春べを手折れば

こうして真綿で包まれる

静かだった。視えるとすれば、真っ白い部屋のベッドの上で眠っている自分と、その脇で椅子に座っている悠一の姿だけだった。サイドエフェクトで視た姿に驚いて、実際の瞼を開こうとするのに、とっても重たくって、めちゃくちゃ浮腫んでそうな感覚に内心毒づいた。一体どこなの、ここ。考えつく場所をやけにスッキリした頭のなかで並べてみる。……ああ、そうか。これだけ何も頭に流れてこない場所なんてそうそうない。昔よく入っていた"箱"に近い感覚だった。ってことは、

「起きた?」
「ゆ、いち……」
「すげー無理したね、紗希乃」

ぼんやりしていた感覚が徐々に戻ってきて、ようやく気付いた。ベッドの上体を起こしてから、悠一が手伝ってくれて吸い飲みで水を飲む。パサついていた口の中が潤って、やっと声が出しやすくなった。ぷらぷらと外れていた酸素マスクを再び装着させられて再びベッドを横にした。あきらかに怒っている様子の悠一だけど、精いっぱい抑えようとしてるのがよくわかる。声をわざとらしく明るくみせて、怒ってないよと目を細める。そんな風に隠してくれても私にはわかってしまうのに。そんなことを考えていたら瞼が自然と降りてきた。さっきまで眠っていたけれど、寝起きのせいか、普段と違う情報量にかえって脳が混乱しているのか、やたらと頭がぼんやりしていた。

「痛いところは?」
「わかんない……」

心配かけてごめんねってちゃんと言いたくて、悠一がどっかに行ってしまわないように手を伸ばした。それでも降りてくる瞼に抗うこともできなくて、私は真っ暗闇にするすると落ちていくのだった。


*

何の前触れもなくハッとして目が覚めた。私がびくりと跳ねたのに驚いたのか、椅子に座ったままの悠一が椅子から転げ落ちている。

「ちょ、起きるなら言って、マジでびっくりした……」

床に座ったまま、手を胸に当てている悠一はゆっくり立ち上がる。パキパキと軽い音を鳴らしながら伸びをして、椅子に座り直した。

「ずっといてくれたの」
「ん。だってさ、俺の手握ったまま寝ちゃうし」
「まぶた、重くって」
「今も?」
「ん……」
「待て待て流石にまた寝られちゃ困る」

二度寝をかましてから2時間ほど悠一はあのままだったみたい。それで困ると言いながらも、決して揺すったり、起こそうとするような動きをするわけでもない。本当は大人をすぐに呼ばなきゃならないんだろうけど、とわかりきった前置きをしてから悠一は神妙な顔になる。お説教コースだわ、これ。

「落ちる前の記憶はある?」
「あー……太刀川さんと、話したかもしれない」
「無理をしすぎたって自覚は?」
「……なきにしもあらず」
「ちゃんとあってくれなきゃ困るんだよ」
「うん。わかってるよ」

わかってはいるんだよ。いつも悠一を困らせて心配させてばかり。静かな箱の中で思うのはいつも一緒。悠一は大丈夫だろうか。彼から視える未来の選択肢は彼を押しつぶしたりしないだろうか。いつもそう思う。すぐに過去になってしまう現在を視ているだけの私がこんな状態なら、選択肢の多い悠一はどれだけ辛い思いをしているのだろうと思う。

「悠一はだいじょうぶ?」
「俺のサイドエフェクトは、トリオンに関係ないから」

だから辛くないよ。となんてことのないように話す悠一。そんなわけがない。けれど、ぼんやり寝起きの私にそれを追求していく体力はなかった。

「こんなに重症なの久しぶりだから、しばらくは安静にって鬼怒田さんが言ってたよ」
「ここで?」
「そう。ここわかる?本部で作った箱だってさ。昔使ってたのとは比べもんにならないくらいハイクオリティでさ。開発や医療班の避難シェルターも兼ねてるらしいよ」
「どーりで広いわけだね」

私の眠っているベッドに、酸素や心拍を図る機械たちと、防災関係のコンテナが二つだけ置かれたこの部屋は真っ白い壁に包まれた何もない部屋だった。窓はなく、一面だけ黒いガラス張りになっている壁があるけれど、廊下からは中が見えて、中からは外が見えないらしい。なんだそれ盗み見できちゃうじゃんね。

「しばらくってどれくらいかなあ」
「少なくとも1週間くらいは」
「ながい」
「何言ってんの。さんざん眠っといて長いも何もないだろ。こっちが言いたいくらいだよ」
「…え、……戻ってきて今どれくらい?」
「5日」
「いくらなんでも寝すぎでは?」
「誰も彼もがそう思ってるよ」

目が笑ってない。遠征の帰還予定日からずれていないのだとしたら12月の後半もいいところで。それからまた更に1週間って。今年が終わってしまう。

「睨んでもダメだぞ〜〜。安静にしたら、少しずつ外にでよう。急に元の生活に戻ればまた倒れる」
「……わかったよ。でも、もったいないなあ、クリスマスもお正月も箱詰めなんて」
「何か予定あったっけ」
「だっていつもの玉狛でパーティ……あ、今の無し。ちがうちがう。何も予定なかったわ、そもそもね」
「……玉狛に後輩たちが入ったんだ。紗希乃に会いたがってるよ。だから、元気になったら会いに行こう」
「うん。メガネ君の成長も見てみたいし、元気になるのが当面の目標だね」

玉狛のパーティは毎年のことだった。去年は宇佐美ちゃんや烏丸くんが来たばかりだったから歓迎パーティも兼ねてどんちゃん騒ぎしてたっけ。まだ大きく動き出す前だったから顔を出したのを覚えてる。またもや悠一を困らせてしまった。だけど、謝られてもおかしいし、謝ってほしくもない。

「そーいや、紗希乃が遠征に行ってる間のお土産があるんだよね」
「……そういうのって行ってきた側が用意するんじゃ?」
「まあまあ、遠慮せずにドーゾ」
「………ナニコレ」

目の前にカラカラと揺すられながら翳されたのは、ひとつの機械。いや、ロボット?何だこれ。……あ、

「これ、トリオン兵?」
「せいかーい。通称ラッドって言うんだけどさ、三門市内に大量発生して回収したんだよね」

こいつはサンプル。と言いながら悠一はまたしてもトリオン兵をカラカラと揺らした。

「これがおみやげ?」
「そう。これのトリオン使ってさ、三門市内にもマーカー増やそうと思って」
「!」

マーカー。今は警戒区域の至る所に埋め込んであるトリオン片をマーカーとして活用している。動き回る人間のトリオンを追うよりも、埋め込まれたトリオン片を視るようにすれば色んな情報を視ることができる。ぼんやりしている中で勝手に流れ込んでくる映像に振り回されるよりも、どこか一点を集中したほうが精神上よかったりもするから警戒区域のそれは重宝していた。けれど、オペレーションシステムの構築ができた現在ではそれを必要とするのなんて私くらいなもので貴重な資材を費やすにはどうしても優先順位は低い。

「でも、いいの?せっかくのトリオン、手に入ったんなら……」
「鬼怒田さんは了承済み。それにラッドの数が相当数いるし、取り急ぎ必要そうな分を視た感じを伝えといたから平気だよ」


こうして真綿で包まれる


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