春べを手折れば

まばたきの精度を教えて

「よう紗希乃。調子はどうだ?」
「まずまずかなあ」
「フム。平気って隠さないところみると悪くないらしい」

私の頭を軽く撫でたボスは差し入れの入った袋をくれた。中を覗くと保冷剤とタッパーがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。これは確実にレイジさん作のご飯だ!会議室に冷蔵庫はない。いつも会議は早く来る三輪くんの姿はなくて、視たところ風間さんは到着までもう少し時間かかりそうだし悠一に至ってはまだ本部に到着してない。

「まだまだ始まらなさそうだから部屋の冷蔵庫に置いてくるね」

念のため、いいですか?と城戸さんに声をかければ「間に合えばいいだろう」とだけ返される。間に合う、ということは風間さんと悠一の間に到着すればいい感じになりそうだった。であれば急いで置いてくるしかない。

「おい、走るなよ小娘」
「大丈夫ですよ。誰も通りそうもないし」
「それだけではないわい……」
「じゃあ私のトリガーを早く返して欲しいな」
「まだ返すわけにはいかない。今日の会議の後に検討すると伝えただろう」
「……わかってますよー」

過保護だと思う。形だけ注意をして渡してしまえばいいものをこの人たちはそれをしない。一介の隊員に対して上層部が検討する必要なんかないのに。そう思っていることがバレバレだったのか、ボスは困ったように肩を竦めていた。

「お〜い紗希乃。間に合わなかったら城戸さんに絞られるぞ?」
「わっ、風間さんすぐそこまで来てるじゃん、急がなきゃ!」
「サイドエフェクトを無駄に使うなたわけ!」
「視えるものはしょうがないでしょう。じゃ、急いで行ってくるから!ちゃんと間に合わせるから!」
「吉川、気を付けていってくるんだぞ」
「はぁい、ありがとう忍田さん」





C級用のトリガーでもいいからトリオン体になれるトリガーが手元に欲しい。切実な気分でそう思ったのは、自室と会議室を往復して息切れしてる自分の身体にだった。体力落ちすぎじゃない?……2週間近く寝て起きてばかりでろくな運動をしてないならこうもなるか。体幹トレーニングよりも走り込みをした方が良いんだろう。ランニングマシン買おうかな。外で走り続けるのはまだ難しい気がする。会議室の前には予想よりも早く到着した悠一が立っていた。

「1週間の安静で筋力は10%から15%落ちるらしいよ」
「……どこ情報?」
「レイジさん」
「たしかな筋だわそれは」

視えないのに視えてるような行動をしてくれるもんだと思ったけど、手にしてるスマホが原因かもしれない。ほんと過保護だ。セーフかアウトかで言うならギリセーフ。三輪くんが会議室にいない。

「どもども遅くなりました〜実力派エリートです」
「同じく遅くなりましたけど三輪くん着いてないからセーフだ!」
「残念だったな吉川。三輪は体調不良で欠席だ」
「……?」
「どーした?」
「本部にいるみたいだけど?」

自販機のところにいる姿が視える。風間さんの表情は読めないけど、「三輪にもいろいろあるんだろう」とだけ呟いて席に着いた。君も座りなさいと言われてしまって、そそくさと席に着いた。今日の会議は忍田さんが取り仕切るらしい。

「今回の議題は 近く起こると推測される……近界民の大規模侵攻についてだ」

*

会議の途中、ランク戦ブースで繰り広げられた空閑遊真に気を取られてしまって皆の気を反らしてしまった。会議室内のモニタに視線が集まっている中、それを見ているようでぼうっと視線を泳がせている吉川に気づいた。

「吉川、サイドエフェクトは使うな」
「……自然と視えるのはしょうがないじゃん」
「画面で見えるものを視てどうする」
「風間の言う通りだぞ吉川!」

鬼怒田開発室長の加勢に身を小さくする吉川は助けを求めるように迅を見たが、奴は奴でへらへら笑っている。年明けのこの2人の姿を思い出すとまるで別人だった。あの時のこの2人はどこか重苦しいものを抱えながら、互いに核心に触れないように探り合っていたと思う。完全な部外者の俺がそう思うのだから、昔からこの2人を見てきたここにいる大人たちも気づいていただろう。今は、あの時の2人が偽物だったかのように見える。それはそれで変わりすぎて不安すら感じるが。……何かの反動じゃなければいい。

「どうです城戸さん。空閑遊真に話を聞くのは悪くないとおれは思うんですけど。ね、ボス」
「俺も賛成だよ。紗希乃もだろ?」
「右に同じくです。有益な情報持ってそう。風間さんは?」
「俺の意思は関係ない。司令たちの指示に従うだけだ」
「私も先日の爆撃型近界民の件も彼に聞いてみたいところだが……」
「あの戦いぶりからして素人じゃないのは分かりきっておる。次の侵攻で来る敵の素性が少しでも炙り出せるなら聞いて損はなかろう」
「……迅。この後の会議に空閑遊真と三雲修を呼びなさい」
「エリート了解!大会議室でいい?」
「ああ、それでいい」

