憧憬/降谷零


憧れだけじゃ足りないね


「お茶は後で淹れてやるから、吉川借りるぞ」
「ええどうぞ」
「えっ本人の承諾は?」

承諾なんて必要ないらしい。手を振るならまだしも、わたしを追い払うように風見さんは手をぺっぺっと動かした。ひどい!降谷さんはわたしの右手をそっと握って静かに引いていく。……どうせ無理やり連れてくならもっと強く引っ張ってくれたらいいのに。パタン、と軽い音をたてて閉まった仮眠室の扉を背にしてちらりと降谷さんを見上げる。色濃いクマに縁取られた蒼い目が静かにこちらを見下ろしてきた。それから、長くて深いお互いの溜息がシンクロして仮眠室にのびていく。

「ちゃんと聞けなくて悪かった」
「謝るんならちゃんと休まなかったことにですね」

簡易ベッドはあるけれど、二人で並んでソファに腰かけた。さすがに職場で二人仲良くベッドを使用する気にはなれない。トリプルフェイスという役割は案外ストッパーのような働きをしていたのかもと今にして思う。降谷さんがこさえたクマは安室透には似合わないからそれなりに気を配っていたのを知ってる。それが今はどうだ。ストッパーは消えてしまった。わたしが、消したんだけどさ。

「ねえ降谷さん、もう急ぐ必要はないんじゃないですか」

完全に終息したわけではないけれど、組織の幹部はほとんど確保していて残党もほぼ居場所が割れている。ひとつずつゆっくり消化していってもいいんじゃないでしょうかねえ。特にずっと働き詰めだった降谷さんに関しては。

「もう急がなくていい、か……」
「ええ。今までずっとギリギリで頑張って来たんですもん、すこしくらいゆっくりしても、」
「いや、そうじゃないな」
「え?」
「急ぐ必要の有る無しの話じゃない。俺が急ぎたかったんだ。いき過ぎて、見失いかけてたけど」

急ぎたかったと言う降谷さんは、目が冴えてきたようで大きな目を瞬かせた。まるで最後のパズルのピースを見つけて喜んでいるようにも見えた。

「吉川と過ごせるだろうこれからのことを考えたら、気が逸る。はやく全てを終わらせて、すこしでも早くお前と、」

彼が見つけたピースは、これまで集めてきたものとは毛色が違ったみたい。なんだかとても明るい希望に満ち溢れているように感じる。だって、これからを口にする降谷さんがとても嬉しそうにしてるんだもの。それがわたしとの未来のことを思ってのことなんて、まだちょっと信じきれなかったりする。お前と、と言ってからハッとしたように降谷さんは自分の口元を片手で覆い、反対の手のひらをわたしの前に突き出した。

「いや、待て今じゃない。ちがう、いや、違うこともないがまだ……!」
「あはは!」
「笑うな!」
「笑っちゃいますよぅ!だって、おんなじなんですもん!」

わたしも降谷さんのことになるとうまくいかないの。心の声は漏れちゃうし、顔にも出ちゃって困ってる。それが降谷さんまでそうなってるとは!似た者同士ですね、なんて笑ってやればちょっぴり顔の赤い降谷さんにじとりと睨まれた。ふふん、怖くなんてないですよー。余裕こきすぎた、そう思った頃には時すでに遅し。わたしの頭の後ろが大きな手で支えられたと同時に目と鼻の先に近づく青い双眸。かさつく降谷さんの唇が啄むようにわたしの唇を捕えていった。

「っふ、あ、……」

ちゅっと最後に音を立てて離れてく彼の赤。どちらのものかわからない唾液で潤った口元をしたり顔で舌なめずりされては恥ずかしさが急上昇で頭が吹き飛びそうだった。……今なら飛んでいけそうだなんて馬鹿なことを考えているうちに、いとも簡単に抱きすくめられる。

「これまでは、ちゃんと言葉にできなかったけど」

耳元で呟かれてビリビリ痺れてくような感覚に構えてしまう。力が入ったのがわかったのか、フッと笑われてさらにビリビリした。あの、あの、耳元で笑うのも囁くのもほどほどにしてくれませんか……!

「好きです。付き合ってください」

言葉がなくても、足りなくてもいいと思ってた。だけどそんなのただの虚勢でしかなかったね。声が聞こえる場所にいて、言葉を交わせる関係でいて求めないわけがない。いくらでも欲しい。だってこの人は、もう二度と会うことのできない人じゃないのだから。
言葉にならず、コクコクと頷くことしかできないでいるわたしに降谷さんは何を思ったのか不思議そうにしていた。

「もっと期待してたのか?」
「ちっ、違いますっ!……いや、違わないんですけど!」
「ハハ。その先のことは時が来たら言わせてほしいな」

わたしが言葉を欲しいなら、降谷さんだってきっとそう。互いにうまくいかなくて呻いてばかりなくらい一緒だもの、そうに違いない。だったら、ちゃんと返してあげなくちゃね。……すっごい恥ずかしいけど。

腕に閉じ込められているだけだったのをもぞもぞ動いて降谷さんの背中に手を回す。「降谷さん、」ちいさく呼んでみたら、ん?と首を傾けてくれた。

「大好きですよ。きっとこれからもずっと!」

抱きしめる力がゆるんで、向かい合った顔は互いに緩んでいて、降谷さんの表情も、青い目に映る締まりのないわたしの顔も恥ずかしくってくすぐったくってしょうがない。

「……ありがとう」

がくん、と降谷さんがわたしの方へ倒れ込んできた。慌てて抱き起せば、ぐうぐうと間抜けな音を立てて眠っている。そうだった、全然寝てないんだこの人。一体何徹目だっけ?とりあえず全体重をかけられてもわたしが苦しいだけなのでわたしの膝へと降谷さんの上半身を転がした。これいわゆる膝枕ってやつじゃん。恥ずかしくても相手は夢の中へ潜っているのだから関係ない。さらさらの色素の薄い髪をそっと撫でてみた。

「ふふ、」

出会ったばかりのころのぶっきらぼうな顔。この人に初めて頭を撫でられた時。溺れちゃいけないと予防線を張り始めた時。色んなことが溢れるように思い出されていく。結果的に落っこちてしまったわけだけど、あの時のわたしの判断は正しかったのかどうか。……違う方法を選んでいたら、こんな風に近づけていなかったのかもしれないね。憧れだと思い込もうとしてたのは正解だったんだろうな。

でもなあ、やっぱり……




憧れだけじゃ足りないね

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