憧憬/降谷零


騙していないよと嘯く影


色々と複雑な気分。降谷さんが用意してくれたテニスウェアがぴったりだったことも、降谷さんに黄色い声をあげる謎のギャラリーがいることも。

「降谷さんてもしやテニスの大会とか出てました?」
「中学のときにね」
「思ったよりかなり昔!」
「昔って酷いな。これでも腕はまあまあだけど」
「腕を疑ってるわけじゃないんですよ、ただその時のファンでも来てるのかと思って」
「そんなわけないさ伊豆に来たのは初めてだし」

フェンスの向こうの人々は降谷さんの一挙一動に黄色い声をあげる。降谷さんに憧れているわたしとしてもここまで黄色い声をあげたりなんてしないよ。まあ、テニスウェアも似合ってるし普通にかっこいいんだけど、安室透モードに入ってしまった今は手放しで喜べない。やたらめったらニコニコするんだもん。なーんか胡散臭く感じちゃう。

「ふーん…」
「拗ねてるのかい」
「みんな騙されてるのに楽しそうなのが複雑です」
「こんなところで騙すとか言うなよ」
「大丈夫ですよ、まだ探偵たちは来てませんし?」

お前なあ、と言ってる降谷さんはやっぱり安室透になりきれてない。この人わたしといないほうがいいんじゃないかと思うんだけどそこのところどうなのかしら。毛利探偵の前でいつかボロが出てちゃうと思うんだけど。安室透とわたしが普通に出会っていたらどのように関係を構築していくんだろう。ぼけっとそんなことを想像していたら、ただでさえテニス経験の少ないわたしの横を勢いついたテニスボールが飛び抜けていく。後ろで跳ねるボールを目で追うと、「余所見だなんて随分余裕ですねえ」とちょっと満足げな声がとんできた。


*

毛利探偵がまだ着かないなら、と降谷さんのテニス指導を一旦中断して洗面所にいく。コートから離れたところにあったせいでそこそこ時間がかかってしまった。戻る途中でフェンス越しに見つけた数人の集まりの中にはTVで見た毛利小五郎とこの前会った探偵の少年の姿がある。後ろから近付いて、小さな肩に手を置いてみた。

「わっ!」
「うわあっ!」

想像以上に驚いてくれたコナンくんは、驚きを通り越してもはや恐怖の色が浮かんでいるようにも見えた。えっ、わたし冗談で驚かしただけなんだけど。しゃがんでコナンくんの目線に合わせると、少しだけ落ち着いたようで開いていた瞳孔がゆるゆると小さくなっていく。

「紗希乃姉ちゃん……?」
「ごめんね、吃驚させすぎちゃったみたい」
「いや、何で…っつーかアイツ……!」
「あいつ?」

あいつとは。コナンくんがわたしと、少し離れた先にいる降谷さんと毛利探偵の娘さんたちを見比べるように顔を動かした。娘さんたちはすごいすごいと降谷さんに話しかけている。

「大丈夫なんですか?体調を崩されたって聞きましたけど…」
「ちょっと夏風邪をひいただけですよ。週明けにはポアロのバイトにも復帰しますしね」

降谷さんの言葉に何やらショックを受けているような様子のコナンくんを見て思い当たることがあった。そういえば降谷さんがこの前乗ったっていうミステリートレインには毛利探偵一行も同乗していたはず。ならば彼の潜入先の仕事を目の当たりにした可能性もあり得る。……降谷さんに限ってそんなヘマしたりしないとは思いたいけども。

「ねえコナンく、」
「危ないコナンくん!」

何かが飛んでくる気配に身体が動くも、それを振り払う前にコナンくんに当たってしまった。頭を抱えて苦しんでいるコナンくんの後頭部を見る。血は出ていない。駆け寄ってくる降谷さんが毛利探偵の娘さんに「医者を呼んでください、蘭さん!」と叫ぶように伝えた。娘さんが携帯電話を取り出したのを確認してから降谷さんがコナンくんの後頭部を覗き込むように近づいてきた。

「出血は?」
「ありません。発赤とコブはやや目視できる程度ですが後々大きくなるんじゃないかと」
「軽い脳震盪かな」
「おそらくは。泊まる予定の別荘は近いんですか?」
「ウチの別荘です!このコートからすこし距離があるけど…」
「毛利先生、車はすぐそこの駐車場に?」
「ああ、すぐに取って来る!」

毛利探偵が車を取りに出て行こうとすると、コナンくんの頭にぶつかったラケットの持ち主が自分の別荘が近いと申し出てくれた。「そこに運びましょう」と降谷さんがコナンくんを揺らさないように持ち上げた。わたしはコナンくんと降谷さんのラケットを拾って、急いで近くの別荘へ向かう一行についていく。今思ったって遅いけれど、すぐそばにいたのはわたしだったのに気付くのが遅れてこんなことになってしまった。ごめんね、コナンくん。あとでちゃんと意識が戻ってから謝ろう。そう思いつつ後ろをとぼとぼとついていくことにした。





騙していないよと嘯く影

←backnext→





- ナノ -