憧憬/降谷零


擬似デートは甘さ控えめ


待ち合わせは杯戸駅前。見慣れた車を見つけて、小走りで駆け寄った。今日は色々と仕組ませてもらった上での偽装デートだけど普通に楽しみだった。降谷さんと久しぶりにゆっくりできるんだもん。人の出入りの少ない出版社の会議室じゃ毎日つまらなくってしょうがない。
待ち合わせ場所を連絡したら少しでも疑問に思うかな、と考えていたのに二つ返事でオッケーされてしまった。さすが降谷さん!今日もただのデートじゃないとわかってくれてるはず。いつか普通にデートできる日が来たらいいけど、それは遠そうだ。頑張らなくては。

「おはようございますっ、安室さん!」
「今日も元気そうですね、紗希乃さん?」
「へっ、なんで名前?!」
「おや、忘れられてるなんて。名前で呼んでくださいと言ったのはそっちなのに」

にこやかに笑う降谷さん。今日は安室透としてわたしをいじめ抜くつもりらしい。降谷さんはわたしのこと名前で呼ばない。呼ぶとしたらどう呼ぶんだろう。安室透みたくさん付けはないとして、紗希乃ちゃん?いやいや子供じゃあるまいし。ふつうに呼び捨てだろうけど、それって、

「(なんか色々と胸に来る……!)」
「何やら一人で盛り上がっている所申し訳ないけど早く車乗ってくれます?」

すみません、と謝りつつ助手席に乗りこんだ。慌ててわたしがシートベルトをしていると隣りから視線を感じる。目が合えば、プッと軽く噴きだされてしまった。

「なんで!」
「いや、楽しみにしてきたんだなあと思いまして」
「……悪いですか」
「いいえ?僕もとっても楽しみにしてたんですよ、紗希乃さん」

だから、今日は一日よろしくお願いしますね。くすくすと笑う降谷さん。普段の降谷さんはこんな風に笑わないけれど、たまにはいいかと思えるのは本当に本当に楽しみにしてたから。下手したらこれが最後のおでかけになる可能性だってある。だったら楽しまなくては損だよね。ロータリーを出て、最初の交差点を右折する。信号がギリギリ黄色になるところで右折したせいか後続には誰もいなかった。ミラーで車の後ろを確認した降谷さんは、右手だけハンドルに預け、左の人差し指を自身の口元に当てるジェスチャーをした。

「こっちの道のほうが早く着くんですよ。遅れたら大変ですからこっちから行きましょう」

まるで何も起きてないかのように話し続けながら、今度は手のひらで左耳を軽くおさえ、続いてジャケットの襟を指さした。盗聴器を仕込んでるってことか。相手はおそらくあの女。思わず笑ってしまって、降谷さんが大きな目を丸くさせていた。ごめんなさい馬鹿にしたわけじゃないんですよ。ただ、うまいこと進んでしまってちょっと面白くなっちゃって。なーんて言うわけにもいかず、クスクス笑ってやった。

「ふふ、急がなくて大丈夫ですよ。間に合わなかったら時間ずらせばいいんですし」
「そうですねぇ……それに、2人で黙って映画を見るよりもゆっくりお話してる方が嬉しいかもしれません」
「じゃあ予定変更しちゃいます?」
「ぜひ」

最初は映画にでも行きましょう、と計画していたけれど特別見たかったわけじゃない。きっとこの偽装デートにあの女が絡んでくる。そう考えた時に、盗聴器をしかけられなかった場合は変装して近づいてくるかもしれないと予想していた。念のため特定できるように狭い空間へ行くことを予定してたけど、もういっか。そんなこんなでドライブに行ってから蘭ちゃんたちおススメの場所に行くことにした。降谷さんとの雑談はいくらでもしたことがあるけれど、安室透としての彼と雑談かあ、なんて少し構えてしまった。それでもそんな心配はどこへやら。やっぱり降谷さんすごい。安室透が出す話題として問題ないものを的確に選んで話を振ってくれる。毛利探偵の話だったりポアロの話だったり、話を盗み聞かれていても差し支えない内容で楽しく盛り上げてくれた。こんなんされたら誰だって魅力的に感じちゃうよねぇ。にこやかに笑う安室さんとこの前の偽梓さんのツーショットが頭に浮かんでしまって、ぶんぶんと首を振った。いい加減しつこいわ自分の頭。お願いだから消えておくれ。

