春べを手折れば

あなたの為にできること

「そいつは遊真っていうんだ」

年が明けてから数日後、ひとりで訪ねてきた悠一に、夜の玉狛の屋上にいた白い男の子のこと聞いてみた。まるで弟ができたように楽しげに話してくる。ふうん、近界民で、小さなトリオン兵を連れてるのか。小さなトリオン兵……ああ、あの不思議な生き物は何かの人形かと思ってたけどそうじゃなかったんだ。

「トリオン、そこそこ多い子だね」
「サイドエフェクトも持ってるよ。それと黒トリガーもな」
「黒トリガー?!それって、近界のトリガーってことだよね……?」
「そうそう。あいつの親父さんらしい。今度紹介するよ」
「……いいの?」
「まずは正隊員になってからだけどな」

正隊員にならないと本部は堂々と歩けない。そりゃそうだ。近界民で、実戦経験もあるのなら他のスカウト組みたいにすぐに入隊させても良さそうなのにどうしてそうしないんだろう。城戸さんたちの近界民嫌いが発動したのかな。だとしたら、そう簡単に近界民をボーダーに入れなさそうだけど……。しかも黒トリガーを持っているのなら玉狛に2本黒トリガーが存在することになる。どう考えてもパワーバランスが崩れることをあの人たちが気にしないわけがない。

「上の人たち、どうやって説得したの?」
「んー?まあ、それなりに交渉をしたまでだよ」
「そんな簡単に了承しなさそうだけど」
「まあね」

何とかなったから、と手をひらひらさせて話題を変えようとする悠一がとっても怪しい。何を隠してるんだろう。元から私に言えないようなことはたくさんあるってことは知ってる。だってしょうがないのだ、未来を正しく視るためには言えないことがたくさん出てくる。ふと下ろした視線の先にあるべきはずのものがそこにない。気付いてしまったそれへ顔がカッと熱くなった。……私、自分のことばかりで気付けてなかった。悠一の見慣れた一部が欠けている。そこにずっとあったのに。隣に座る悠一の、これまでトリガーホルダーが提げられていたところに手を添えた。

「……誰かに、あげちゃったの?」
「誰とかじゃないんだ。ボーダーで使って貰うことになった」
「それは……」

良い未来の為に必要なことなんだろう。じゃなかったら、悠一が手放すわけがない。最上さんを知らない誰かに預けたりなんかするわけない。私がどうしてって問い詰めたところで意味なんてない。意味なんて、ないんだけど、……これもしょうがなかったっていうの?

「大丈夫だよ。最上さんなら怒んないよ」

ソファの背もたれに大きく身を預けた悠一は、天井をじっと見上げた。トリガーを遺して逝ったあの人を追い求めてやっと手に入れたっていうのに。誰かの未来の為に手放さなくちゃならなくなったのか、この時のために死に物狂いで勝ち取っていたのか。悠一はきっと話してくれないからわかんないけど、でも、ひとつだけ確かなことはある。

「がんばったね、悠一」

すぐに気づいてあげられなくてごめんなさい。いつのまにか右腕で目元を隠すようにしていた悠一の左手をそっと握った。視界が揺れているのは、私の目に堪え性がないから。握る手が震えているのは、私が弱くて落ちつけていないから。何でもわかってあげたいのに、わかってあげられない。悠一が私に言えないことはたくさんあるんだろう。今回のもそのひとつ。これまでずっとそうだっただけで、関係性は何も変わってない。私が気付かなかっただけだ。悠一が、私に与える情報や影響を取捨選択して守ってくれていた。何にもわかってなかったんだ。今更になってわかるなんてね。こんな状況になるまで気が付かなかった。ねえ、風刃を手放したことがボーダーの良い未来に繋がるならば、きっと私は風刃を使うことはないんだろうね。最上さんのことだから、きっと誰が使っても応えてくれるんだろう。だったら、その人に大事に使って貰えることを祈ることしかできない。

*

今年最初の入隊式の日がやって来た。いつもよりもトリオンの数が集中しているせいか、倒れはしないけどもどこか胸がざわつく。今回はほとんどスカウトに協力できなかったから何か手伝いたいと申し出たけれど、大した用事は頼まれなくって結局当日は暇を持て余していた。ソファに横になり、クッションを抱きしめながら入隊試験の説明をしている嵐山隊を視ていた。いつも通りの説明をしている様子で特別なことは何もなさそう。コンコン、とノック音がしたからそっちを視てみれば風間さんがいた。のそのそと起き上がってドアを開けば、仏教面で私を待っていた。

「風間さん?」
「少しは外に出れるようになったんだろう。入隊試験を見に行かないか」
「うん。でも、人の多い所はあんまり……」
「ポジション別に分かれ始めたところだ。少し付き合え」

確かにアタッカーとガンナー、スナイパーに分かれて移動し始めているようだった。付き合えと言われても、私から見に行くのはいかがなものか。

「玉狛の新入りの様子が見たくないのか?」
「見たいけど、でも、会いに行っちゃいけないかもしれないです」
「迅が言ったのか?」
「言ってないけど……」
「だったら良いだろう」

確かに、入隊後に紹介してくれるとは言ってたけどその前に会っちゃダメとは言われてない。けど、大丈夫なんだろうか。私が動いて何か変わってしまうんじゃないだろうか。

「ちゃんと確認したくないか?風刃と引き替えにするほどの価値があの新入りたちにあるのかどうか」
「……あの子たちがボーダーに入るために風刃を差し出したんですか?」
「迅から聞いてないのか」
「風刃が無くなったことくらいしか話してないです。"どうして"無くなったかなんて、私が知る必要はないでしょ」

風間さんの細い眉がそっと吊り上がる。本当のことを言っただけだけど、この手の話をこの人は良い顔をしない。どうして手放すことになったのか、手放す必要があったのか見極めたいんだろう。私は最善の未来の為に必要なことだったんだと、悠一のすること全部にそう思うことで、無理やり自分を納得してしまう癖がどうにもつきすぎたみたい。

「俺はちゃんと確認したい。師匠の形見を手放すくらいなんだ、生半可な奴の為に手放したのだとしたら許せないだろう」

悠一の言う通りにしすぎて、鵜呑みにしすぎて、私はずっと思考停止していたのかもしれないね。悠一の言葉を待ち過ぎていたのか。そんなの負担を増やすだけだ。悠一の為を思うのならば、もっと私も考えて動かなくちゃいけないのかもしれないな……。私の未来が見えない現状でただただ待つだけなんて、ただの足手まといと一緒。無闇に動くのもただの馬鹿。だったら、私は何をしなくちゃならない?

「……うん。見に行く。私も見に行くよ」

あなたの為にできること


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