憧憬/降谷零


綺麗な言葉はきっと眩い


まさか留守ってことはないよね……と思いつつ、少しの間だからと門の前に停めた車から降りる。少し重たい紙袋を持って門を開いた。わたしがこの家に来たのは3回目。まさか自らこうして訪れることになろうとは思いもよらなかった。留守だったら阿笠邸にでも置いていこうかな。いやでも哀ちゃんに工藤邸に訪れたことが知られたらコナンくんまで話が回っちゃうか。とりあえずインターホンを押してみても、何も返事がなくベルが鳴り続けるだけ。初めから郵送にすればよかった!いないのなら長居は無用だし、さっさと帰ろうと振り向いたところで「はーい工藤です!」と明るい声がインターフォンの機械越しに響いて来た。あれ、この声って、

「篠原ですが……沖矢さんじゃ、ないですね?」
「ええっ紗希乃さん?!」

……電話してから来ればよかった。


*

「お久しぶりです〜!こんなところで会うなんてびっくりです!今日はどうしてここに?」
「ねえ紗希乃さん、昴さんと知り合いだったの?!安室さんは?!安室さんはどうしたの?!」
「いやあの待って落ち着いて二人とも……!」

三角巾をつけて掃除をしていたらしい蘭ちゃんと園子ちゃんが質問攻めにしてくる奥で、シャーロキアン二人組は何やら渋い顔をしていた。なんだよ沖矢昴いたんじゃないの。貴方が一番先に出るべきでしょうが!なんて睨んでみても、助け船は期待できなさそうな雰囲気。おーいこっち向いてよ二人とも。迫ってくる蘭ちゃんたちに諦めて、仕事で会ったんだよとデタラメを伝える。それでも元気な女子高生二人を押さえるのは難しかった。

「……こ、コナンくん!今日はコナンくんもいるんだね?」
「あっ、紗希乃姉ちゃんこないだぶり!ねえねえ紗希乃姉ちゃんもきっと気になると思うから、いっしょに園子姉ちゃんの話を聞こうよ」
「園子ちゃんの話?」
「ええ。確か、篠原さんも大ファンでしたよね。あの波戸禄道の……」
「波戸禄道ってロックミュージシャンだったっけ」
「うん。新曲を出すんだってさ!A、S、A、C、A……『ASACA』っていうタイトルの曲をね」
「!!」

アサカ。綴りがKAではなく、CAの、ASACA……。先日読んだ、降谷さんの定期報告書類にもその名が載っていた。不確定な情報ばかりの中、要注意人物としてマークしている人物の名前だと思われるもの。

「……ねえ、どうして、KAじゃなくてCAなのかなあ」
「なーにぃ?ガキンチョだけじゃなくて紗希乃さんまで気になるの?確かに変わってるけどさ〜」
「紗希乃姉ちゃんもやっぱり気になるよね!じゃあさ、僕らと一緒に行かない?」
「園子のツテで波戸禄道のライブのリハーサルを見学しに行くんですよ〜」
「行こうよ紗希乃姉ちゃん!」
「コナンくんも貴女と一緒に行きたがっていますし、ぜひ」

ぜひ、ねえ……。降谷さんが持ってきた情報はFBI側も掴んでるということなんだろう。そこでわたしを連れて行って、情報共有したいってとこか。

「それっていつなの?」
「来週の土曜よ」
「土曜か〜。うーん……」
「お仕事忙しいんですか?今日もスーツですし」
「まーそこそこね。今日は仕事抜けてきたんだ」
「そういえば紗希乃姉ちゃん、昴さんに何か用だったの?」
「ああ、そうなの。渡したいものがあって」
「渡したいものってなーに?」
「ええっと、」
「もしやお見舞いのお礼ですか?気を使わなくても良かったのに」
「お見舞いって、紗希乃さんどこか悪かったの?」
「そうなの。ちょっと転んだ拍子にすこし怪我をね」
「僕がたまたまその現場を目にしたものですからお見舞いを贈ったんですよ」
「ほんとにそれだけ〜?」
「ちょっと園子!」

園子ちゃんたちの疑いなんて気にする必要はないけれど、こっちの少年はそうもいかない。沖矢昴がわたしのお見舞いに来た、という点にやっぱり引っかかってるみたいだった。向こうからもわたしからも報告はなかったのが気に掛かるんだろうな。

「紗希乃さん、絶対に来てよね!昴さんも来るし、絶対後悔しないと思うから!」
「仕事の都合がついたらねー」
「休みもぎとってでも来ないと損するわよ!」
「うん、頑張るよ……」

降谷さんが行けたらその方が一番いい。けれど、ダブルフェイスをこなすあの人でも体はひとつだ。次の土曜に空いてるか後で連絡してみようかと思案しているところで、蘭ちゃんと園子ちゃんが掃除に戻ると言ってコナンくんを連れて別な部屋へと移動していった。余計な気を回さなくったっていいのにさ!

