憧憬/降谷零


答えはきっとすぐそこに


日が落ちるのが大分遅くなってきた今日この頃。信号待ちで捉まった交差点で、カチカチと等間隔に鳴り響くウィンカーの音をBGMにひとり帰宅する。少しでも早く帰りたいのに、横槍をいれられたような気がして面白くなかった。早く動け、そんな呟きと小さく漏れる溜息をかき消すように、無機質なそれは車内に響いていく。ようやく動き始めた流れに沿って、アクセルを踏み込んだ。

『今日は楽しみにして帰って来て下さいね』

帰宅前に届いたメッセージに首を傾げたのは数刻前。今日は何かあっただろうか。生憎休みがなかなか被らず入れ違いに休んでいる彼女からの連絡に色々と想像してみる。今日、泊まりに来ると元から約束していて夕食は一緒に作るって言ってるし、この前買ったDVDはもうすでに一緒に見た。あとは……なんて考えながら運転していたらあっという間に到着する。潜入時代に数件持っていた物件は全て引き払って、今は新しい所に部屋を借りている。エレベーターに乗って、自分の部屋の鍵を開けたところで漂ってくるほんのり甘い香りに気付いた。

「おかえりなさい〜」
「……ただいま」

いい香りに玄関先で心奪われかけていた。声だけで迎えてくれた紗希乃が廊下へひょっこり顔を出して覗いて来た。いけないいけない。

「どーしました?」
「いや。良い香りだと思ってさ」
「ふふふ、でしょう〜?」

ラフな部屋着を着た紗希乃がスリッパをパタパタ鳴らしながらやってきた。はやくはやく、と俺を急かしながらスーツのジャケットを奪っていく。おいこら急ぐか脱がすかどっちかにしろ。鼻歌を歌いながらジャケットをハンガーにかけに行く彼女から離れて、香りの元に向かう。玄関先ではふわっと香る程度だったのに近づくとどんどん濃い香りがしてくる。キッチンのコンロの上に置かれた大きな寸胴に縦に浮かんでいるのは濡れた皮を纏ったとうもろこしだった。

「降谷さんは、ぷりぷり派ですか?シャキシャキ派ですか?」
「ホォー、とうもろこしの拘りポイントはそこか」
「ちなみにこれは最も甘く仕上げるために沸騰させずに茹でてます」

親指をグッと立てる紗希乃に思わず笑うと、「あと3分くらいしたら茹で上がるので早く着替えて来てくださいよー」とキッチンから追い出されてしまった。寝室で手早くラフな格好に着替える。とうもろこしを丸々茹でたことって案外なかったかもしれないな、とワクワクしている自分がそこにいた。急いで駆けつけたら格好がつかない気がして、そろりと静かに戻る。キッチンに立つ彼女の後姿が目にはいって、思わず足を止めた。もうすぐ茹で上がるそれを目の前で眺めて、微笑んでいるだろう後ろ姿。なんだか平和の象徴を見せつけられているような気がして目がチカチカする。

……潜入捜査を始めた頃、俺の今後の人生において『今日は何てことのない平和な一日だった』と、そう思える日は果たしてやってくるのだろうかとぼんやり考えたことがあったのを思い出す。俺自身が欲しかったわけじゃない。守るべき国民がそう感じられたらいいと思っていた。ただ、守りたいものを抱えて生きていくこの先で、そんな日が訪れる日が来るのかという単純な疑問だった。

「……答えはここにあったんだな」

組織を解体できたからと言って、日本が平和になるわけじゃない。見えないところに脅威は潜んでいるし、今こうしてる間にも新たな問題が生まれ大きくなっていく。これからもそれらから日本を守るために必死に戦っていくのには変わりない。けれども、すこしばかりは休む時があってもいいのかもしれないと、今ではそう思える。

「降谷さん、茹で上がりましたよ!でも、少しだけお湯につけたまんまがいいらしいです」
「どれくらい?」
「5分から10分くらいです」
「じゃあ、別の物の下拵えでもしとこうか」




答えはきっとすぐそこに

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