30万打リクエスト小説

未来の色をそこで見た<後>



定期報告を終えて局長の執務室を後にする。部下と話をしたいが、その前に一服してこようか。登庁してすぐに同僚がポケットに忍び込ませるように入れてきた煙草の箱を取り出して、フロアの突き当りにある喫煙所へと向かう。そういや、ライターを忘れた。デスクの中にはあるだろうけど…誰かいるだろ。火を貰えばいい。そう思った先で透明なドア越しに見えたのは、パイプ椅子に座っている吉川紗希乃だった。さっき嫌になるほど輝いて見えたはずの真ん丸な目が伏せられていて、第一印象とは程遠い。あれは誰だ?なんて思ったけど、そもそもの彼女の事を知らないのに、誰だ、なんて別人を見た気になっている俺がおかしいのか。ドアを開けたら、甘い香りが一帯に漂っていた。

「……あれ。降谷さんも吸うんですね、煙草」
「君こそ吸うんだな」
「学生時代に友人のお零れ貰ってたもので…すみません、お邪魔して。お先に失礼しますね」
「もう吸わないのか?」
「……ご一緒してもいいんですか?」
「誰も邪魔だなんて言ってないよ」

座ってればいい、と言えば吉川はゆっくりと再度腰かけた。さっきまでやや投げ出すように座っていた足をきちんと揃えて、浅く腰座っている。火を貰えるか、と声をかけると慌てたようにライターを持って俺の前に火を差し出した。コンビニとかで安く売ってそうなそれ。たまにしか吸ってないんだろうな、とほのかに残る甘い香りにそんなことを思った。

「今は誰についてるんだっけ」
「今週から山中さんについています」
「村上、随分短かったな」
「そうですねえ…結局、村上さんと会話するよりもデータを眺める時間の方が長かったです」
「山中はどうだ?」
「村上さんよりは話します。けど、所々の説明を省く方なので再確認すると作業が滞るのが現状ですね」

わたしがもっと慣れてればスムーズにいくんでしょうけど。つまらなさそうにそう呟く吉川は自分が持て余されていることに気付いているらしい。他にも何点かした質問に答える彼女はやや不服そうにも見える。

「……何で警察になろうと思ったんだ?」
「はは、面接ですか?」

やっと笑った。けれど、おそらく本心からは笑っていない。あの時キラキラして見えた目は一体どこに行ったのか。

「別に、何かを守ってみたかっただけですよ」
「何かって何でもいいのか?」
「局長と同じこと聞くんですね」
「普通に気になるだろう、その言い方は」
「そんなもんでしょうか。ええと、何でもいいのかって言われたら、何でもいいです」
「それ、局長にもそう答えたのか?」
「はい。何かを守る役割が欲しいと言いました」
「そんなもの交通課でも守るうちに入るんじゃないか」
「おお…これまた局長と同じことを…!」

彼女は自分の煙草を炙って、火をつけた。ゆっくりと煙を吐いて、何やら悩んでいる様子に見えた。

「うーん、何て言えばしっくりくるのかって言われたら難しいんです。たぶん何でもいいって言いながらも実際はそんなことなくて。わたしの守りたいっていう単純な好奇心を満たしてくれるのがここかもしれないというわけでした」
「ちなみにその半分は局長の言葉だな」
「ご明察!わたし自身もわかってないんですよ。好奇心を満たせる場所を教えようって言う局長にノコノコついてきたのが警備企画です」
「刑事課はどうだったんだ?うちに引っ張って来れるなら警視庁採用引っかかったんじゃないのか」
「わたし、別に悪い人を捕まえたいわけじゃないんですよー」

悪い人。実に頭の悪い言い方だ。犯人の逮捕や小さな事件の解決は守りたいという目的のための手段でしかないと吉川は言う。

「わたしが欲しいのは役割で、居場所です。どれだけ犯人を捕まえ、人を守ったか。そんな数はきっとどうでもいいんでしょうね」

それを誇りに思って競う人ももちろんいますけど。と、ぽつり。付け足される。何かを守りたいっていう思いは警察を志した時点で皆似たようなものだろう。誇りに思うことが間違いだとはいわない。昇級の基準にもちろんそれが含まれているからだ。

「君が欲しいという役割や居場所は、例え険しい道のりの先にあるとしてもそれでも欲しい物なのか?」

煙草を口元に寄せたまま、ポカンと間抜けな表情で吉川が停止している。灰が落ちそうになるギリギリで彼女は慌てて吸い殻入れに手を伸ばした。

「どうしたんだ急に」
「いやあ……」

確実に目が泳いでいる。何かがあったのは歴然のこの状態で隠すつもりかこいつ。

「何かあるなら言ってくれ」

ううん、と悩んでいるのは言葉を選んでいるのか言うのを躊躇っているのかはわからない。覚悟を決めたように、小さく息を吐く。

「実は他の先輩方から降谷さんは優しいと聞いていまして、」
「……ホォー、つまりは思ったよりも優しくない、と」
「そういうわけでは!」
「じゃあ、どういうつもりだって?」
「想像していた優しさと逆の優しさだったと言いますか…!」

「ただの優しさは自分の為にも周りの為にもならないって此処に来てよくわかりました」

優しさとはよく一言にまとめたものだな。確かに、優しさを盾にした無責任さや腫れもの扱いは確かに仕事上邪魔なものでしかない。

「大変な仕事だから頑張れよ、って言葉はたくさん頂きました。もちろん嬉しいです。けれど…あ、面倒なこと言ってるの分かってます。分かっていますけど、それは結局どこか遠くにいるわたしへの言葉でしかないから」
「出会って数時間の俺の言葉だって似たようなものじゃないか」
「かもしれませんね。それでもあんな顔で言われたら、ふふっ」
「……笑われるような顔をしたつもりはないんだが」
「本当にそこまでして欲しいのか?ってかなり怪訝な顔していましたよ」

いい意味でも悪い意味でも優しい人たちに優しいと言われる人がそんな顔するとは思わなかった。と完全な思い込みによる俺とのギャップに面食らっていたらしい。

「それで、どうなんだ」
「そうですねえ。役割も居場所もこれまで簡単に手に入らなかったから、欲しいです」

駆け出しの今は手に入れたというには足場はまだまだ脆くて、もっと深いところまでいかなくてはいけない。まだ完全に手に入れられたわけじゃないことをわかっているようだった。これからおそらくそう遠くない未来で彼女がいることが違和感がなくなり歯車のひとつになった時、目標は達成されたと満足してそこで終わってしまうのだろうか。

「そうか。じゃあ、大変な仕事だから頑張れよ」
「あえてその言葉を選ぶのってすごいですね……!」

潜入の話を聞かせてください!と煙草なんてとうに吸い捨てた細い手を合わせて吉川が頼み込んでくる。それじゃあ、あと一本吸っている間だけ、と伝えれば嬉しそうに火を差し出して来た。やっぱり異常にきらきらしていて目に悪い。それでも、きっと見慣れていくんだろう。だったら満足して終わってしまう姿じゃなく、その先も眺めてみたい気がする。細く長く紫煙を吐き出してそんなことを思った。



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