憧憬/降谷零


重ねた嘘を張り巡らせろ


あの時の服装は……そう。濃紺のスーツだった気がする。以前目にしたグレーのスーツの方が似合っていると思うけど。なんてどうでも良いことを考えつつ、正式に配属された班の上司の姿を眺めていた。警備企画課の中でもとりわけ若く、わたしと年齢が近いのもこの人。配属が正式決定してから1週間、降谷さんはほぼ毎日登庁していた。これまで課内で目にしたことのない頻度の出没数に目を丸くしない人はいなかった。もちろん終日いるわけじゃなかったけれど、わたしの力量を図りたかったのかもしれない。色んな事を質問されて答えてみれば、フーンとかホォーとか曖昧な相槌が返ってくることが多かったから。

狙撃の出来を見せてくれ、と言われた日。的を目標に撃ち込んだ後、乾いた拍手が数回 射撃場に響いた。

「ひとつ、質問いいかな」
「はい」
「吉川はさ、情報をどう扱いたい?」
「……どう、とは?」

この頃はまだ降谷さんと接する距離を決められないでいた。油断をすればわたしのやりたかったことから遠ざかっていって、ただこの人に溺れてしまいそうだったから、足元を掬われないようについていく道をひたすら探してたっけ。

「情報は自分を守る盾にもなり得るし、相手の心臓を撃ち抜く弾丸にもなり得るだろう」

その逆も然り。情報は自分を攻撃する矛にもなり、情報に自分の心臓が撃ち抜かれるかもしれない。君はどう扱いたい?念を押すようにもう一度降谷さんがたずねてくる。

「わたしは──……」


*

「毛利蘭と江戸川コナン、目的はどちらです?」

わざと挑発するように笑顔を作った。ベルモットの表情に焦りの色が浮かんだ。まだ、崩しきれてないか。

「……一体何を言っているのかしら」
「"エンジェル"」
「!」
「貴女確かそう言いましたよね。波戸禄道の事件の時、遺体のあるホールへ入ろうとした毛利蘭に向かって。あ、その時の榎本梓が自分じゃないっていう訂正はいりませんので。準備不足だったって気付いてるでしょう?」

想定外だったとはいえわたしと梓さんの関係性を考えず、その場しのぎで安室透に擦り寄ったともいえるあの状況。女子高生二人が戸惑っているのを確実に目にしていたはず。まあ、別の誰かだったとしてベルモット本人だという仮定には少々無理があるけど、バーボンが辻褄を合わせている時点で組織繋がりだということは推定できる。組織の変装が得意な人物といったら目の前の女しか思い当たらない。

「咄嗟に出た、意味のない言葉だったとしたら?」
「まあ、たしかに慌てて誰かを引き止めようとして違う言葉が出ちゃうことはあるかも。だけど、だったらあの時彼女にそう訂正すればよかったのでは?」

そう訂正できない理由があったから、適当に誤魔化したんでしょう。そう言えばベルモットの眉間の皺が深くなっていく。腹を括ると決めてゆっくり落ち着いてみたら、そもそもベルモットがあの場にいたことが異常だったということが抜け落ちてた。ASACAの情報がRUMに関係するとして、波戸が新曲のタイトルにすることで組織が目をつけてもおかしくない。そこで情報を集めに降谷さん扮するバーボンが現れるのも分かる。解せないのが、元から一人で来る予定だったバーボンに慌てて同行を取り付けたベルモットの行動。

「自分にとって天使のような存在の彼女をバーボンがうっかり手にかけてしまったらどうしようか」

そう思ったら、わたしも準備が足りないのを見ないふりして慌てて駆け寄ってしまうのかもしれない。

*

図星だった。バーボンが私とした約束を忘れていたらどうしようかと思って、急いであの場に駆け付けたのだから。肩にかけたバッグに手をいれる。警戒する様子もない吉川は私の行動をじっと見ていた。カチャリ。金属の擦れる音を立てて銃を構える。彼女は相変わらず煙草を咥えていた。

「法律違反ですよ」
「余裕ね。死にたいのかしら」
「死にたくないですって。だから、こんなにいっぱい考えてこうして貴女を目の前にしてるんじゃないですか」
「それにしては余裕ぶってるわね」
「そりゃそうなるよう頑張ってますから」
「バーボンの前でも頑張ってるってわけね」
「それはもう!貴女は十分ご存知と思いますけど、彼の情報の扱いは飛び抜けてるでしょう?」
「ええ。不愉快なほどにね。そして、冷徹な一面も持っている。警戒しないわけがない。あれとやりあってるんだもの、アナタだって規格外なんじゃない?」

わざわざ偽の家に帰り、時間を置いてから家を出る。きっとバーボンは彼女が隠しているということも気付いていて、情報源になると思っているのだろう。向けていた銃口を下ろすと、吉川紗希乃はゴホゴホとむせていた。

「え?早くないですか下ろすの」
「死にたくないって言ってたっていうのにそれ?」
「いえ。もっと煽んなきゃ下げないかと……!」
「本当イヤになるわ、アナタとかバーボンみたいな人。どうせ、いま殺したらエンジェルに手がかかる手筈だったんでしょう」
「もしかしてバーボンとも同じような取引きしてた感じです?」

パチパチと瞬きをくり返す彼女は悪びれる様子もない。きっと、この女もバーボンと同じ。自分が死んだら自分の持ち得る情報が指定のどこかに公開されるよう仕組んでいる。だからここで殺してしまえばエンジェルとシルバーブレッドの身の安全が確かじゃなくなってしまう。

「そういえば、江戸川コナンの名を出したのはどうして?ただのハッタリ?」
「ハッタリに近いですが、色々なものを偽って過ごしている身としては彼の存在は脅威でしてね。同様に貴女やバーボンにもそれは言えることですけど。それで、命を奪うかどうかは別として、彼をどうにもする気がなさそうなのは変だなあ、と」

どうしてバーボンは脅威を排除しないのか。確かにそう考えたらエンジェルと同様に手を出さないよう指示を受けていると取られてもおかしくない。

「何もなければ彼らに手出しをするつもりはないですよ。大事な日本国民ですからね」
「それはアナタ個人の考え。国絡みじゃ、できないんじゃない?」
「手段はひとつじゃないんですよ、ベルモット」
「……ねえ、さっきから疑問だったんだけど、アナタは何が目的で私に情報をちらつかせてここまで引っ張り出して来たの」
「簡単なことですよ。迎撃とか嫌いなんです、わたし。それに被害は最小限に抑えないと」

ね?と笑う姿はやっぱり気に入らない。法律違反だなんだと言ってはいたが目の前にしても捕まえる気はないらしく、短くなった煙草を灰皿に擦りつけているだけだった。ここで殺したり捕まえたりして困るのはお互い様のようだ。

「自分の領域を侵されてから反撃するのなんてまっぴらごめんですからね」




重ねた嘘を張り巡らせろ

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