春べを手折れば

自縄自縛の成れの果て

当然のように視えている無数の未来。いくつも先に伸びている未来は全てを選び取る事なんて不可能だった。どうやらあっちの方がよさそうだ、それならそっちに転がるように動いてみよう。そう思っていても眠って起きれば、予想と離れた方に進んでいたりする。結局そっちに進むのかよ、なんて内心毒づきながら、最善の未来を目指して動き回る。これはおれができることで、おれがやりたいこと。だから、ひとり未来を眺めてあーでもないこーでもないと悩むことに今では何とも思っちゃいない。……そう、ひとりで悩んで済むことなのであれば。

紗希乃とは出会ってこの方ずっと一緒だった。それこそ学校でクラスが離れる程度のことはあったけど、登下校も一緒だったし、彼女の両親が亡くなった後からは家も一緒だ。何かを忘れて慌てふためく様を視ればその前に本人に伝えるし、何やら喜んで興奮している姿を見たらどうにかこうにか隠してやらないとなって思いながらも結局バレて怒られたりして毎日過ごしてた。おれはきっと他の誰よりも紗希乃の未来を視て生きてきた。大人たちが紗希乃のことを「箱入り娘だな」って笑っていたのを覚えてる。おれはその箱が紗希乃が閉じこもっていた例の箱のことだと思って怒ったけど、実際はそうじゃなかった。おれが紗希乃を大事にしている行動は傍から見ればそれはもう過保護だったってわけだ。それが可愛らしく見えるのなんて甘めに見積もっても小学生までだっていうのは流石のおれでもわかる。ただ、おれが離れたら知らない奴が紗希乃に近づくのが視えるし、知ってる奴だって正直面白くない。つまりおれは過保護だなんて体のいい隠れ蓑をうまく背負った独占欲の塊だった。

「迅くんは吉川さんのことが好きなの?」

高校時代、クラスの女子に一度だけ聞かれたことがあった。おれにはこの手の質問はほとんどない。嵐山いわく紗希乃には結構きてたみたいだけど。

「ん〜。家族って方が近いかも」

嘘だ。近いフリをしてみせてるだけだ。おれの心の中のどろどろした気持ちに気付かないまま名前くらいしか知らないクラスメイトは去っていく。ただの家族であったなら、繋いだ手へ異様にそわそわしないし、触れたいとか、声が聞きたいとか、毎日一緒にいるくせに思ったりなんてしない。昔と変わらず笑っている紗希乃を見る度に、おれだけが変わってしまった気がして不安になる。紗希乃が視えるのが心じゃなくて本当によかったと思ったのは一度や二度じゃなかった。たぶん、この気持ちを伝えてしまったら紗希乃とは一緒にいられない。

おれは紗希乃に見せられないようなことばっかり考えてるのを隠す一方で、紗希乃の未来を存在し得る限り視認できる。不公平でもあるし、単純におれやばい奴だよな……となけなしの良心が暴れまくる。ひとりで悩まずに誰かに相談すればよかったのか?いや、できるわけないじゃん。おれって実は紗希乃のこと好きなんだよね、って誰かに言うの?無理じゃない?そんな自問自答を繰り広げていった結果、誰にも本人にも伝えたくないと頑固な考えにがんじがらめになっていたある日。

「……っは?!」

夜中に目が覚めた。そりゃ覚めるだろ、って内容の夢を見たからだった。めちゃくちゃオブラートに包むなら、男子高校生が見るようないかにもな夢。いやいや、おれもう高校生じゃなくて成人も見えてるんですけど?しかもそれに出てくるのは紗希乃ときた。ラッキーとかの範囲を軽々超えてるその夢の中で、紗希乃の身体が暴かれていく。正直言うとこういういかがわしい夢は初めてじゃない。ただ、今回ばかりは違った。紗希乃の柔らかくて白い肌に手を伸ばしていたのはおれだった。





「遅刻しちゃう〜!」
「あれ、紗希乃寝坊したの?」
「昨日私が寝坊するかもって悠一言ってたじゃん!なんで起こしてくれないの?!」
「あー……」
「昨日の夜は防衛任務もなかったし、部屋にすぐ戻ったんだから朝起きれたでしょ〜!?」
「……自分が寝坊しといて人に責任投げるなって」
「だって今日の1限は出席厳しいんだもん!」

ドタバタと支部内を駆け回る紗希乃を視ると、慌てて教室に入った時に近くにいた人のコーヒーを倒してしまう姿が視えた。この前買ったばかりだというカーディガンにコーヒーがついて落ち込むところまでわかってしまって、他人事のように「コーヒーに気をつけなよ」と伝えておく。なんていうか、明け方にみた夢のせいで腹の底が疼いて仕方がなくて紗希乃の顔なんか到底見れなかった。今日は大学の後に本部で太刀川さんと模擬戦をする姿が視えるからきっと帰りは遅いだろう。

*

身体を駆け巡る疼きを発散する方法を知らないわけじゃない。ただ、なにか負けた気がしてしまって意地になっていた。誰もいないリビングでソファに座り、テレビを無駄にザッピング。そろそろ皆来る頃だ。先陣きって現れた雷神丸が、ひと伸びした後でおれの足の上に丸くなって冷えた足先をじんわりと温めてくれる。

