春べを手折れば

魔法使いにはなれなかった

「やっぱり、おれが行かなくて正解だったんじゃない?」

思ったよりも乾いた声が出て笑えてしまった。ザアザアと耳馴染みのない、風に煽られていく海水の音を聞きながら、足場の不安定な砂浜を歩く。思ったよりも早くゆりさんから電話がかかって来て、向こうが話す前にこっちから声をかけてしまった。返事を迷ってるってことはさ、そういうことだろ。

『……迅くん、今どこにいる?』
「浜辺にいるよ」
『そう。……紗希乃ちゃんには、仕事のついでに寄っただけだって伝えたからすぐに戻るわ』
「うん。そうなると思った」

視えている選択肢は増えてない。やっぱり早かったし、まだどうにもならなかったわけだ。照りつける日差しが三門のものよりも強く感じて、頭が痛くなりそうだった。

*

「三門市から電車とバスを乗り継いで5時間くらいの町にボーダーが所持してる療養施設がある」
「……侵攻で経過観察が必要になった人の療養所だっけ」
「結論から言うとそうなる。実際は記憶封印処理が広範囲に及んだ患者の観察と社会復帰に向けた療養施設だが」
「サイドエフェクト対策はどうすんの?」
「高トリオン部屋の試作は元々その施設で行っておったのだ。流石に本部のシェルターのクオリティには劣るが玉狛の部屋ほどじゃないわい」

結局閉じ込めてしまうのならどこにいたって同じだろ、なんて言葉が喉元にせり上がってきて、慌てて飲み込む。

「まずは身体の調子を戻すことを短期目標にして吉川からボーダーの記憶を封印する」
「うまく行くんですかねぇ。だってあの子、子供の頃からいたんでしょう」
「今もまだ子供だ。今ここで策を講じねばこの先の彼女の未来もなくなってしまう。そうだろう、迅」
「まあ、まだ紗希乃の未来は視えないですけど、まあ、よくはない。よくない状況になってることには違いないでしょ」
「彼女の場合、サイドエフェクトの観察にもなって良いんじゃないですか。日本全国の高トリオン反応を視れるわけでも、こちらから近界を視れるわけでもないですよね。だから、彼女が感知できる高トリオン反応にも条件があるわけだ。それを明確にできる絶好の機会では?偶然にもあの近辺の高トリオン保持者は粗方スカウト済みで間引いてありますしね」
「スカウトの手伝いでおおよその適用圏は推測できてるが、確かに明確な数字ってのは出てないよ。今回の場所が三門から大分離れているし、トリオン反応の母数は確実に少ない。その場所で例の部屋なしで生活できるようになったら、紗希乃の選択肢は大幅に増えることになる」

大人たちの中で答えはもう出てる。結果を伝えるだけじゃなくて、おれを巻き込むようにしてるあたり抜け目ないなとも思う。だけど、それがあるのとないのとじゃ心証は大分違うわけだ。

「頃合いを見て記憶は戻そう」

鋭い視線がこちらを射抜く。記憶は、ね……。
心と体。どちらかが参ってしまったら人間どうにも動けなくなって当然だった。玉狛を出た後の紗希乃はと言うと、遠征で受けたダメージから始まってそこからずるずると体調が悪い日々が続いていた。サイドエフェクトの調整がうまくいかなくて、あの部屋から一歩も出れずにいたし、あの部屋の中でさえうまく生活できてなかった。どうやったら元の紗希乃に戻るだろうって考えてる時点で目の前の紗希乃を見れていなかったのに、おれはそればかり考えてしまっていた。紗希乃の未来が視えなくなったとわかった時点で二人で考えた選択肢のひとつが日に日に輪郭を明確にしていって、選び取りたくなかったのにそれを選ばざるを得なくなっていた。





真っ白な部屋は好きじゃないらしい。それじゃあ好きな部屋に戻ろうか。そう言ってやれないのがもどかしい。おれのとこに戻っておいでよって気軽に言ってしまいたけど、それは間違いなく紗希乃を追い詰める。すぐそこに迫っている近界からの侵攻の被害がいくつもちらついて、そっちに気を取られている今も紗希乃は緩やかに苦しんでいた。

「ごめんね、悠一」

たぶん何に謝ってるかもわかってない。色んなズレは全部ちょっとだけなんだろう。それがいくつも重なってる。ベッドの中で丸くなって泣いてる紗希乃を助け出してやれる力はおれになかったわけだ。こうなる前に気づいてやれることもできなかった。

「必ず迎えに行くから」

その後のことは、元気になった紗希乃と決めよう。まずはまた二人で一緒にこれからのことを考えられるだけのすこしの余裕ができることを目指すんだ。

「だから、しばらくさよならだよ紗希乃」

魔法使いにはなれなかった


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