いまちづき

昨日は伊代ちゃんとパンケーキを食べた後、軽くショッピングを楽しんでから自宅で家庭教師の授業を受けた。前回の授業が先生の都合で流れてしまったから、今回はいつもより長めの授業だったせいで賢二くんにメールを返していないことに気付いた時には22時過ぎ。さすがにまだ寝てないよね…、そう信じて急いでメールの返信をした。賢二くんからの返信は結構早くて、今日のの放課後に予定があるかどうかを尋ねる文だけだった。図書館に寄るつもりでいたからその旨を伝えると、「だったら近くのカフェで待ってる」と簡潔に返事がきた。大丈夫かな、賢二くん。約束した時間にカフェに辿り着くことはできないだろう、そう思ったから目当ての本を数冊借りてカフェの外付けされた席でそれを読みながら
彼を待つことにした。


「あれ、吉川さんとこの!」
「こんにちは、……吉田くんのお兄さん、安藤さん」
「思い出すのに随分時間かかりましたねぇ」

本を読んでいると少し馴れ馴れしい声が飛んできて、ゆっくり顔を上げるとそこには吉田くんのお兄さんと安藤さんがいた。決して忘れてたわけじゃない。顔は覚えてたもん。

「こんなところで読書〜?テラス席じゃ風冷たいでしょ、」

クリームがたっぷり飾ってあるワッフルやアイスクリームがたくさん載っているプレートを手にした吉田くんのお兄さんはそのままわたしが座っているテーブルにそれを置いて、空いているところに座った。二人席で椅子が足りなかったから、後ろにあった空いている椅子を安藤さんにあてがうと、「女性からお茶に誘われたらご一緒しないわけにはいきませんねぇ」とにやついていた。いや、どうせ何もしなくても座っていたでしょ安藤さん。

「そんなに甘いものを一緒に食べる人初めて見ました」
「そう?甘いものなら何だってどれくらいだっていけるけど」
「糖尿病予備軍ですねお兄さん」
「さすが医療系のご家庭生まれなだけありますなぁ」
「普通に糖分の過剰摂取に見えません?えっ、見えないの?」

いつものことですから!と次々に甘いものを口に頬張る吉田くんのお兄さんを見もせずに安藤さんは言い切った。弟も弟だけど、兄も兄で個性の塊だなあ、なんて美味しそうに食べるお兄さんを見て思う。


「吉川さん何読んでるの?」
「祖母の本です」
「会長さん本なんて出してるんですかー」
「本、というか研究論文をまとめた冊子です。難しい所もあって読むというより調べてるくらいですけど」
「なるほど辞書とか参考文献片手に読んでるわけですねぇ。いやはや、優山さんよりも大学生っぽいことしてますよ!」
「僕だって普通に大学生してますよ!安藤さんったら人聞きの悪いこと言うんだから!」
「必要最小限しか勉強しないくせに何を言うんですか少しは彼女を見習ったらどうです」
「あの、優山さんで遊ぶエサにしないでくれますか」

安藤さんは隙さえあれば吉田くん兄弟をいじって愉しんでいる。それは別に構わないのだけど、わたしをネタにして遊ぶのはやめてほしいなあ。それから安藤さんはにやつきながら「すみませんねぇ」と一言言った。溶けかけたアイスクリームを食べきったお兄さんは、興味深げにわたしが読んでいた本を手に取るとパラパラめくる。

「…僕の父も本をだしたことがあって、一冊寄越してきたんだよ。でも、表紙を眺めて終わったね。興味がこれっぽっちも湧かなかったんだ」
「はあ」
「そんな僕とは違っておばあ様の本をこんな真剣に読んでるなんてエラいエラい!」
「すっごい馬鹿にされてる気がします」
「してないよ。むしろ尊敬する。僕なんていつだって反発したいのに」
「弟に至っては反骨精神全開ですしねぇ」
「わたしは反発するとか以前に他の選択肢を考えたことないですもん。ただぼんやりと、わたしもあんな風に仕事をするんだろう、って思ってるくらいで」
「ふうん、でも従順で親からしてみればいい子でしょ」
「……まあ、そうでしょうね」
「あ。今イラってしたでしょ?従順って言い方が気に入らなかった?」
「…」
「はっはっは優山さんそのうち睨み殺されますよ」
「…その通りなので異議はないですけど、ただ従順なだけならわたしじゃない別の誰かでも良いんだろうなあ、なんて最近思ったことがあります。」

