憧憬/降谷零


予防線はこすれて消えた


入局してから少し経った。大阪で友人も失くした。持て余されていたと感じていた時間もいつの間にか減ってきた。それでも長く勤めている先輩方からすればわたしはまだまだ入って間もない子供と変わらなかった。

『明日から降谷の下についてもらうことになったから』

はあ、とか、そうですか、とか生意気な返事しか出て来なかった。降谷さん……大阪で会った時以来顔すら合わせてないなあ。降谷班といえばデスクワークはもちろんだけど、外に出ているのも多い気がする。上司である降谷さんは潜入していてほとんどいないし、風見さんだっていないこともある。現に今日は二人とも見ていない。デスクも遠ければ会話をすることもほとんどなかったりする。つまりは接点なんてこの前のことしかないわけで。……どういう経緯でわたしが降谷さんの下につくことになったのかな。疑問に思わないわけがないのに局長は笑うだけだった。


*

出版社として体裁を持つ情報屋のとある一室。会議室と銘打ってあるそこに篭ることはや1週間。

「あれっ、お疲れ様です。珍しいですねこんなとこ来るなんて」
「完全にお前の城状態だなここ」
「そりゃあ1週間も篭れば我が城ですよ」

風見さんのおつかいだと言ってやってきたのは他の班の先輩。というかおじ様たちのひとり。情報をもらいに来るついでに風見さんに何か頼まれたらしい。互いに何を調べているかの詮索は許されてないっていうのにあの人は何を……って。投げてよこされたのは煙草の箱だった。

「少し付き合えや」

まだライターを取りにポアロへ行けていない。落ち着いたら、と思ってたらこんなに伸びてしまった。仕方ないから適当に買ったライターを使ってやり過ごしてる。普段と違う喫煙所で並んで紫煙を伸ばしていて、ふと思った。まさか。

「いっ!何するんだ!」
「すみません諸事情で確かめたいことがありまして!」
「俺の耳がどうした!」
「よかった本物だあ……ほんとにすみません、偽物と一緒に煙草ふかしてたなんて知れたら降谷さんに顔見せできないと……!」
「お前は本当に降谷降谷だなあ」
「そこまで妄信的でもないと思いますけどね」
「でも懐いてるのには変わりない、だろ?」
「懐く……うーん?まあ、そーですね」

ベルモットは性別問わずに変装をするらしいことを思い出して、初老のおじさんの耳を引っ張りまくった。降谷さんの報告によると彼女は耳紋すら偽装するというのだから侮れない。

「降谷がお前を連れてった時はどうなるもんかと思ってたけど、今にして見ればアイツの下につく以外じゃお前の道は狭かっただろうな」
「……連れてった、って」
「知らなかったのか?風見あたりが話しているかと思ったんだが」
「その話詳しく!」
「お前の最終的な班の配属を決める会議で、やたらと風見がごねるから吐かせたらお前を獲得しろと降谷から指示があったんだと」

困ったように『吉川をうちの班に配属させてください』と頼み込んでいる風見さんを想像するのは難しくなかった。わたしの最初の教育に携わった人たちの班に配属するのがスムーズなのに、ほぼ接点のないわたしを引き抜こうとするのに何か意図があると考えるのは当然のこと。指示とはいえ、主張する度に怪しまれたに違いない。

「わたし、山中さんの班になると思ってました」
「俺らもな。降谷がなんでお前を欲しがったのかもそん時はわからなかったしなあ」
「今はご存じで?」
「さらっと言われたよ。『よそで持て余すくらいなら、自分の下で使います』ってな」

……そうだ思い出した。目は口ほどにものを言う。なんでお前なんかって目でじっとりわたしを見てきた風見さんに苦笑しながら目の前にやってきたあの人。

『大丈夫。俺がちゃんと引っ張ってやるから』

優しい手がわたしの頭を撫でていく。予防線を張らなくちゃと頭の中に響く警笛。ただの憧れだと思い込まなくてはとあのとき密かに決めていた。きっと、この人に簡単に溺れてしまうから。

『引っ張ってやるから、吉川が正しいと思ったことをやるといい』

わたしが正しいと思うこと。あの日の降谷さんがぼんやりと溶けていくのと反対にカチリ、と何かがはまる音がした。

「降谷の下についてから、お前は順調に育っていったし次々功績あげてるだろ?降谷が見る目あったのか、お前が素直だったのかどっちだろうなあ」
「ハハ、どっちでしょうねえ」

2本目に手を伸ばしたところで次に回るところがあると先輩は喫煙所を出て行った。一人ぼっちになった喫煙所でゆっくりと煙を吐き出す。やりたいことが明確になったからかな、いくらか思考がすっきりしてる。風見さんに煙草のお礼の連絡しよ。それから……あー謝罪文作っとくか。ううーん、できれば提出しなくて済む方向で収めたい。ていうか収めなくちゃだめだ。降谷さんを好きって気持ちが変わらないならもう蓋をしたって意味なんかない。どうせ邪魔になるのなら、偶然の出来事で被害が大きくなるよりも最小限に抑えるべきだよね。降谷さんはきっと怒る。だけど現状のままでは何も進めやしないんだ。

「降谷さんは忘れてるかもしれないけれど、引っ張ってくれるって言うんなら多少のことは大目に見てくれますよーに!」




予防線はこすれて消えた

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