「そういや今日寒くね?」
「こら〜迅!らいじん丸は湯たんぽじゃない!」
「よう、朝っぱらから元気だな〜」

陽太郎がパジャマのままリビングに降りてきた。朝から元気そうに雷神丸に跨ろうとしている。かえせ!と言われてもおれの足元から動かないのは雷神丸の方なんだよな。地団駄を踏まれても困る困る。

「あ、ボスおはよ」
「はよ。……なんかお前顔色悪くない?」
「そう?」
「めちゃくちゃ悪いだろ。どっかから風邪もらったか?」

顔色が本当に悪いのだとしたら原因なんてひとつしかないし言いたくもない。平気だよ、と手をひらひら動かしてみたけど、いつも世話される側の陽太郎が目を輝かせないわけがなかった。

「迅のかんびょうをしてやろう!」
「いい。いい。そういうの間に合ってる」
「何を〜!さっさとベッドで休め、迅!冷えピタたくさんはってやるから」
「お前がもらっても厄介だからとりあえず離れろ陽太郎〜。それと、迅もひとまず部屋な。風邪じゃなかったとしても顔色すげーから」
「……うーい」

ぼんち揚げの箱の脇を通ってベッドに倒れ込む。深呼吸してみれば、実は本当に具合が悪かったんじゃ?なんて思ってしまうくらい一気に気怠さが現れた。あの夢を見たからこうなったんじゃなくて、具合が悪かったからあの夢を見たんだ。そうだ。きっとそうなんだ。夢で見た光景が瞼の裏を刺激する。やめろよまじで、紗希乃の顔見れなくなるだろ。おれと紗希乃がそういうことになる未来は今のところない。……ないものはない。紗希乃もおれも現状望んでいるのは新しい関係になることじゃなくて、これまで通りに互いの良き理解者でいるということだ。……良き理解者ってなんだ。おれはこんなに隠してるのに。おれはあんなに視ているのに。紗希乃が誰かのものになってしまう未来は今のところ視えてない。それでもこの先の未来に現れるだろう紗希乃が誰かと一緒になって幸せになる姿を視た時、おれは心の底から応援できるんだろうか。おれじゃない誰かと並ぶ紗希乃を視て、納得できるか?許せるか?笑えるか?………無理だ。それでも、紗希乃との関係にもう一歩踏み込むこともできない。壊れるくらいならこのままがいい。もういっそ視えなくなってほしいくらいだ。無意識に彼女の未来を追ってしまう我慢の足りない独占欲も、欲しがるくせに臆病な矛盾した心も、すべてすべて悩みの種をどこかに埋めてしまいたい。

「紗希乃」

どこにも行かないで隣りにいれるだけならよかったのに。そんなことを考えながら、ふわふわと浮かぶような感覚に身を任せた。

「なーに?」

思わず呟いた名前に返事が返って来て、足元のおぼつかない感覚が一気に醒める。窓から差し込む夕暮れの日を浴びた紗希乃が、ぼんち揚げの箱を背に床に座っていた。抱きかかえていた雷神丸を床に降ろしてから、膝立ちでベッドにいるおれの方に近づいてくる。

「……なんで?今日、太刀川さんと模擬戦……」
「あ。やっぱ太刀川さんて模擬戦したかったんだ。空いてるかって聞かれたけどすぐ断っちゃった」
「なんで……」
「だって悠一が熱出したってボスから連絡来たんだもん」
「熱ないよ、おれ」
「あるある。自覚ないだけだよ」

ほら、あったかい。額にいつの間にか貼られた冷えピタ越しに当てられた紗希乃の手のひらに驚いて、反射的に手首を掴んで離してしまった。……ほんとに風邪をひいてるんだったら、紗希乃にうつってそれこそ看病が大変になるから。今んところ風邪を引いてる未来は視えな、い……?

「悠一?」

視えない。

「紗希乃の未来が、視えない」


*

本部におれがまだ視てない何かが侵入した。鬼怒田さんたちが焦っている未来は視える。諏訪隊が戦闘しているのも視えるあたり、キューブ化の解除方法を研究室は見つけたらしい。紗希乃はここのところ他の皆との接触を避けていたから、今視えている人たちの未来はわかる。ただ、通信室の人たちが視えなくなった。紗希乃が通信室に行くと言っていたから当然だけど、紗希乃と会ったからといって完全に遮断されるわけじゃない。ぐるぐる塗りつぶしたような影が視えたり、途切れて変な所がくっついて、ちゃんと繋がったものに視えないだけだ。なのに、それなのに、通信室にいる何人かの未来が完全に視えなくなっている。捕虜になる未来が濃厚の人型近界民の相手をしながら、本部の様子を視つづける。通信室以外は無事に視えるが、やっぱりその周辺は乱れていてちゃんと視えない。エスクードで挟んで捉えた人型近界民が玉狛にいる姿がはっきりと視える未来の線が強くなった。予測確定だ。目の前で焦っている近界民を見ながら、それぞれ別な場所で戦っている仲間たちの姿を視る。もうすぐ終わりが近づいてる。

「おれには おまえの未来が視えるんだ」

一番守ってやりたいやつの未来はもう視えないけどね。

自縄自縛の成れの果て


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