「気分でも悪いですか?」
「いえいえ邪念が……」
「邪念?」

あ、めちゃくちゃ不審がってる。見慣れた表情をした降谷さんの顔がそこにあって、なんだか落ち着いた。


*

「おわー、めちゃくちゃモフモフしてますねぇ」

にゃおん、と優しく鳴いた毛の長い猫が正座をしたわたしの膝の上で丸まっている。人懐こいなあ。餌のパワーなんだろうけどね。ポアロで女子高生たちにオススメされたのはお店に触れあえる動物がいるカフェだった。猫カフェを初めに鳥だったり犬だったりと色んな動物のカフェがあるらしい。人並程度には動物が好きなので物は試しと来てみた。わたしの膝でまったりしている猫を撫でつつ、自分の足にじゃれつく2匹の猫をかまっている降谷さんを眺めた。

「やっぱりモテモテですね、安室さん」
「もしかして妬いてます?」
「猫相手に?はは、そんなわけないじゃないですかー」
「おや、残念ですね」

ちょっと期待したのに。とわざとらしく肩を竦められる。それから足元にいる猫を抱き上げて、わたしに手渡してきた。きょとんとしていた猫がちょっとだけ暴れたけれど、膝の上にいた子は少し迷惑そうな顔をしただけだった。膝に猫、腕の中にも猫がいて、しまいには頬をペロペロと舐められる。

「かわいい!」
「ええ、本当に」

カシャカシャカシャ。連写する音とスマートフォン。それから歪みない程の満面の笑み。降谷さんがスマホをわたしに向けて、画面をタップしていた。

「なっ、」
「大丈夫ですよ、後で消しますから」

撮り慣れてるのに撮られなれてないんですねえ、とわかっているのにわかってないフリをされる。今まで散々撮ってきたわたしが驚いてるのが面白かったらしく、降谷さんは一人で楽しそうに笑っていた。そんな時、わふっと気の抜ける鳴き声と、降谷さんの背後から彼の両肩の上に突然現れた二本の前足。一頭の大型犬が降谷さんの後ろから飛びついて体を預けていた。

「わっ、なんだお前急に……!」
「あっははは!安室さん、それ、犬耳つけてるみたいに見えますよ!」

床へ座る降谷さんの後ろにいる犬の耳だけが見えて、まるで犬耳をつけてるように見えてしょうがない。落ち着きなくぴょこぴょこ揺れる耳と、肩に乗せられた立派な前足が可愛い。

「んっふふ。可愛いですねぇ、安室さん」
「可愛い、よりはかっこいいって言ってもらいたいものです」
「残念ながら今の姿は可愛い以外合わないと思いますよ、ふふ」

おろしてもおろしても何度も戻ってくる前足。ちらちらと降谷さんの頭のうしろから現れる可愛らしい犬の顔は嬉しそうだった。降谷さんは強く引っ張り過ぎないように何とか抱えて犬を正面に座らせる。終始嬉しそうに舌を出しているこの子はこのお店の看板犬みたい。猫たちとも関係は良好なようで、異種動物間のやりとりが面白い。そんな突然の犬の襲撃もあり、いつの間にか大分時間が経っていた。今日は早い時間に解散する予定にしていたこともあって、可愛い空間を後にして帰る事になった。

「犬耳、とってもお似合いでしたね」
「今度のデートでつけて来ましょうか?もちろん、その時は君にも用意しますよ。そうですねぇ……犬も捨てがたいけれど、猫の方が似合うかもしれない」
「いやいやわたしは結構です。それにそんなの付けて外を出歩けないですって」
「じゃあ僕の家とか?」
「い、家……?!」
「はは。冗談ですよ。それはまたいつか。それで、今日はどうします?どこまででも送りますよ」
「そうですねえ。"いつもの"杯戸駅でお願いします」
「了解。そうだ、また忘れないうちに」
「ライター!よかった〜そろそろ不便してたんですよ」
「今度はポアロに忘れないでくださいね」
「はーい」




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