憧憬/降谷零


憧憬が馴染んで滲みゆく


「弁解は?」
「ありませんね!」

眠さのピークは過ぎた。ギュンギュン回転してた頭もいくらかゆるやかになったように思う。助手席に座ってキッパリ言い切ったわたしに、降谷さんは頭をガシガシかいて唸っている。

「策があるとは思っていたけど、吉川がまさかここまで振り切るとは思わなかった。ベルモットは相当気に入らないみたいだよ、お前の事」
「ははは、お互い様ですよ」
「どうせ公安関連まで行きつかないと思って放っておいたのに、どうしてわざわざバラしてるんだ」
「いずれは行きつくでしょう?だったら、いつくるかわからないいずれを気にして待つより用意しちゃった方がダメージ少ないじゃないですか」

それに、そんなの気にしてちゃわたしは貴方の近くにいられないのだ。ベルモットにわたしの存在が割れた以上、近くにいるのを納得させる材料が必要なんだから。

*

見慣れた天井。……ではなく、見慣れぬ天井。でも、見たことがないわけじゃない。うとうとしてたのは降谷さんの家のソファだったらしい。降谷さんはどこだろう。膝にかけられたブランケットを畳んで立ち上がる。あ、ベランダか。手すりにもたれ掛かかりながら降谷さんが煙草を吸っていた。ラフな部屋着を着てる降谷さん。なぜだか無性に飛びついてやりたくなった。……ああ、そうか。わたしはずっと受け身だったんだなぁ。改めてそんなことに気付くなんてね。
降谷さんの大きな背中に、後ろからそっと触れる。

「……吉川?」

顔だけ後ろを振り返る降谷さんから見えないように、そのままぎゅうっと抱き着いてみた。一瞬びくりと力が入ってからすぐにゆるむ。煙草の火を消したらしく、降谷さんの堅いお腹に回したわたしの手の上に降谷さんの手のひらが重なった。

「いやなら引っぺがしてください」
「うーん。嫌がってると思う?」
「……いやじゃなかったらいいなと、思います」
「はは。いい返事だ。」

いとも簡単に身体の向きを変えられて、背中にしがみついていたわたしの正面には満足げに笑う降谷さんの顔が現れた。途端に恥ずかしさに襲われて離れようとしたけど、そうさせてはくれない。

「嫌だったらさ、元から連れ込んだりなんてしないだろう?」

そりゃそうですよね。返事の代わりに胸元に飛び込んだ。この間から変だと思われてるかもしれない。実際変だし、今までしなかったことばかりしてる。本当はもっと早くこうすればよかったんだろう。力いっぱい抱きしめてくれる降谷さんを抱き返しながら、そう思う。

*

「何がきっかけとか聞かないでください」
「まあ、ベルモットだろうなとは思ってるけど」
「ああー!だから!言わないで!」

ソファに二人並んで、くっついて座った。いつも簡単に触れてほしくないところを笑顔で触れてくるものだから反射的に距離を置く。すると当然のように降谷さんは詰めてきた。意地になって、またすこし離れるとまた詰めてくる。ソファのひじ掛けまであっという間に追いやられてしまう。

「だって、よりにもよってわたしと仲のいい梓さんの見た目で降谷さんに抱き着きまくって……!」
「そんなに抱き着かれた覚えないけど」
「抱き着いてました!」

あああ嫉妬してるのとか恥ずかしすぎる。ていうかずっと恥ずかしい。穴掘って埋りたい。隠れたい。ソファの下とか入れるかな。このソファの形なら入れそうだな。

「それで、ベルモットを許せなくて、自分の情報を売ったのか?」
「許せないだけじゃないです。あの女は目敏いからいつか気付く。その時にわたしから降谷さんに行きつかれちゃ困ります。だから、利用し合ってるように見せたかった」
「……初めの頃。情報をどう使うか聞いた事あったよな」
「ええ。何て答えたかあんまり覚えてないですけど」
「お前は"情報を使って日本を守りたい"って言ったんだ」
「それは今も変わってませんけど……?」
「きっとあの頃の吉川はさ、ただ守りたかっただけなんだよな。その頃のままだと、守ってやらなくてはならないままだと俺は思い込んでいたんだ」

受け身の守りから、攻めの守りへ。守ることにも手段があると学んだのはいつからだっただろう。

「きっと、色んなやり方があることを理解させてくれたのは降谷さんですよ」

徹底的に情報を集めることを。どのように情報を操るかを。それがただの攻撃ではないことを、わたしは降谷さんを見て学んできた。ねえ、降谷さん。なにも線引きだけに一生けん命になってきたんじゃなくて、貴方の部下としてちゃんと育ててもらってたんですよ。
大きな手のひらがわたしの頭をぐっしゃぐしゃにかき回していく。うわこれただの犬。ボサボサになった頭を手櫛で整えられる。くすぐったくて降谷さんの手を掴んだ。

「ハア……そんな大事に育ててきた部下に俺はこうして手を出しまくってるわけだ」
「その言い方!まるでセクハラ上司ですね」
「訴えられたら負けるかもしれないな」

ここ最近の降谷さんからのスキンシップは確かに以前と比べたら多かったから、もしもわたしが訴えたりなんてしたら本当に降谷さんは負けちゃうかもしれない。

「お前は押したらひくから、どこまで押せるか匙加減が難しくて」
「はは、すみませんでしたー」
「本当だよ。だから、そっちから来てくれるなんて、」

夢みたいだ。まるで壊れ物を扱うように優しく抱き寄せられる。

「ねえ、降谷さん。ここの所ずっと考えてたことがあるんです。聞いてくれます?」
「俺がお前の話を聞かなかったことあったか」
「怒った時はときどき?」
「……これからはちゃんと聞くようにする」
「ふふ、ありがとうございます」

わたしが降谷さんを好きではないと線引きしていたのは、日本を守りたかったのにそれどころじゃなくなりそうだったから。そして、降谷さんの邪魔になってしまいそうだったから。それから……

「わたしは、降谷さんにとって捨て置いて貰える存在になりたかった。」

必要な状況なら切り捨てて、置いて行ってほしい。そうすれば邪魔にならない。そう思っていた。

「でも、きっとそれだけじゃ意味ないんですよね。」

置いて行ったって、心のどこかではずっと気にしている。目の前に敵と対峙していたって、置いて行った相手のことを気にしてる。無事でいてくれるだろうか、悪い状況に陥っていないだろうか、置いて行って申し訳ないと。東都水族館の時がそうだった。わたしは祈ることしかできなかったけれど、置いて行こうが連れて行こうが邪魔になるのは物理か精神的かの差しかない。
きっと降谷さんは必要ならこれからもちゃんとわたしを置いてってくれる。

「だから、最後に迎えにきてほしい。すべて終わった後でいいんです。降谷さんは優しいから、置いて行ったことに罪悪感を覚えるでしょう?だったら、最後に思い出して。罪悪感に揺らされて、不必要な時にわたしを思い出すんじゃなくて、一番最後に思い出してやるからそれでいいって思ってほしい」

その時になったらわたしはきっと自分でできる限りもがいて、最善の結果をだせるように、また貴方と会えるように頑張るだろうから。

「まあもちろん、そんな状況になる前に貴方の立派な部下として奴らに渡り合ってやろうって思ってるんですけどね」

もっともっと強くなってみせるから、壊れ物を扱うみたいに触れなくても大丈夫ですよ。温かさを逃がさないように、強く強く抱きしめた。




憧憬が馴染んで滲みゆく

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