春べを手折れば

きみの顔ならよく見える

風間さんたちとの焼肉から本部に帰れば薄暗い廊下が待っていた。寂しい、寂しくない。つまんない花占いのように呟きながら部屋のある開発フロアにたどり着いた。ここは年中電気がついている。ワーカホリックの巣窟がすぐそこにあるのが原因なのはわかりきったこと。廊下を歩きながら開発室を視てみれば、想像通りの酷い有様だった。それから、ふと自分の部屋の方に意識が取られて、はたと気づく。気づいた時には足は素早く動き出していた。指紋認証のタッチパネルに手のひらごと乱暴に押し付けて中に入る。落ち着いたグリーンのソファの上には寝息を立てて眠る悠一がいた。

「……悠一」

呼んでみても返事はない。深く眠っているみたいだった。奥からブランケットを持ってきて悠一の身体に被せた。少し身じろぎするだけで眠りの底に落ちたまま。ソファの前にしゃがんで、悠一の顔をじっと見つめてみた。

『大丈夫さ、未来は動き出してる。だからきっと良い未来になる』

出会ったばかりの頃の、まだ声変わり前の悠一の声が頭の中で甦る。自身が持つサイドエフェクトなんてものを知らなくて、次から次へとお構いなしに流れてくるリアルタイムの映像に身体が追い付かなかったあの頃。わたしはすぐに熱を出して寝込んでは泣いていた。偶然医師に紹介された病院で旧ボーダーの一人と知り合い、自分を苦しめている状況が副作用によるものだと知った。旧本部の玉狛に通うようになってからもうまく制御できなくって、突然熱を出しては倒れる日々。同い年で似たような副作用を持っているのにやたらと落ち着いている悠一はその頃からわたしの傍にいた。

「大丈夫、未来は動き出してる。だからきっと、良い未来に辿り着けるよ」

あの頃わたしの頭を撫でてくれた悠一の真似をして、癖のある頭を撫でてみた。眠ったままの方が、あなたが楽になれるのかもしれないね。それでも周りはそれを望まないし、わたしもそれは望まない。

あなたの言う最善の未来が、どうかあなたも無事で健やかに生き長らえる未来でありますように。現在のことしか視えないわたしにはそう願わずにはいられなかった。


*

ふと、何かの映像を見ていることに気づく。何かを撫でている手に、青いジャケット。それから……

「あ、起こした?」
「撫でてんの視えた」
「えぇー撫でられてる感覚よりそっち?」

昨日はソファで寝てた悠一の隣で一緒に眠ってしまったみたい。端っこに座ったつもりだったのに、今は逆転して横になっているわたしの横に悠一が座っている。体を起こして、ぼーっとする意識をはっきりさせるべく頭を緩く左右に揺らす。起きたならはっきり起きておかないと、どこかの映像に引っ張られそうになってしまうから。

「むしろわたしが起こしたんじゃないの?」
「ちがうよ。おれは普通に目が覚めた」
「ほんとにー?」
「ほんとだよ。それより朝飯どうする」
「ぼんち揚げはヤダ」
「言うと思った。冷蔵庫見てみ。ゼリー買っといた」
「さっすがエリート。何のゼリー?」
「おいおい実力派が抜けてる。味は見てのお楽しみかな」

悠一にかけたはずのブランケットがわたしにかかっていて、床につかないよう巻き上げてからソファの端に投げ捨てた。まっすぐ冷蔵庫を開きに行くと後ろから楽しそうに笑う声が聞こえる。桃、ぶどう、どっちだろ。みかんもアリだな。なんて思いつつ扉を開けば、思い浮かべた種類が全部ふたつずつ入ってた。

「すご!迷ってたやつ、よくわかったね」
「焼肉行った後はゼリーとサラダ生活してレイジさんによく叱られてたじゃん」
「確かに。わたし焼肉行くって言ってないけど、誰かから連絡きたの?」
「レイジさんと風間さんから来たよ」
「やっぱり昨日の焼肉は計画的犯行だったわけか……」
「ちなみに首謀者は風間さんだな〜。レイジさんには普通に焼肉誘われて、風間さんからはお前を借りるって連絡あったから」
「借りるってことは平たく言えばお前は来んなってことだもんね」
「だろ〜?」

今の気分は桃だな。近くのコンビニにはぶどうは売ってないから、ぶどうは二つとっておくことにして、桃とみかん……。よし、みかんだ。桃とみかんのゼリーをそれぞれひとつずつ取り出して、なぜか一緒に冷やしてあったプラスチックのスプーンもふたつ取る。

「悠一はみかんね」
「こりゃどーも」
「元はと言えばあんたのゼリーだよ」
「そうだけどさ」

ゼリーの蓋をうまく剥がすやり方を昔教えてもらったのに、いまだにそれ通りにうまく開けられない。プツ、と音を立てて、やっぱり少し零してしまった。

「そういえば、随分と嬉しそうだけど何かいいことあった?」
「お、わかる?」
「思い出してごらん、悠一。わたし達が最後にゆっくり会ったのは、結構しんみりしたあのお別れの時だからね??」
「大丈夫、忘れてない忘れてない」

ニヤリともったいぶるように笑う悠一。一体なんなの、と悠一との間にあった少しの距離を詰めて座ると、何故か笑顔のまますすす……と逃げられる。なんで逃げる。逃げられた分、わたしはお尻を動かして距離を詰めた。すると、また悠一は動いてく。

「なんなの?!」
「待って、話すから!話すからステイ!」
「わたしは犬じゃない〜!」

とりあえず、悠一を追い詰めそうになる自分の尻をなんとかその場に押し留めて、言葉を待つ。

「ここんとこのおれの読みが正しければ、紗希乃が本部に来たのが、どうやらアタリっぽいんだよね」
「……」
「えーと、紗希乃サン……?」
「……わたし、ボーダー辞めなくていいの?」
「おそらくね」
「まだここにいていいの?」
「いいよ。ていうか、いてくんなきゃおれが困るよ」
「っ悠一〜〜っ!」

勢いのまま抱き着きそうになったけど、そうなる前にわたしよりも大きな手のひらが降ってきて頭をゆっくり何度も撫でつけられた。

「城戸さんたちに報告に行こう!」
「待ってお前何時だと思ってんの」
「視た感じみんなもう本部にいるよ!ていうかたぶん泊ってたんだと思う!」
「いや無理無理!いま朝の7時だから!いくらなんでも早すぎて色々勘繰られる」
「早く来たって言えばよくない?」
「よくないでしょ。あの人ら絶対信じないね」
「じゃあ、良い頃合いまで大人しく待つしかないか」
「そうしてくれると助かる。せっかく静かだから、このまま少しゆっくりしたい」
「静か?」
「うん。相変わらずお前の未来は視えないけど、その分余計なことも入ってこない」

「お前の傍はとても静かなんだ」

きみの顔ならよく見える


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