなんてまっぴらごめんだ。
賢二くんは、オレが忘れさせてやるよ、とかさらっと言いそうだけれど、わたしにはそんなことできないと思う。



「だから、なんで夏目さんが泣くの」
「わ、わたしはミッティも吉川さんも大切で、どっちも失くしたくなくて、」
「わたしも同じだよ。水谷さんも夏目さんも大切だし、賢二くんももちろん好き。だからね、賢二くんは水谷さんのこういうところを好きになったんだろうな、ってわかるの。その気持ちが浮ついたものじゃない本気だってわかるから、否定したくない」

水谷さんを忘れられない賢二くんの気持ちを否定することは、わたしの賢二くんへの気持ちを否定することと変わらないと思う。わたしも忘れられなかったんだから。


「例えばの話だけど、もしも誰かがわたしを好きだと言ってきたとしても、その人をすぐには受け入れられない。だからきっと賢二くんも同じ。でも…」
「でも?」
「早いところ、ケリをつけなくちゃなあって思うよ」


時間は有限じゃないんだからね。

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