憧憬/降谷零


きっと探り当ててね道標


何かを偽る時に必要なことは、綿密な計画と確認。それからほんの少しの小さな穴。探ってくる人間はそれが罠だと気付かない。偽装していく中で生まれた綻びだと感じ、それが人工的なものかどうかの判断が甘くなる。ほんの小さなだからこそ、穴を見つける人間なんて一握り。そしてそれは大抵が危険人物だったりする。

「篠原紗希乃。神奈川県出身。家族構成は両親と歳の離れた兄が2人。父親が転勤族だったため住居を数年ごとに転々としていた。東都大学の文学部に進学して以来、米花町にて一人暮らしをしている。父親の昇進により今後の転勤は無いと見込んだ両親は数年前に杯戸町にある戸建てを購入しており、実家として時々立ち寄っている。大学卒業後は小さな出版社に入社し隔月雑誌でコラムを書いて生計を立てて今に至る」

急に語り始めた彼女の表情はこちらを挑発しているようにも見えたし、わたしがどう出るかを伺っているようにも見える。よく調べたもんだなあ、と感心してしまったのが伝わったらしい。挑むような視線が一層ぎらついて見えた。

「いくらフェイクとはいえ普通は自分の経歴を並べられたら不審がるものよ。偽るつもりなら演技ぐらいしてごらんなさい」
「とっくに調べがついている人にやっても意味ありませんし」
「あら、これでもなかなかに手こずったのよ。少しも驚いてくれないなんて働き損ね。東都大に篠原という苗字の女は確かに数名いたし、親が転勤族の人物もいた。それに米花町に住んでいるのもいれば神奈川生まれだっていた。多すぎず少なすぎずわかり難いようにつまんだ情報の処理は面倒だったわ。ねえ、公安の吉川紗希乃さん?」
「それはどうも。情報収集お疲れ様でした」
「つまらない反応ね。せっかく面倒事こなしてきたっていうのに当の本人がこの調子じゃ……、」

ベルモットの言葉が途切れた。何か思い当たることでもあったらしく、口を噤んでまっすぐこちらを見据えてきた。

「立ち話も何ですしあっちのベンチに行きません?」

大丈夫ですよ、盗聴器も何も用意してませんから。


*

表の姿は探偵と喫茶店のウエイター。明るい髪に人当たりの良い笑顔。安室透の見てくれだけに騙されて擦り寄ってくる女たちのことを彼は決まってこう言った。

「特に必要のない人達ですよ」

僕には彼女たちが必要なく彼女たちにも僕は必要ない。分かり切ったことを聞いてどうするとでも言うように組織きっての探り屋は無表情で言ってのける。そんな他人をただの駒だとしか考えない男が少しでも気を配る相手がいたとは。波戸禄道のライブリハーサルに情報収集に行ったバーボンに変装して無理やりついて行った時に見た光景は忘れられない。見知らぬ女に背を押されている姿。戻りたくないと駄々をこねているようにも見えて、不思議でしょうがなかった。あの女は誰?組織の人間?そんなはずはない。バーボンと接点のある女なんてわずかだ。しかもどれも仕事を通しての関係のみ。

『安室さんはただ少し、気にかけてくれただけですから』

だからそれがおかしい事だというのにこの女は全く気付いてないみたい。波戸禄道の捜査で字体を調べると言われ、女が手帳に書いた名前を盗み見る。篠原紗希乃……、後で調べてみなければと思ったその時だった。

「彼女の事ならすでに調べてありますよ」
「アナタとどんな関係かまで調べてみようかと思ったけれどそこまで調べはついてるのかしら、なんてね」
「単純な話です。僕のクライアントが彼女なだけで……」
「あら。彼女、アナタが必要としている人間に見えたのだけど」

背後から静かに話しかけてきたバーボンに、違ったかしら?と問いかけてみる。彼は、フッと笑ってみせた。

「そうですね。必要かどうかでなら、必要かもしれない」
「随分と素直じゃない。彼女のどこがアナタの気を引かせるのかしら」
「さあ、どこと言われると困りますね」
「……まさか、本気であの女を気に入ってるの?」
「それなりに。彼女、情報源にもなりますしね」
「結局そっちが目的なんじゃない。てっきり本気かと思って損しちゃったわ」

