春べを手折れば

お腹の底は見えないけれど

「お前もあの馬鹿娘も一度頭を冷やさんか!」
「鬼怒田さん、朝から一体なに〜?」

遊真から聞いた紗希乃の様子は明らかにおかしくて、このまま放っておける状況じゃないことは確実だった。鬼怒田さんすら怒り狂ってるし、紗希乃が何か言ったらしいけど聞いても全く答えてくれない。他の何徹もしてる開発局員に話を振ってみても皆知らないという。

「いま冷やすためにあっちの箱いるんじゃないの」
「箱と言うな箱と!」
「はいはい。あの避難シェルターね」

おれにも頭を冷やせというのがイマイチよくわからない。奥から歩いてきた雷蔵さんを捕まえようとしたら、その前に首を左右に振って逃げられた。だから一体何なんだよ。

「紗希乃が何か言った?」

ぶわっとみるみる内に顔を真っ赤に沸騰していく鬼怒田さん。あーあ、紗希乃のやつ、結構めんどくさいこと言ったんじゃないだろーな。怒り方が半端じゃない。雨取ちゃんが壊した壁の事か?基地の補強としては申し分ないし、今のとこ視えてる感じだと更に強化するらしいから有難いことこの上ないけど、それをからかったりしたのかもしれない。……でも、そんなのでこんなに怒ったりしなさそうではある。あれこれ考えながら鬼怒田さんの未来を視ても、怒りが持続してるルートはない。おかしいな、目の前でこんなに怒って……あ、静まってきた?

「お前も吉川も、もっと報告をしろ。報告が必要な時は結果が出ている時だけではないわい。進捗も、壁も、何でもだ。溜め込むな。現状を誰かに報告せんか、たわけ」
「……はは、善処しまーす」

どっかの誰かが小南に言ったようなことをポロリと口に出していて自分で自分に内心驚いた。全てをぶちまけたところで解決できないし、相手を困らせるだけだとわかっているから、上手いこと誤魔化さなくてはと思うわけだ。紗希乃がヤバいっていうよりも、おれらの根っこの考え方が隠しきれなくなってきたってところだろうか。何にせよ、いいことではないんだけど。

*

「おれの分はいらないって言っといて。うん…まあ、何とかなるよ」

聞き慣れた声で目を覚ます。ベッドの脇で椅子に腰かけながらスマホで誰かと話している悠一が、スマホを指さしてる。スマホ……?そういえば私のスマホはどこだ。布団をばさばさしても見つからない。枕を持ち上げてみたら、ちょうど真下に置いてたらしい。「起きてる?」とだけ届いた通知はそこで電話をしてる悠一のもので、デジタル時計が表す時間に驚いた。とっくにお昼回ってる。昨日、眠れないからってぼーっとしてたけど、まさかそのまま寝入って寝坊するとは思わなかった。寝坊を自覚した途端にすべてやる気がなくなる。もういいや。もっかい寝よう。スマホを探して皺だらけになった掛布団を直しながらもう一度足を伸ばすと、悠一にべりべりと布団をはがされた。

「流石にこの時間から寝るのはなくない?」
「なくない」
「クマやばいのはわかるけど、昼に寝たって治らないでしょ」

クマやばかったのか。顔洗う時に見てるつもりだったけど、自分の顔色までちゃんと把握できてなかった。思わずぺたぺたと自分の顔を触っていて、悠一は何とも言えない顔をしてる。呆れたのかな。

「紗希乃、話をしよう」

もっと早くにするべきだったね、と悠一は困ったように笑ってる。私の未来が視えなくなってから悠一のことを困らせてばっかりだ。

「いま玉狛にいる遊真はさ、嘘を見抜けるサイドエフェクトを持ってるんだ」
「……私のこと嘘つきって言ってたの?」
「違うよ。不思議そうにはしてたけど、紗希乃を悪いと言ってるわけじゃない」

あの子にそんなサイドエフェクトがあったなんて。どんなやりとりをしただろうかと考えてみるけれど、微妙な返事しかしてない気がする。それも疑われるには十分なくらいの。

「紗希乃は玉狛の人間で、ちゃんと帰る場所はあるよ」
「……」
「納得したフリはやめよ。文句あるなら吐いて。むしろ無くちゃおれが困る」
「文句なんてない方がいいじゃん」
「ないわけがない環境にいていい子のフリされる方が惨い」
「だって言ったら困る」
「言われない方が困る」
「ちがうもん」
「ちがわないよ」
「だってくだらないことなの」
「くだらなくていいんだよ」
「悠一の邪魔になりたくないのに邪魔ばかりなってるでしょ、私」
「そんなことないけど」
「だって、私の未来さえ視えていれば何も気にすることはなかったでしょ。視えなくなっても、私がいない未来がボーダーにとって一番良い未来だって気がついたりなんてしなかったら悠一に余計なことさせずに済んだよ」
「おれが紗希乃の未来を視えないことは紗希乃は一切悪くないし、気が付かなきゃ拾えなかったこともある。全部無駄じゃないんだ」

