憧憬/降谷零


想定外から逃げそびれた


降谷さんに例の日の予定が空いているか連絡してみたら、『その日は先約がある』とだけ短く返って来た。仕方ないからわたしが行くか、と諦めて土曜日に園子ちゃんの連れとして波戸禄道のライブリハーサルの見学に行くことになった。仕事は予想通り終わらなくて、スーツのまま園子ちゃんたちと合流することにした。

「なんで紗希乃さんスーツなの〜?!」
「仕事を抜けてきたからでーす」
「ちゃんと休みとってねって言ったのに!」
「そうは言ってもねえ園子ちゃん……」
「さすがですね篠原さん。仕事のしすぎでは?」
「貴方には言われたくない言葉ですね、沖矢さん」

園子ちゃんに案内されてライブ会場に入って行く途中でコナンくんにジャケットの裾を引っ張られた。えっ、また盗聴器?

「ちがうって、疑わないでよ紗希乃さん!」
「ごめんごめん」
「この前もう一つ聞きたかったことがあったんだ」
「なーに?」
「紗希乃さん、中はいりますよー!コナンくんも!」
「どうやら話は後の方が良さそうだね」
「そうだね」


*

「ええっ、リハーサルが見学できない?!」

マジで〜と残念がる園子ちゃんたちに波戸禄道のマネージャーが新曲の歌詞が未完成だと伝えている。歌詞が未完成でタイトルは決まってる、となればタイトルの『ASACA』が尚更なにかしらあるように思えてきた。見学できないとしても何か情報は持って帰りたいけど……。そんな時、波戸禄道をずっと追い続けているという雑誌記者が紛れ込んで来た。

「そうそう美人マネージャーさん?あんたの方の話も決着したんですかい?」
「は、話って?」
「新曲のタイトルになってる『ASACA』。実はアレ、波戸の新しい女の名前だって噂になってますぜ」

アサカという名前の女。波戸の新しい女がまさしくそのアサカで、わたしたちが今欲している情報のひとつだとしたら、やっぱりここで情報をおさえておきたい。スタッフに金を握らせて無理やり入って来たという雑誌記者は外に引っ張りだされていく。

「じゃあウチらも帰ろっか」
「そだね。明日学校あるし」
「えっ、帰っちゃうの?」
「でも、最後のライブのリハーサルなら見た方がいいのでは?」
「昴さんには悪いですけど」
「ウチらそんなにファンじゃないし…それに、」

それに、と言って、園子ちゃんがわたしの方をちらりと見てきた。ん?わたし?

「ではここに来ようと言い出したのは……」

「僕ですよ……」

問いかけた沖矢昴の言葉に返事をしたのは園子ちゃんではなく、わたしがよく聞きなれているあの声だった。嘘でしょ信じたくない……!声の元を辿れば、黒いジャケットを羽織っている降谷さんが立っていた。

「ポアロで僕が波戸さんの大ファンだと話したらリハーサルを見られるように園子さんが手配してくれたんです」

にっこり笑うその目の奥が、心なしか笑ってないように見える。ていうか絶対笑ってない!なんでお前がここにいるんだと、絶対に怒ってる!静かに怒っている降谷さんの視線から逃れるように、一歩下がって沖矢さんの斜め後ろに立ってみれば降谷さんの後ろに誰かがいるのが見えた。

「あれ?梓さんも来たんですか?」
「ポアロじゃ興味なさそうにしてたのに……」
「お店じゃ隠してたけど私も大ファンなの!でね、お店のシフトを終えてここへ向かう安室さんのアトをつけて来ちゃったってワケ!」

……梓さん?なんか近くない?めちゃくちゃくっついてないですか?降谷さんの左腕に自分の腕を絡ませるように寄り添っている梓さんの姿が異様に目に焼き付いた。何度瞬きをくり返しても目の前の光景は全く変化なんてしてくれない。普段の二人の距離感と全然違くないか……?いや待って、普段の距離感って?ポアロでの安室透と梓さんの距離感てどんなだっけ。もしかしてわたしがしばらくポアロに行ってない間に二人は急接近してたり……?!先約って梓さんとのデートってこと?仕事じゃなかった!?いやな想像が脳内を駆け巡っていくなかで、園子ちゃんと蘭ちゃんが焦ったように梓さんとわたしを見比べてキョロキョロしてるのに気づいた。小さく、「なんで?いいの?」と呟いてるのも見える。ポアロの常連の二人が焦っているということは……もしや、

