憧憬/降谷零


切れ間に見えた柔らかさ


事は済んだと部下へ簡潔に連絡をしてから、降谷さんの番号に電話をかけるも一向に繋がらない。ベルモットが降谷さんに突撃かましてんじゃないでしょうね。

「っはあああああ」

長い長い溜息が止まらない。それもそうだ。慣れない事ばかりで頭が常に回転してる。スイッチはわりと簡単に入るけれど、落とすのには一苦労。色んなことを先回りして考えすぎて疲れちゃった。

「甘い物が、食べたい……!」

糖分が必要だ。バッグの中身を漁っても出てくるのはガムに煙草に全然使い物になりゃしないものたち。苦し紛れにガムを口に放り込み、薄暗くなった道を歩き出す。

……なんとか上手く落ち着けたと思う。あの女に中途半端に探られて、知られてはまずいところに手を出された後じゃ後手に回る。そんなことになっていたら火消しも辛ければ下手するとわたしから公安が切り崩されるかもしれなかった。どのみち何かしらのルートで探られていたと仮定して、こっちから情報を選んで差し出しておけば食いついてくれるかもしれない。そう思って昔のバイト先を利用してベルモットにわたしの情報を匂わせた。逆にうまくいきすぎて怖い気もするけど、ひとまず喜んでおこ。

考えながら歩いていたものだから気がつけば杯戸駅に着いていた。わたしの本来の家は米花町だからここから移動しなくちゃ。あー、もう適当にどこかお店入ろっかな。

「あれ?紗希乃さん?」
「コナンくん?」

名前を呼ばれて振り向くと、そこにはつい先ほどまで交渉のダシに使わせてもらっていた少年が首を傾げて立っていた。

*

「甘い物って素晴らしいよね」
「アハハ……紗希乃さんって甘いの好きだったんだね」

コナンくんが引くのも無理はない。目の前に並ぶスイーツたちにホットコーヒーを飲んでる少年は苦笑いをしてる。むしろ君がコーヒーってのがお姉さん解せないわ。たまたま遭遇したコナンくんを誘って杯戸駅のすぐそばの喫茶店でお茶をすることにした。蘭ちゃんの作る晩御飯が待っているらしいコナンくんは、少しだけだよ、と蘭ちゃんに連絡をいれてから付き合ってくれてる。

「まあそれなりに?今日、というか数日前から頭がフル回転でねえ。倒れない程度にはエネルギー摂ってたけど、流石に足りなくって」
「……まさかと思うけど奴らに何か動きがあったの?!」

バン!とテーブルに勢いよく手をついたコナンくんが乗り出してきた。動きはあったけれど、コナンくんに話せる内容じゃないからなあ。わたしに手を出して来たら君を消すとあの女に宣言してきました、なんて言えない言えない。まあ、でもさ。理由は不明だけど、ベルモットは君を命がけで守るんだろうね。

「大丈夫だよ」

*

何かが吹っ切れたように笑う紗希乃さんを見るのは初めてだった。大丈夫だと言うけど、逆に不安になってしまう。一人で食べきれるのかよ、って思うくらい頼んだスイーツを片っ端から平らげていた紗希乃さんだったけど、残りが抹茶プリンひとつになったところで船を漕ぎ始めた。いや、待てよこんなところで寝ないだろフツー!しかもアンタ公安じゃねーか!

「ちょ、紗希乃さん?ねえ、起きてよ紗希乃さん!」
「起きてるよぉー……」
「半分寝てんじゃねーか!」

つっこみも虚しくテーブルに突っ伏そうとする紗希乃さんが皿に突っ込まないように慌てて避けていく。ゴン、と鈍い音と彼女の額がテーブルにくっついた。どうすんだこれ……。そんな時、ヴヴヴ、とスマホが揺れる音が紗希乃さんのジャケットの方から聞こえてきた。テーブルになだれ込んでいた紗希乃さんが飛び起きる。

「ふぁい、しのはらです……」

ちゃんと偽名名乗ってる辺り流石だとは思うが、電話の相手が何か言ってるのが聞こえてるんだか聞こえてないんだか、視線はぼーっとしていた。

「はい……はい……だって、あの女ゆるせな、あー…いえ。なんでも。ですからなんでもないって、はい?むりでーす、だっていまコナンくんとデートし、あっはははそれ本気ですか?今日わたしが出かけたのは安室さんですよー」
「ねえ!もしかして電話の相手って安室さん?」
「んー?あ、きれた。あぁー、予想以上に怒ってたよあの人。でもさ、しょうがないよねえ。先手撃たなきゃ、足元大火事だもん」

うわああ、と顔を手で覆ってテーブルに肘をつく紗希乃さん。ピタリ、と動きが止まって、目だけ見えるように指が開いた。

「使わせてもらうからにはわたしだって守るからね。きっと、あの人もそうだから……」

最期まで嫌わないでいてくれると嬉しいな。そう笑うのはいつもと同じ笑い方をする紗希乃さんだった。窓ガラス越しに見えたいつもの白いスポーツカーに、紗希乃さんは小さくため息をついた。

「これは蘭ちゃんにコナンくんの居場所聞いたな、あの人は……」

伝票を持って財布を出した紗希乃さんは、残っていた抹茶プリンをオレの目の前に差し出した。

「これ甘さ控えめだろうから、食べてね。蘭ちゃんのご飯はいらなかったらわたしから謝るからさ。今日は付き合ってくれてありがとね〜」

ふらふらと店から出る彼女がそういえばいつものスーツじゃないことに今更気付く。しかも安室さんと出かけたとか言ってたな。一体今日の紗希乃さんは何だったんだか……。あっという間に安室さんの車に拾われて姿が見えなくなった。大丈夫だって笑った時の紗希乃さんの表情は貴重だったなあ。なんて抹茶プリンを突きながら思う。げっ、蘭から電話だ。ハイハイ、すぐ帰るから待ってろよ。




切れ間に見えた柔らかさ

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