春べを手折れば

ひと足お先に失礼します

通信室にいる人たちが護身用トリガーで換装できる時間さえ稼げれば生存率はあがるんだ。黒い影が人型の輪郭を形作っていく中で、もう一度エスクードで壁を作る。視界の隅で既に倒れている人の足元がちらついて、すぐに駆け寄りたくてたまらなかったけど、誰かひとりだけを助けに動いたら最悪の場合全員死ぬ。

「あん?ちょこまかと小細工してんのはどいつだ?」

壁が元から存在しているわけじゃなく、壊す度に新たに生えてくることに気が付いた人型の攻撃のスピードが加速している。立てては壊される。それを繰り返している間に、換装できた何人かを部屋の端に走らせた。壊されて積み重なった影に彼らが身を隠したのを確認できたところで、それの反対側の壁に向かってメテオラを数発放つ。バキバキに穴が開いて、隣りにある倉庫の中身も見えていた。その更に先には私の部屋があったりする。倉庫だけで済めばいいけど。

『吉川!人型を通信室から外におびき出せるか!』
「やろうとは思ってるけどどうにも!ごめん鬼怒田さん、壁壊した」
『壁よりも命の方が大事に決まっとるわい!!!』
『もうすぐ応援がくる。それまで耐えてくれ』

ここにいる全員殺したらさっさと行くでしょうよ、なんて思いながら通信を切った。しびれを切らした人型の身体が揺れて黒い靄になる。大丈夫、さっきは視えたもの。今もよく視ようとすれば視えるはず。最後に出したエスクードの隙間から靄がうすく漏れ出すように流れてくる。……今だ!さっき爆撃した倉庫の方を振り向きながら、お腹の底から声を出した。

「"はやく逃げて"!!」

ニヤリと笑う顔が形作られたのが視えた。メテオラで穴を開けておいた"誰もいない倉庫"に"必死"に転がり込めば、先回りするように黒い靄が勢いをつけて流れてくる。

「……あ?」

後ろ手に、メテオラを穴の境目がある天井に向けて放つ。ガラガラと瓦礫が降ってくるのを眺めている人型の顔からは笑みが消えていた。

「誰もこっちに逃がしたなんて言ってないんだけどね」
「てめえ!」

身体のどこかが必ずゆらゆらと靄のように揺れたままの人型は苛立ちを隠せずに顔を歪めている。通信室内に残した動ける隊員は避難シェルターに移動している真っただ中だし、研究室に至ってはまだ動けてないのが視える。つまり、あっちにもそっちにもこの人型を動かしたくはないんだけど……

「小細工ばっかしやがって!」

風間さんがやられた時はトリオン体の内部にこの人型の一部が侵入してトリオン器官が攻撃されていた。液状化からの靄で吸い込まないようにして、敵の攻撃で身体に傷をつけないことが時間を稼ぐための重要事項になる。ちょっとでも傷つけられたらそこから侵入されてしまうと思うとシールドを張りながら適度な距離を保ちたいところ。銃手か射手だったら何の心配もなかったけど生憎私はスコーピオン使いの攻撃手。風間さんパターンあるわこれ。

『あまり近づくなよ。諏訪隊が待機している』

近づくなと言われても難しい時は難しいんだよ、風間さん。そもそも肝心の諏訪さんがまだキューブじゃん。笹森くんと堤さんがこっちに向かっているのが視えた。諏訪さんの解析を急いでほしい気持ちと、一刻でも早くフロアを開けて逃げて欲しい気持ちが混ざる。風間隊との闘いでしていたようにあちこちから音を出して人型が威嚇してきた。音をたてられても菊地原くんじゃないから当然わかんない。ただ、トリオンの動きがある所は絞れる。視やすいところと視えにくいところ。目に留まるかどうかの差異しかないけど、それを判断材料にして取捨選択していくしかない。エスクードとシールドを不規則に使いながら敵の視界も奪いつつひたすら攻撃をかわす。せまい倉庫内だけじゃ留めておけなかった攻撃が後ろにある私の部屋側の壁もズタズタに崩していく。そっちじゃなくて廊下に誘導したいんだけど、廊下にはまだ人がいる。

「音じゃねーな、目か?めんどくせえな」

真後ろから鋭利な棘が伸びてくる。咄嗟にシールドで弾くと、人型の表情が不快そうに歪んでいった。

『吉川!絶対にそこでベイルアウトするなよ!』
「もう、だいぶ、がんばってるんですけど!」

ここでベイルアウトしたらまずい。非常にまずい。何がって、私のベイルアウトの登録先はまさに目の前。崩れて中がこんにちはしているすぐそこの部屋の、瓦礫に埋もれているかつてベッドだったそこに私は落っこちることになる。生身であんなところに落ちたらどうなるかなんてわかりきってるし、気付かれたら確実に殺され、って危な。あっちやそっちに今にも私を貫きそうなブレードが浮いている。伸びたり、分裂したり、明らかに視覚情報を増やしてきた人型はニタリと口角をあげた。前に後ろ、左右に足元。大小様々な棘が私を狙っていた。

「オマエ、時間稼ぎしようとしてただろ」

全部のブレードに何かしら動きがある。ゆらゆら揺れながら、伸び縮みしながら、消えたり増えて。……完全に遊ばれていた。選択肢が多すぎて頭が痛くなる。あれやこれや考えている場合なんかじゃなくなって、一番手っ取り早い手段にしか意識がいかなくなってきた。ベイルアウトが免れないとして、私が最後にすべきことは何?

「……ほんとにさ、選ぶ数が多すぎると困っちゃうね」

シンプルに考えよう。いま、悠一にはどんな未来が視えているか。私の未来は視えてなくて、私が接触した人たちの未来もきっと乱れて視えてる。人型の奇襲に本部は混乱を極めているけれど、他の皆の未来を視た上でそれに対して悠一から慌てたアクションはない。ってことは、通信室が落ちても"ボーダー全体"の負けには繋がらない。……私が負けても、ちゃんと人型の処理はできる未来だってこと。まあ、そりゃそうか。皆いるし。

「ごめんね」

謝ったら許さないよって言っていたのは自分なのに、私はさっきから謝ってばっかだね。それでも、いつも頼ってばかりで最後の判断を悠一に委ねてしまってごめん。……一足先に離脱するよ。

「メテオラ!!」

無数のブレードが身体を貫いてるのが視えた。上に向かって放ったつもりだったけど、ブレードに当たって中途半端なところでメテオラが暴発したのが視えた。それから身を守るように人型が廊下に退避するのが視えた。キューブから戻った諏訪さんの姿が視えた。

『トリオン供給器官破損 ベイルアウト』

スコーピオンを手に人型近界民と対峙している悠一の背中が視えた。いつもと違う衝撃を殺すことができなくて、私は簡単に真っ暗な闇に飲まれていった。

ひと足お先に失礼します


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