春べを手折れば

箱庭さえも夢はない

「このままだと箱に入んなきゃいけなくなるよ」

いつもの放課後。小学校からの帰り道で、一緒に歩いてた紗希乃が急に立ち止まった。既に体調を崩しかけてるんだろう。頬が紅潮して、目がぼうっとしていた。こんなところで立ち止まっていても良くなりはしない。さっさと帰って、休むしかなかった。だというのに、あの子の足は一歩も前に出ないし、しゃがみ込みすらしない。数時間後にこの子が行きつく先が未来視なんかなくても鮮明に思い描けてしまって、俺はわかりやすく顔をしかめた。あそこは楽しくない。何にもないし、まるで罰を受けているような気分になる。熱をもち始めた手のひらを強引に引っ張って、少し速足で歩きだす。ついてくるスピードも遅いから、無理やりランドセルを奪ってやった。転ばないでついてこれるうちに走ろう。頭の片隅で、盛大に転んでいる紗希乃の映像がゆらゆらと揺れていた。確実に進めそうな道に、ゆらりと近づいてはそっと離れていく。そうだ離れろ。そっちの未来には進んでやらない。ボーダーが見えてきたら、転んでしまう道は消えていった。……ここまで来たなら大丈夫かな。

「最上さーん!」

玄関を開けてできる限りの大声を出せば、中にいた大人たちがバタバタと駆け寄ってくる。さっきよりも顔色の悪い紗希乃の顔を見て、やれ病院だ薬はどこだと大人たちが騒ぎ始めた。

「病院行っても意味ないよ。どのみち箱の中入ってるのが視えてる」

騒がしさが一瞬やんで、大人たちの視線が俺に集まった。紗希乃を抱えていた最上さんの手が伸びてくる。俺の頭をまるで犬を撫でまわすみたいに、わしゃわしゃとかき混ぜてから少しだけ悲しそうに笑った。

「この子を助けるための場所だから、そんな言い方はよくない。……でも、そう思わせてしまってるのは俺らの力が足りないせいだな」

*

「オツカレ様でーす、鬼怒田さん」
「……迅か。やっぱり来おったな」
「なになに?俺が来るってわかってた感じ?」
「それくらいわかるわい」

開発室でわかりやすくクマをこさえた鬼怒田さんが、よっこらせと椅子から立ち上がる。交渉する必要はあまりなさそうに視えていたけど、まさかこんなにスムーズにいくとは思ってもみなかった。開発室のさらに奥へと続く扉の前に立っている鬼怒田さんがこちらを振り向いた。

「なんだ。吉川に会いに来たのではないのか?」
「面会謝絶じゃなかったの?」
「わかった上で来ておいて何を今さら言っておるのだお前は。大手を振って他の隊員も連れてこられると厄介だからな。お前はどのみち交渉しにくるだろうと会議では面会謝絶で押し通すように決まったのだ」
「あーそういう……。大体さあ、箱に入ってんのに他の人連れてくわけないじゃん」
「箱?」
「……そういや、こっちの箱見たことないかも」
「玉狛にあるあんな部屋と同じ扱いをするんじゃない。……確かに、玉狛のあれは部屋と呼ぶにはお粗末ではあったが……」

ブツブツと何か呟いてる鬼怒田さんの後ろをついていく。明るく照らされた廊下の突き当りに更に明るい部屋がひとつあった。ガラス張りの壁越しに見える広い部屋の中央では、ベッドに紗希乃が眠っていた。大げさな酸素マスクをつけて、何やら点滴も挿してある。

「……まるで人権がある……?」
「何を言っとるんだ迅」
「いやいや、だって昔を思い出すと雲泥の差だよこれ。さっすが鬼怒田さん!技術力半端じゃないね」
「高トリオンの部屋なんぞ昔の技術じゃ壁を作るだけでも精いっぱいだったはず。玉狛のあそこも、あれだけ部屋に近い形をしておるのだ。並大抵の技術じゃ難しい」
「わかってるよ。だけどさ、今玉狛で保存してあるあの高トリオンの部屋は改良を重ねた結果なんだよねー。最初の頃なんてほんっと箱みたいで、」

トリオンをある程度持っている人間の今が否応なしに視えてしまう紗希乃は、常に情報過多で熱を出しては寝込んでいた。あまりにも酷い時に使っていたのがトリオンを何重にも重ねて作った高トリオンの壁で作られた部屋。今は使われてないその部屋は今も玉狛の地下にある。それこそ最初の部屋なんてベッドすらも入らなかった。小さめの布団を敷き詰めて、そこにあの子を横たわらせて、半透明の壁で蓋をする。完全に遮断できるわけじゃなかったらしいけど、頭に襲い掛かってくる映像たちは大分少なくできていたらしい。穏やかに寝息をたてる姿は、まるで死ぬ間際のようだった。

「紗希乃が棺桶に入れられてるみたいにしか見えなかったよ」

あの箱があることで紗希乃が助かるのが嬉しかった半面、俺の胸の内をざわつかせるあの箱が憎らしかった。あの子の顔を見て、視えてしまう未来のその姿が、ただ眠っているだけであってくれますように。小学生の頃の俺はずっとそんなことを考えていた。

箱庭さえも夢はない


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