30万打リクエスト小説

二人で鳴らす鐘の音は



これは……茹でたらきっと美味しいのでは……?!と、八百屋さんの前を通った時に見かけた、とうもろこしの盛り籠を眺めてひとり胸を躍らせる。焼きとうもろこしもバターコーンも美味しいけれど、茹でてすこし冷ましてぷりぷりしたとうもろこしには絶対勝てない。降谷さんは絶対に定時で上がると意気込んでいたから、ここで買って降谷さんちに行って先に茹でちゃおう。

すこし前に新しく借りた降谷さんの家。持たされた合鍵で中に入る。重たいとうもろこしたちをキッチンに置いて、他の荷物をリビングのソファに置きにいく。泊りに来たけど、細々した物はここに置かせて貰っているから荷物自体はそんなに多くない。

茹で始めて少し経った頃。降谷さんが帰ってくる音が確かに聞こえたのに、一向に中へ入って来ない。沸騰しそうになった鍋の火を調整してたから出迎えなかったけれど、もしやそれで拗ねてる?いやいや今さら、と玄関を覗くように顔を出してみた。……なんか思ってたのと違う。拗ねてるわけじゃなさそうで、尚更不思議だ。

「どーしました?」
「いや。良い香りだと思ってさ」

なんだ、とうもろこしの香りに気をとられてただけか。面白くって声を出して笑っちゃいそうだったけど、それこそ拗ねてしまいそう。せっかく美味しい物があるんだからそんなことはしてはいけない。彼からスーツのジャケットをはぎ取って、ハンガーにかけに行く。ネクタイをゆるめながら寸胴に近づいた降谷さんは興味深げに覗き込んでいた。そんな寸胴相手に色気振りまいてないでさっさと着替えて来てくださいって。茹で方を気にしてる降谷さんをキッチンから追い出して、着替えてくるように言いつけた。寝室へと消えていく降谷さんを見送って、ゆらゆら揺れる鍋を覗き込んだ。あと少しで茹で上がる。あー、そういえば、すこし茹で汁に浸けたままの方がよかったんだっけ。たしか、5分から10分くらいね。

*

夕食を作り終えて、二人でテーブルに向かい合って座った。最近、穏やかに笑うことが増えた気がする。わたしも、この人も。目の前で、すこし冷ましたとうもろこしを一本丸々持って眺めている降谷さんに思わず笑ってしまった。

「ツヤツヤしてる」
「とうもろこしを茹でるならお任せください。とっても自信あります!」
「よく茹でてるのか?」
「大人になってからはたまにですけどね。幼い頃に母がよく茹でてくれたのをずっと見ていたもので」

今は亡き父が存命だった頃。家族みんなで行ったお祭りでとうもろこしを食べたのを覚えてる。それくらいしかみんなで出かけた覚えはない。だからなのか、夏に近づくと母はよくとうもろこしを茹でていた。

「姉もわたしも母が茹でてくれたそれがとても好きで。冷蔵庫に入ってないと拗ねちゃったりなんかして」

ただのとうもろこし。だけど、忘れることのない思い出が詰まってる。何だか話すのが照れくさくって、早く食べましょう、とわたしもそれに手を伸ばす。

「……なあ、」

とうもろこしに伸ばした手が、降谷さんにいとも簡単に捕まえられる。すこし、緊張した面持ちの彼に思わずこちらも身構えた。

「結婚しないか」
「…………は?」
「は、ってなんだ。はって」
「いや、だって。いま?ここで?とうもろこし持って?」
「……わるい、」
「……ぷっ、あはは!」

言われた言葉と、自分たちのいる環境と、ちぐはぐな現状に笑いがこらえきれない。顔を真っ赤にした降谷さんがわたしの手首を掴んだままの手に力を込める。いやいや痛いって!ギリギリ締め上げられる手に笑いがやっと止まった。それでもニヤニヤしちゃうのは変わらない。

「別に最初からここで言うつもりは……!」
「わかってますよー。降谷さんのことだから、きっと色んなこと考えて準備してるんだろうなって思ってましたし」

だから、突然言いたくなった理由が聞きたいなあ。少しいじわるかもしれないけど、首を傾げて聞いてみる。はー、と息をついた降谷さんがわたしの左手を掴む手を緩めた。わたしが手を引く前に絡めとられて、テーブルの上で向かい合ったまま恋人つなぎをしているような姿勢になる。頭を垂らして何かブツブツ呟いてるようだったけど、すぐに顔を持ち上げた。

「紗希乃が家族の事を思い浮かべるその時に、俺もその中にいる一人でいたい。さっきの昔のことを話す姿を見てそう思ったら、つい」

力になりたいとか、守りたいとか。傍にいていいよっていう約束をするのが結婚だと、今までそう思って来たけれど、それだけじゃなかった。もっとシンプルでよかった。この人と家族になりたいって気持ちだけで十分だったんだ。

「俺と家族になってくれませんか」

喜んで。そう口にしたかったけど、必死に頷くことしかできない。それでも優しく笑ってくれる貴方がわたしは心の底から大好きです。これからもどうか、末永くよろしくお願いします。


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