春べを手折れば

我々は無神論者ですので

「ふーん、まじでメガネしてる」
「えっと……悪口ですか……?」

困惑しきったメガネくんに向かって、違う違うと手を振って否定する。他の人に見つかると厄介だからと悠一についてきたわけだけど、悠一ったら暗躍途中だからと姿をくらました。とは言っても私は簡単に姿を追えるから、自販機横にあるベンチに二人で並んで座って、適当に声をかけつつ悠一の姿を追う。そこそこ遅いこの時間には流石に人はやってこなくて、ジリジリと鳴る自販機の音だけがその場に響いていた。

「運動神経いい?」
「特別良いわけでは……」
「そ。だったら、何がいいかな。トリオン、あんまり高くなさそうだから何を選ぶか悩むね」
「………あの」
「うん?」
「あなたもボーダーの戦闘員なんですか?」
「そうだよ。さっきの色付きグラサンもね」

君もボーダーに入るんでしょ、と訊ねてみれば、メガネ君は唇をきつくきつく結んだ。……もしや聞き方間違えたかな。まだ悩んでるとか?だとしてもペンチでごそごそ有刺鉄線を排除しようとしてまで侵入を試みる人間がボーダーに興味ないわけないよね。悠一の感じだと反ボーダーの一人ってわけでもなさそうだし。

「僕、試験を一度落ちてるんです」
「えっ、ほんと?」
「本当です。なので直談判してやろうと今日は来たんです」
「ペンチ使って?」
「ペンチを使って」
「……」

これ、なかなか強烈じゃんか。悠一はやく戻ってこい!気まずい!一方的に気まずい!冷や汗をかいてるメガネ君から目を逸らすと、遠くに奴の姿が見えた。

「オツカレ〜」
「あの!僕!ボーダーに、」
「うん。入りたいんだろ?でもなあ、俺にもその子にもそういった権限はなくってさぁ」

時間も時間だし、新入隊員担当の人事部の人帰っちゃってたんだよね。と悠一はゆる〜くメガネ君に話しかけた。私には普通に残業してる大人たちの姿を現在進行形で視えているわけだけども、あえて口を挟まず明後日の方向を見ることにした。メガネ君に目線を合わせたら余計なこと言っちゃいそうだもん。

「明日の放課後にちゃんと正規の来客入り口からおいで。明日朝イチでアポとっとくからさ」
「っ……はいっ!」

タクシーに乗せてくるから先に戻ってな、と悠一に促され、言われるままにメガネ君へと別れを告げた。ここで粘っても特にいいことはなさそう。それに、なんとしてもねじ込むんだろう。暗躍しにいくと言って姿を消した時間に悠一が会っていたのは何人かの大人たちだったし。冷蔵庫、お茶残ってたかな。先に戻れ、ってことは後から来るんだよね。何か食べ物あったかなー。ぼんち揚げあるからいいか。袋ごと渡しておけばいいや。

先に部屋に戻って、グラスに氷をいれてお茶を注ぐ。きっとすぐやってくる。視なくてもそれはすぐに分かった。それから間もなくバンバン!と叩きつける音が聞こえて、案の定悠一が姿を現した。ほんと何回叩いたら気が済むんだこいつ。

「壊れたら出入りできないんですけどー」
「今んとこ開発局の誰かが修理に来る未来は視えてないから平気」

テーブルにあったお茶を一気に飲み干してから、悠一はソファに横になった。

「メガネ君、どう?」
「うん……さすが分岐点ってとこかな」
「やることたくさん増えちゃったか」
「その分、明るい未来も増えたよ」
「暗い未来も増えたんでしょ」
「それをウマいこと良い方へ転がしてくのが俺の仕事だろ?」
「……そうだけど」

きっと、一気に拓けた選択肢を目前に悠一は今後どうすべきかを今は必死に考えてる。ソファに寝転んで、腕で目元を覆っている彼は一体どれくらいの選択肢を前にしているんだろう。

「ベッドで休みなよ」

目元を覆っていた悠一の腕をよいしょ、と持ち上げて声をかけた。しゃがんで顔を覗き込めば、水色の目が不思議なくらい、うろうろと彷徨ってる。

「……いや、ここ俺の部屋じゃないからね?」
「私のベッドあるよ」
「そりゃお前の部屋だし」
「使って」
「いい」
「シーツ変えたばっかだから綺麗だよ」
「そういう問題じゃない」
「ただ休むだけでしょ。悠一疲れてるんだから使いなよ」
「使わない」

私が持ち上げたままだった腕がすこし強引に引き離される。それから、ソファの背もたれに向かって、顔を隠すように悠一は横になってしまった。寝たふりをしようとしているわけでもなさそうだけど、居心地が悪そうに肩がもぞもぞ揺れている。

「お前、そういうの他の人に絶対言うなよ」
「他って?」
「……太刀川さんとか」
「太刀川さん……」

あの格子状の不思議な目をした太刀川さんを思い浮かべる。確かに、太刀川さんにそんなこと言えない。脳内に浮かぶ太刀川さんが最近伸ばし始めた顎髭をショリショリさすりながら何か言ってる。

『もっとドロドロした感情だと思うけど』

私に背を向けて横になってる悠一の姿と、太刀川さんの言葉がぐるぐるとぶつかって目の前がちかちかした。

「ドロ……」
「泥?何の話?」
「いや、太刀川さんがドロドロって話……」
「嫌な予感しかしないからやめてその話」

顔は見せてくれないのに、悠一は片手だけ何かを探すようにひょいひょい宙をまさぐっている。なんとなく、ツンツンとつついてみれば、私の手は悠一の手に捕まってしまう。

「視える分岐が増えても俺は大丈夫だし、太刀川さんの言うことは信じなくていいから」
「……うん」

私の中が安心したような、ちょっぴり寂しいような、不思議な気分でいっぱいになってることに悠一は気づいているのかな。きっと昔のまま、ただ手を繋いでるだけじゃいられなくなってるのもわかってるんだよ。だけどね、やっぱりどうしていいかわかんないの。今まで通りの感覚で言っちゃいけないことも、やっちゃいけないことも増えてくばかりで、どれも私の心のペースに合わせてくれない。ゆっくりと、繋いだ手をほどいていく。名残惜し気に、すこし引き留められた気がしたけど、おそらく気のせい。寝たふりか、ホントに寝たのか、悠一の手はだらりと投げ出されたまま。それを楽な姿勢に直してあげてから私は自分の寝室の方に進んだ。

「おやすみ」
「……おやすみ」

後ろから飛んできた声に返事をして、薄い扉を閉じた。きっと起きたらもういない。大きく動くっていうこれからの為に動き始める悠一は明日からもっともっと忙しくなるだろう。……無理だけはしませんように。まだ手に残る、すこしかさついた感触を思い出しながら、私は手を組んで祈ってみた。神様なんていないけど、他の誰でもいい。叶えてくれそうな誰かに、何かに、祈っておこう。

我々は無神論者ですので


戻る
- ナノ -