途中参加で現れた三輪が苦虫を噛み潰したような表情をしている。近界民である空閑が気になってしょうがないんだろう。それを皆わかってはいるが、三輪の考えを尊重すべきタイミングではないし、本人も分かっているからか何も言わない。

「三輪」
「はい、司令」
「大会議室の準備の手伝いを頼む」
「手伝い…ですか?」
「宇佐美が今準備しておるはずだ。惑星の投影機の設置の手伝いだ」
「承知いたしました」

ひとりだけ外に出される形になった三輪は面白くなさそうな顔のまま、吉川を一瞥してから出ていく。迅と三輪が出ていったことで大規模侵攻に関する会議は一時休止となったわけだが、他の誰も動こうとしていない。

「……さて。会議の後の予定だったが、不測の事態だ。順番を変えることにしよう」
「私のトリガー!」
「そうだ」

三輪は出したのに俺は残っていていいのか。疑問に思ったが誰も何も言わないのでそのまま居座ることにする。

「現時点では返却するかどうかの意見が割れている」
「……なんで?」
「そのまま返したらまたどうなることか!」
「もうあんなヘマしないよ」
「口ばかり達者で困ったもんだ貴様もあやつも」
「そもそも割れてるってどの程度?」
「司令と鬼怒田開発室長に根付メディア対策室長は吉川のトリガー返却には反対派だが、林道支部長それから私と迅は賛成派だ」
「綺麗に半分に割れたな……」
「反対している理由だが、先ほどの会議でもある程度決まった通り次の侵攻においてのお前の担当は後方支援だ。であればトリガーは必要ない」
「もし渡すのだとしても他の後方支援者と同じ非戦闘員のトリガーで充分だと指令もワシも考えておる」
「……ふーん……賛成派は?」
「私は非常事態下において使い慣れたトリガーを用いるのが危険を回避できると考えた。迅は"何が起こるかわからないから"いつものトリガーを渡したいそうだが」
「俺も迅と同じ考えだな」
「何が起こるかわからんのは誰にでも同じこと!それに今回の後方支援に関しては吉川は本部内での対応になるなら心配は無用だろう!」
「まぁ、でも本部にいるとはいえ司令塔のとこにはいれないでしょ。司令たちと同じところも、オペ室も、全部ダメだよ。悠一の未来視を邪魔しちゃう」
「じゃあ吉川はどこにいるんだ?」
「私の部屋」
「……迅の奴め、これを見越して開発フロアを空けろと言ったのか?!」
「たぶん違うけど結果的に良かったね」

あ、そうか。とひとり何かに納得した吉川が俺に視線を寄越す。何かに期待しているその表情に、求められているものがわかって溜息が零れた。

「風間さんはどう?」

吉川の言葉に大人たちは誰も口を挟まない。俺が居座ることに誰も何も言わなかったんじゃないな。俺にもい一端を担がせようという魂胆だったわけだ。三輪は反対するだろう。戦わないのなら必要ないと切り捨てるはずだ。じゃあ、俺はどうだろうか。いる。いらない。きっと、無意識に使ってしまうサイドエフェクトを駆使してしまって遠征と同じことになるのは目に見えている。それを皆危惧しているわけだ。あの時の艇内での吉川を思い返す。生身は論外。非戦闘員用のトリガーでも十分ではある。ただ……

「本部を簡単に落とさせるような戦い方をするつもりはありませんが、力が欲しいと思った時に使える手段は多いに越したことはないと思います」
「じゃあ……!」
「ただ、万が一吉川が戦闘に出ることになったとして、それが本当にお前である必要があるのかは自分でちゃんと考えろ」
「要はひっこんでろってこと?」
「言葉は悪いがな。ここの所、訓練なんてできる状況じゃなかっただろう。いくらトリオン体とはいえ身体があっての戦闘体。常に戦っている者が前衛に出るのには文句はない」
「無理はするなってことだよ紗希乃」
「……結論は出たようですがいかがですか、城戸司令」
「吉川のトリガー返却に応じよう」
「やった!いつ?」
「会議が全部終わった後だ馬鹿娘」
「え〜、大会議室行く前に出してくれてもいいのに」

城戸司令の思った方に転がらなかったわけだが、納得いかない様子でもなく、小さくため息を吐きはしたものの表情は全く変化していない。どこかでこうなることがわかっていたようだった。使えるものは使った方がいいことは司令も他の大人たちも分かっている。分かってはいるが、素直に使いすぎてしまっては取り返しがつかなくなる可能性があることも知っている。大会議室へ異動するタイミングでコートの裾が何かに引かれた。振り向くと、笑顔を浮かべた吉川が立っていた。

「ありがとう風間さん」
「別に、誰でも思うことだろう」
「そうかな。そうでもないかもよ」

なんてね。と無駄に走って大会議室に向かう吉川の背中についていく。




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