憧憬/降谷零


危険回避で気分はブルー


家の近くまで降谷さんに車で送ってもらってから数日。出勤してすぐに風見さんから呼び出された。

「なんですかー。明日の出張の準備とかあるんですけど」
「その出張は行かなくていい」
「はい?」
「お前の代わりに別な奴が潜入することになった」
「ええ何で!?別件ですか?」
「いや、お前は待機組だ」
「なんで急に……」
「降谷さんからの指示だ。文句があるなら本人に言え」

文句があるならって、文句なんか言えるわけないじゃないか。他のメンバーを聞いてみれば変更されたのはわたし一人だけ。なんでわたしだけ交代させられたんだろう。何かやらかしたかな。あー、やだな。何やったんだろう。自分のデスクにふらふらと戻って、片づける途中だった鞄を手に取った。鞄から取り出したスマホは画面が光っている。どうやらメッセージが届いているようだった。ちょうど話に出たあの人からのメッセージで、なんてタイミングだと思った。

『今回の件はちゃんと埋め合わせするから』

埋め合わせって何で。まるで個人的な事情でわたしだけチェンジしたみたいじゃないの。ひとまずそれに「甘いのが食べたいです」とだけ返してみる。『わかった』と簡潔な返事を見てから、スマホをポケットへ仕舞った。今度ポアロにでも行ってケーキをご馳走になろう。ついでに接客業をしている降谷さんの写真を撮ろうかな。あ、でも安室透を演じている降谷さんは降谷さんぽくなくってちょっと嫌だ。……写真はやめてケーキふたつにしてもらおう。
他の先輩にこそこそと探りを入れてみると、どうやらわたしが出張で出向くはずだったミステリートレインという列車に降谷さんを含む例の組織も潜入するらしかった。なんだやっぱり仲間外れか。ちぇっ、ケーキみっつにしてもらおう。最後のひとつは持ち帰りしてやるんだから。


*

「それで、埋め合わせがこれですか」
「ご希望の甘いものは次の休みにでもポアロにおいで」

新作のデザートの味見させてあげるよ。と車のハンドル片手に笑う降谷さんの隣りでうなだれる。毛利探偵の頼みで彼の娘さんと友人にテニスの指導をすることになったらしいけど、なぜか「来るよな?」と電話越しに圧力をかけられてまんまと助手席に押し込まれた。なんてこったこの人わたしのテニスウェアまで用意してるんですけど。サイズ合うのかな。ウエストきつきつだったりしたら笑えないって。

「わたしテニスなんてちゃんとやったことないですってばーお荷物ヤですよ」
「教えてやるって。元からその依頼だし、一人も二人も変わらないさ」
「……ほんとなんでわたし呼んだんですか」
「呼びたかったから」
「なーんでそういうことサラっと言うんですかああああ」

めちゃくちゃ嬉しいってことは言わないでおく。言わなくても伝わってるんだろうってことは百も承知ですよこのこのこのこの!わたしの口元がだらしなくにやにやしてるのなんて今に始まった事じゃないけど、頑張って元に戻す。むしろぐにゃぐにゃだらけてくんだけどどうしたらいいのこの口。

「それで、ミステリートレインはどうでした?組織は何か収穫でも?」
「収穫か……気になることは増えたかもしれないな」
「赤井の件ですかね」
「ああ。ベルモットに奴の死に際の映像をこっちに回してもらうよう交渉している所だ」
「それって本当に赤井だったんですか?」
「わからない。それでも、奴が生きている可能性があるのなら俺は死んでも追い続けてやる」

貴方が死んだら、わたしたちは貴方の信念を背負って追い続けて行くんでしょう。だけど、降谷さんはそれすらも許せないのかな。自分で見つけて自分で奴に報復しなくちゃこの人の思いは晴れないのかもしれない。

「無理はしちゃだめですよ、降谷さん」
「お前にそっくりそのまま返すよ、吉川」

バッグの外側のポケットに入れた煙草につい手をのばしたら、降谷さんが窓をすこしだけ開けてくれた。

「ありがとうございますー」

口に煙草をくわえてライターで煙草の先を炙っていると、信号が赤にでもなったのか車のスピードがゆっくりと減速していく。

「一本くれ」

ひょいと伸びてきた降谷さんの手が掠めていったのは、わたしの手の中にある煙草の箱ではなくて、わたしが咥えていた煙草だった。びっくりして口元から持って行かれたままぽかんとしていると、離れていった煙草は降谷さんの口元へとゆっくり収まった。嗅ぎなれた果物の香りのする煙が隣りから香ってくる。深く息を吐いた降谷さんは、「甘すぎ」そう吐き捨てるように呟いた。

「安室透は吸わないんじゃなかったんですか」
「誰と出かけてると思ってるんだよお前」
「降谷さんですけど」
「だったら問題ない」
「でも今日は安室透で来てるのにー」
「二人だけの時くらい良いだろ別に」

それから、また「甘い」と繰り返す降谷さん。この前ひと箱あげたじゃないですか、そう伝えると「もうとっくに吸った」と言われる。それもそうか。大事にとっておくもんでも何でもない。後で自販機で別な煙草買っておこう。この人が好きな銘柄があるといいんだけど。





危険回避で気分はブルー

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