春べを手折れば

霞がもたらす迷霧

あの日のことはよく覚えてる。悠一に「明日寝坊するかも」と前日にへらへら言われて、まんまとその通りになってしまい朝っぱらから軽く喧嘩した。寝起きで顔が死んでたけど、そんなこと言ってられない。大学の授業に遅刻しないようにバタバタと支部内を駆け回ってたわたしに悠一がひとこと投げかけた。

「コーヒーに気を付けなよ」

その時は慌ただしくってちゃんと聞けてなかった。聞けていてもきっとこれが最後。悠一がわたしの未来を読んで、わたしに忠告する。これまで当然のようにしてきたやりとりはこんなちっぽけなことが最後の機会だった。


*

警戒区域からほど近い焼き肉屋。何度も来たことはあるけれど、なぜかわたしはちょっと大人組の中にひとり閉じ込められるようにして個室の中で縮こまっていた。ここに冬島さんとか東さんまでいたらわたしはどうしようもなかったに違いない。同い年でつるんでる雷蔵さんは今日はいないらしい。

「なぜわたしまでここに……」
「この前の続きだ」
「続きって言うけど太刀川さんいないじゃん」
「太刀川なら忍田本部長に連行されてくのを見たぜ」
「えっ、諏訪さん、あの人今度は何やったの」
「さあな。とりあえず皿くれ、吉川」
「わーいお肉!……肉、にく……」
「どうした?」
「レイジさんの肉肉肉野菜炒めが食べたい〜〜!本部で作って、作りに来てよレイジさん〜!」
「だったら帰ってこい」
「帰らないもん〜!」

レイジさんのお肉マシマシな野菜炒めが早くも恋しい。朝から肉かよって思ってた頃のわたしはいかに贅沢な食生活を送ってきたのかと今では思う。本部に来てからほんのすこししか経ってないのに完全にホームシックだった。豚肉と野菜頼めばなんとかなるんじゃね、とか言ってる諏訪さんゆるさない。

「おいこら家出娘、皿寄越せっつの」
「諏訪さんゆるさん……」
「なんでだよ。おいレイジ、さっさと炒めとけよ」
「調味料が足りないな」
「そういう問題じゃなーい!」
「お前たちさっさと食べろ。焦げ始めてるぞ」

諏訪さんと風間さんが次々と皿に肉やら野菜を山のように積み上げていくと思えば、レイジさんは丁寧にサンチュを巻いて皿に盛りつけてきた。全体的に雑だし量とか考慮されてなさすぎだけど、わたしを励まそうとしてくれてるのが滲み出ていて何だか泣きそうになった。

「木崎は迅からどのくらい説明を受けたんだ?」
「大まかなことしか聞いていないな。いずれ来る大きな戦いに向けての準備だと」
「お前ら何か企ててんのかよ」
「ちがいます〜。最善策を模索してるだけです〜」
「迅の予知で吉川が邪魔になる未来が視えたそうだ」
「……だいぶ前からお前の未来は視えてないんじゃなかったか」
「うん。わたしの未来は、ね」

悠一がわたしの未来を視ることができなくなったあの日から、悠一は何度も何度もわたしの未来を視ようとしてきた。わたしの顔をじっと見つめ続けても、一日中一緒にいても、ひとつも未来が視えてこないらしい。

「他人の未来に吉川が視えてるってことか?」
「カンタンに言っちゃえばそう。ただ、もやもやっとしてるみたいだけど」
「もやもや?」
「悠一いわく確信はないけど、たぶんわたしっぽいらしい」
「ほー、それでお前が邪魔してんのがわかったと」
「……わたしが直接邪魔してるわけじゃないし」
「どうせ、迅の未来視の正確さを乱すから離れたってところだろう」
「結論はそこに行きつくんだけどね。正しくは、最善に近い未来のルートが悠一の中で明確に視えているってことは、その未来には未来視を乱してるわたしはいないんじゃないかって」

誰かの未来に映るわたしかもしれないもやもやした霞み。それのせいで未来が正確に読み取れなくなって隙が生まれて攻め込まれてハイおしまい。一番最悪なルートはとっても簡単で地獄のようだと悠一は言った。

「その未来でのわたしは玉狛にいないだけなのか、もしやボーダーから出て行ったのか、あるいはこの世にいないのか。わかんないから、とりあえず手っ取り早いところから動いてみようかというのが今回のお引越し」

カラン、とグラスの中で氷が揺れる。今年で成人する3人はお酒の味はまだ知らないなんてわたしに嘘こいて今日は真面目にウーロン茶を飲んでいた。大ジョッキで頼んだそれらの色が薄くなっていくのに誰も手をつけようとしなかった。

「……辞めるのは小南と陽太郎が許さないな」
「だよねえ。城戸さんにもいい顔されなかったよ」
「うげ、司令にはもう言ったのか」
「そりゃ言いますよー。本部に引っ越しして最善の未来がぶれるんなら辞めなきゃだろうし」
「辞めてどうする。辞める時には記憶を消すんだぞ。吉川のサイドエフェクトは一般人には荷が重いだろう」
「一般人じゃなくても十分荷が重い……って、いやいや何でもないです。ほんと、ほんとに」
「迅とお前のサイドエフェクトに俺たちが頼りきっていることはわかってる」
「防衛計画のほとんどは迅の予知ありきだし、吉川の防衛任務ん時は中央オペの練習させてるしな」
「俺たちはお前たち二人を使うだけ使っておきながら、それの辛さまでは量れない」
「それは別にいいの。むしろ上手く使ってくれなきゃやるせない」

欲しくて手に入れた力じゃない。何か理由があって発現したわけでもない。偶然トリオン値が高くって、偶然発現しただけの副作用。あって悲しいだけのものじゃ、わたしの人生が報われない。

「わたしが辞めたら、悠一が一人になっちゃう。わたしが死んでも、悠一が一人になる」

周りに仲間がいても、全てを理解しあえない。似たような能力を持つわたし達だって、似ているだけで理解しあえていない。それでも、他の人よりも似た力を持っているというだけで心の距離は狭まった。互いに互いを必要だと思えたら、相手のために動いてみせようと思うのは必然だった。

「わたしはきっと、悠一が生きてる限り手を貸し続けるよ」

霞がもたらす迷霧


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