最近出会った人たちはみんな、一癖も二癖もあってなかなか面白い。昔から一緒に遊んできた伊代ちゃんも漏れなくその仲間の一人である。見ていて飽きない。口では何だかんだぼやいて流して扱っているけど、返ってくる反応が面白くてついつい遊んでしまう。それが楽しいのはわたしにはそういう感性がないからなんだろうな。でも、悲しんでるわけじゃない。


「だから周りが少し羨ましいです。その人じゃないと、って思わせる何かがあるから」


神妙な顔をした吉田くんのお兄さんは、何かを言おうとしてすぐに口を閉ざした。なにか思い当たる節でもあるのか、安藤さんもいつものにやついた顔は見せずにどこか遠くに視線を流して、だんまりしている。まずい、空気が重くなっちゃった。なんでこんな話をしたんだわたし。


「僕も似たようなものだよ」


ゆっくり呟かれた言葉に、驚いた。似たようなもの?吉田くんのお兄さんがわたしと?そんなことないだろう、そう思って口を開こうとしたその時、左腕を誰かに急に引っ張られた。

「うわあっ!」
「誰が、何と、似てるって?」

わたしの腕をひいたのは賢二くんだった。座っていたところを急に引っ張りあげられてよろめき、これまたぐいっと引っ張られて無理やり賢二くんの後ろに追いやられる。

「やあ。何でここにいるの賢二くん」
「それはこっちの台詞っすよ」
「吉川さんが一人でお茶していたのでお邪魔しただけですよ〜」
「…」

なぜわたしを睨むんだ賢二くんよ!大体、道に迷うあなたが悪いんでしょうが。待ち合わせの時間からどれくらい経ってると思ってるの。

「なに、もしかして二人で待ち合わせでもしてたの?」
「一応そうです」
「一応ってなんだよ」
「時間通りには来ないと思ってたから一応?」
「おまえ喧嘩売ってんのか」
「そんなつもりはこれっぽっちもないよ」


「…どうやら私共はお邪魔のようですね」
「ですね。さっさとおいとますることにしましょう安藤さん」

吉田くんのお兄さんは財布からお札を数枚取り出してテーブルの上に置き、安藤さんは駐車場に向かうために先に出て行った。

「面白いこと聞けたからお金出させてよ」
「えっ、面白い?主にどのあたりですか」
「んー、いくつか、ね!」

ニコニコ笑って、「君には教えてあげないよ!」と賢二くんをからかうものだから、賢二くんが更にイライラしている。煽るの楽しいのはわかったのでお手柔らかにお願いしますよお兄さん…。

「そうだ、最後にひとつだけ」
「何でしょうか」


「君は何にも羨ましがることなんてないよ」


それじゃ、またどこかで!そう言い残して吉田くんのお兄さんは安藤さんの待つ車の方へ去って行った。わたしは何も答えられずに見送るだけで、気付けば賢二くんが不満げな顔つきでこちらを見下ろしていた。

「何の話をしてたんだよ」
「何って…なんて言えばいいのかな。本の話とか?」
「それであの言葉がでてくる意味がわかんねー」
「うん、似てるとか言われてわたしも意味がわからないや」

似てるというのは家の状況?それとも、羨ましがっていること?後者なのだとしたら、最後の言葉はあなたにも言えることなんじゃないでしょうかね。

「あ、そんなことより今日はどうしたの?」
「話がある」
「は、話…?!」
「なんでびびってんだよ」
「いや、びびってなんかないけど」

そういえば、つい、ついうっかり忘れていたことを思い出した。

「(わたし、賢二くんのこと好きだった。うわ、すっかり忘れてた。ふつう忘れるものじゃないけどただお茶しようとしてた…!)」

これって普通、ドキドキしながら彼を待つ。とかそういうシチュエーションなはずだ。なのに、わたしときたら同級生のお兄さんとなぜか自分の人間性について話していた。うわ、これって何も可愛くない!吉田くんのお兄さんが来なくたって、おばあちゃんの研究論文をカフェで読んでいたし、これってほんとに可愛くない!

「…今度はひとりで何を百面相してんの」
「してない、よ…?」
「明らかに絶望的な顔してんじゃねーか」
「そっ、そんなことより!話って何かなあ?!」

怪訝な顔をされているのはわかっているけど、無理やり話を逸らさないときっといつまでも聞いてくるだろう。そう思って、強引だけど話をするように持って行った。店員さんを呼び、紅茶のおかわりと賢二くんの分の紅茶を頼むことにしよう。

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