無駄じゃない。全部言って。悠一は自分の抱えてるものを全部話さないくせにそういうことを言う。ひとりで抱え込んで、私のことも抱え込もうとする。ボーダーの最善の未来のために私を玉狛から出すことになった時だって、ボーダーのためと言いながらも私のことばかり気にして私が無事でいられることを優先して動いてくれた。

「あのさ!」

思ったより大きな声が出た。驚いた顔をした悠一の顔が見れなくて、手元にあった枕を悠一めがけて投げつける。顔に当たる前に受け止めた悠一は、見てわかるくらいクエスチョンマークが浮いている。

「こんなサイドエフェクトに飲まれて頼りない人間だけど、もっと頼ってほしい。守られてばかりじゃ、駄目なの。嫌なの」

これからはちゃんと自分で考えて動いてみせるよ。ただ悠一の言葉を待つだけの足手まといにはなりたくない。勝手に動いて未来を乱すだけになりたくない。ちゃんと考えて、貴方と意見を擦り合わせて、一緒に戦いたい。

「ごめん、紗希乃」
「謝ったら許さないって前に言ったでしょ。少しで良いの。少しでもいいから、お願いだから頼ってほしい」
「……最近視える、不確定な未来がいくつかあるんだ。そのルートは、断片的にところどころが視えなくなる」
「それって、」
「うん。おれが最善だと思ってる未来ってさ、誰もが幸せになるルートってわけじゃないんだ。少なからず被害もあるし、辛い思いをする人たちはいる。それでも、他に視えてるものと比べたら被害が格段に小さいんだ」

それを目指してきたんだけど……と悠一がさっきの枕を抱え直して、椅子の背もたれに身を預けた。すらすらと零れてくる言葉が嘘じゃないことは遊真くんのサイドエフェクトなんかなくてもわかった。本当は話したくないのかもしれない。すこし眉間に皺が寄っている。

「最近はさ、果たしてそれは本当に最善なんだろうかとも思ってたわけ」
「ところどころが視えない未来の中にもっと良い未来があるってこと?」
「かもしれない。わかりにくいけど」
「……その視えないのはやっぱり私がいるからかな」
「誤魔化してもいい気分じゃないだろうからあえて言うけどたぶんそうだよ」
「私が玉狛を出た後に、悠一が最初に見つけた最善のルートが明確になったんだよね?」
「そう。ボーダーが即落ちする未来は大体消えた。それから分岐点のメガネくんに会ってから、更にルートは増えたんだ」
「悪い道も増えたんでしょ」
「そりゃあね。だけど、ひとつひとつ潰して、そっちにいかないようにしてるところ」
「全部ちゃんと視えたらいいんだけど……」
「……」
「悠一?」
「そもそもさ、その最善だと思っていたルートは視えなくなるところもなければ、紗希乃らしいモヤモヤも視えないわけ。おかしいよな、玉狛を出て、ぱっと見悪いルートが消えて喜んでいたけど」
「やっぱりボーダーから出ていくべき?」
「違うよ。そうじゃないからやめて。きっとこのルートはさ、こんな風に紗希乃と話なんかすることはなかったんだ」
「……私がずっとひとりでぐずぐずしてるルートってことか」
「おれが紗希乃に深く干渉せずに放ったらかしにするルートとも言うね」
「じゃあ、私もしかしたらこのまま不貞腐れてさらにサイドエフェクトのいいようにされて、最善の未来を目指すどころか何にもできない奴になってたってことなの……?」
「かもしれない。それってさー、ボーダーの未来のためにはなったとしてもおれらにとっちゃ良いことじゃないよね」
「……うん」
「数日前から、その道は少しずつ逸れていって断片的に途切れるルートの方に寄って行ってるんだ。それが昨日、確実にこっちに逸れた」
「昨日は入隊式だったね」
「そうなんだ。遊真が入隊できたことかもしれないし、紗希乃と遊真が出会ったことかもしれないし確証はないけど」
「悠一は遊真くんに入隊式の後日に会わせてくれるつもりだったよね」
「そう。ストレートにいくならそうだった」
「……もし私の行動が逸らしてしまったのだとして、今進んでいるルートは元々悠一が最善だと思っていた未来と比べてどんな進み方をするんだろ……」
「悪くはないと思う。近づけば近づくほど細かい分岐は現れるからどれを取るかにもよるけど、現時点で視えてる部分だけを比較するのであれば遜色ない、かもしれない」

ボーダーにとっての良い未来と、私達にとっても良い未来。すこしだけそれに近づけた気もするし、逆に悠一が遠くなってしまったような気がしてしまった。話せば話すほど彼の抱えている物が図り切れなくて、まだまだ溜め込んでいることがわかりきっているだけに、自分の無力さに情けなくなってしまう。

「……紗希乃がいなくなる道を選ばないでいれてよかった」

お腹の底は見えないけれど


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