「驚きましたよ!ここへ入ろうとしたら、彼女に呼び止められて……。まあスタッフに事情を話してなんとか入れてもらいましたけど」

ニコニコ笑う梓さん。じっと見つめていると、その視線が蘭ちゃんたちからこっちに向いた。一瞬、ピタリと止まったように見えたその表情の真相はまだわからないけれど、おそらく間違いない。この梓さんは本物じゃないんだ。普段の梓さんならわたしに声をかけてきてもおかしくないのにここまで全く何の素振りもない。ということは、わたしのことを全く知らないか、梓さんとわたしの関係性を知らない人が中にいることになる。それで降谷さんについてくる人間と言えばあの女しかいない。

「驚いたと言えばあなたも来ていたんですね、沖矢昴さん。先日はどうも。僕のこと、覚えていますか?」
「えーっと、貴方はたしか、宅配業者の方ですよね」

沖矢昴のしらばっくれ方に吹き出しそうになっているのを堪えていると、降谷さんがわたしの前へと足を踏み出した。振り払いはしなかったけれど、梓さんの手が自然と降谷さんの腕から離れてく。

「それに、君まで来てるとは思わなかったな」
「えーっとですね……!」
「どうやら説明しにくい事情があるようだ」
「ちが、」
「ウチらが誘ったんだよ安室さん!二人を驚かせようと思って……」
「違う意味でわたしたちの方が驚いてますけど……」

そう呟いた蘭ちゃんを梓さんが不思議そうに見つめていた。降谷さんの視線は痛いほどに鋭い。なぜここにいる、ひしひしと伝わるそれに冷や汗が出てきた。あーもう無理。帰りたい……そうだ、帰ろう!リハーサルが無いならもう帰ってもいいよね。降谷さんがいるならわたしが来なくてもよかった。梓さんが嫌いなわけではないけれど、二人が腕を組んでるのを見たらモヤモヤしてしょうがない。梓さんじゃないけど。ちゃんとわかったけどさ。見た目はまんま梓さんなんだもん。

「じゃあ、後は大ファンの4人でごゆっくり〜」
「ほら、コナンくんも帰るよ」
「わたしも帰る!」
「えっ、もう帰っちゃうの?紗希乃姉ちゃんも?!」

ヤダヤダ待ってと駄々をこねるコナンくんが蘭ちゃんに引っ張られてる手を引きとめて梓さんへ声をかけた。

「ねえ!波戸さんを好きなのってやっぱりギターが上手だからだよね?梓姉ちゃんもギターすっごく上手だし!」
「ええ、もちろんそうよ!」
「あれ?梓さんってギター触ったことないって言ってませんでした?」
「ホラ!ウチらのバンドに誘った時に……」
「え、ああ……あの時は女子高生のバンドに加わるのが恥ずかしくって思わず!ゴメンね」

蘭ちゃんと園子ちゃんに弁明している梓さん。一見普通のやりとりに見えるけれど、さっきまでニコニコ笑っていたコナンくんは何かを掴んだように鋭く梓さんを見つめていた。わたしが見ているのに気付いたらしいコナンくんは一度頷いてから、すばやく沖矢さんの方へ走っていく。沖矢さんとの会話を中断した降谷さんが、わたしの方へ口パクで「後で」と呟き自身の耳を指でトントンと突いた。小さく頷いて見せると、梓さんの元へ戻っていく。その直後、おおきな叫び声がフロア一帯に響き渡った。会場ホールの扉を開けてへたりこんでいる男性の元へ近寄れば、波戸禄道がステージ上で首を吊っているのが見えた。蘭ちゃんと園子ちゃんが叫び声をあげるのと同時に3人の探偵が走って駆け付ける。どうしてこうも事件ばっかり遭遇するかな……。小さな背中を見てそんなことを思う。思えば最近、予想外の事件に巻き込まれてる気がする。大抵その場所にいるのは小さなシャーロキアン。

「だめよ、エンジェル……貴女は入って来てはダメ」

耳に慣れた声の、聞き慣れない話し方。

「この血塗られたステージには相応しくないわ……」

貴女が被ってるその人も相応しくないはずなんですけどねえ、ベルモット。園子ちゃんと蘭ちゃんに「エンジェル」を聞き返されて、ダジャレだと誤魔化している梓さんに向けてそんなことを思う。通じたのか、通じてないのか。ちらりと寄越された視線の意味はまだ知らない。





想定外から逃げそびれた

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