この男に恋だの愛だの似合わない。演じるポーズ程度にしか見えないというのに本気になられたら白けてしまう。万が一にも本気だとしたら、バーボンの弱点にもなり得るけれど、「気になるなら貴女も調べてみればいい」と促されてしまった以上ただの情報源のひとつでしかないんだろう。それならばと遠慮なく調べさせてもらうことにしたのはいいけれど、出てきた情報はどうでもいいものばかり。そんな中、彼女の大学時代のバイト先の男と接触する機会ができた。

「私の悩み相談コラムに寄せられる質問は小難しいものが多くてね。ゴーストライターは数名雇っていたが法律関係は彼女の独擅場だった。法学部の生徒は他にも雇ってみたけれど読みやすさは彼女の文章がダントツだったよ」
「他にも、とは?彼女は文学部の生徒でしょう?」
「何を言ってるんだ。あの子は法学部に在籍していただろう?」

コラムをまとめて書籍化しないことを念書に書かされたせいで本が作れない。念書を撤回してもらうために彼女を探しているんだ、と必死に私に縋る男。日本の芸能界でコメンテーターとして活躍しているらしいこの人物はシャロン・ヴィンヤードの娘としてアポをとればすんなり会うことができた。ゴーストを雇って世間を欺いてはいるが、今この件に関しては嘘をついているようには見えなかった。

「在学時に送金していた口座は解約。唯一の連絡手段のメールアドレスも使われていないときた。大学に問い合わせても見つからないし……」

折角書籍化を進めてくれそうな出版社と出会ったのに、自分は法律関係に疎いから念書を破った時の仕返しが怖いと男は頭を抱えていた。

男の言う篠原紗希乃は私の探しているあの女で間違いないのだろうか。文学部から法学部に範囲を広げ、ゴーストライターをやめたという年の卒業生を調べてみることにした。

……いた。本当は篠原なんて苗字なんかじゃない。あれはペンネームで偽名だった。男は金や原稿のやりとりもマネージャーにやらせていたというし、彼女の本名を知らなかったに違いない。吉川紗希乃、東都大法学部出身。卒業後の進路は……おかしい。いま勤めている出版社に入社する以前の情報がない。この空白の期間は何かしら。この女の同期の進路は就職か進学しか記録に残っていないのに。それでも1年近く空白があるのはどういうこと?……まさか。スマホに入っている組織の連絡先を急いでタップする。目当てのアドレスを見つけ、榎本梓に変装した時にこっそり撮影したあの女の写真を送信した。この女を見たことはない?挨拶もなしにぶつけたその質問に短い返事が返ってくる。

「ある。警察病院でキュラソーの隣りにいた」

見つけた!篠原紗希乃の情報は確かに存在するけれど、それが実在する人物であるという証明はできていない。この情報がわざと作られたものだとして、吉川紗希乃の空白の期間とコルンの目撃証言を合わせると公安警察のひとりである可能性が高い。確かにあの夜、ゴンドラの中に女が一人混ざっていた。あの女が吉川紗希乃……ということは何、バーボンのヤツ公安相手に情報をくすね取ろうとしてるってこと?公安側はバーボンを組織の人間と気付いているのか、はたまた何も知らず他の女たちと同じようにバーボンを追いかけているのか、それともあの女は……

*

目の前の女の情報を追っていた最近の日々が頭をよぎる。当の本人は自分の情報が漏れたというのに漏洩元を気にせず、動揺も取り繕う様子もない。むしろ漏洩していることを元から知っているようだった。……まさか。わざと掴まされたとでも言うの?一体いつから?

「さてと。あまり時間がないので手短にいかせて頂きますね」

ベンチのすぐ隣にある吸い殻入れに前に立ち止まり、煙草を咥えて火をつける。甘ったるい香りを長く吐きだしたその口がニンマリと弧を描いた。

「毛利蘭と江戸川コナン、目的はどちらです?」

……してやられたかもしれない。見知った青い双眸が私を脅しているように見えてくるなんて。ねえバーボン。アナタがただの情報源だと思っている女、想像以上に危険人物かもしれないわ。




きっと探り当ててね道標

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