「わたしはこれを渡しに来ただけなのですぐ失礼しますね」

先日はありがとうございました、と紙袋を沖矢昴に手渡すと不思議そうに紙袋の中身を覗き込んだ。中身はちょっといいお値段のするハムの詰め合わせ。お酒を飲む人にはちょうどいいよね。

「ああ、本当にお礼を渡しに来たんですね。……これは?」
「お酒のあてにでもしてください」
「よくお酒が好きだってわかりましたね」
「ウイスキーのボトルが置いてあるのを前に見たので」
「よく見ていらっしゃるようで……」

コナンくんと沖矢昴のふたりに以前捕まった時にバーボンのボトルが置いてあるのを見かけた覚えがあった。よりにもよってバーボンかよ、という言葉は心の中に留めておく。玄関まで送ります。という沖矢昴の隣りを歩いてだだっ広い工藤邸を進む。

「そういえば、仕事を抜けてきたんでしたね。そうじゃなければお茶のお誘いでもしたんですが」
「お構いなく。それに今日は客人が多いですしね」
「それもそうですね。お茶はまた今度、ということで」

できればご一緒するのは遠慮したい。にっこり笑うだけにして適当に流していると、コナンくんが慌ててこっちへやって来た。

「紗希乃姉ちゃん、ボク、途中まで一緒に帰るよ!」
「わたし車なんだけど、」
「えっ、安室さん来てるの?」
「ちがうちがう。会社の車借りて来てるの」

乗ってく?と声をかければ嬉しそうにコナンくんが頷いた。

*

「ほんとに会社の車なんだね」
「まー申し訳程度には出版業やってるしね」

車内を隈なく眺めまわすコナンくんに思わず笑ってしまった。ほんと怖いわ、この子。この車は出版社の方で実際に使ってる車だったりする。わたしは籍だけおいてる形だからそっちの仕事で使用することはないけど。警察庁の車両でわざわざこんなとこ来ないってね。遠回りしてドライブしてから探偵事務所前に降ろせばいっか。と車を走らせる。

「それで、お話あるんだっけ」
「この前の大阪の一件、どうなったの」
「どっちも逮捕したよー。ていうかあの場に君いたじゃない」
「会長が倒れた件は偶然の出来事だったって服部に聞いたんだけど合ってると思っていいかな」
「やーなに?疑ってるの?わたしたちが情報操作してないかって?」

してないよ。と伝えても納得してない顔。いろいろ疑われてるらしい。たぶんこれは降谷さんの府議会議員へのあの態度が主な要因かなあ。

「だって紗希乃さん、どこまでが本当で嘘だかわかりにくいんだもん」
「えっ、わたし?」
「想定外だ、って言う割には全然そんな顔してなかったしさ」
「ほんとに想定外だったよ。でもさ、あの議員も男も会長をあの場で殺す動機が思い当たらなくって。だから全く関係のない筋の怨恨とかかなって思ってたんだ。まあ、それも外れたんだけどね」
「結局真相は?ダッグワーズはアーモンドプードルを使うからアーモンドアレルギーが妥当じゃないかって思ったんだけど」
「アナフィラキシーの主な原因はピーナッツだったよ」

単にチョコレートクリームを挟んであるものが会長のお気に入りのお菓子だったらしい。普段から食べ物には気を配っていたとはいっても見た目だけじゃ何が挟まれてるなんてわからない。ショック症状を起こした時に口にしていたお菓子をプレゼントとして用意したのは社員の妻だった。チョコレートクリームを選んだつもりで、どちらも入っているものを購入してしまっていたという。単純に好きなものを贈ろうとしたのがこんな顛末になるなんて思いもしなかったと泣きながら告白したという女性の調書を思い出す。下調べって重要だわ。ふと、さきほどまでの蘭ちゃんたちの様子が思い浮かんだ。うん、やぱり事前の調べは本当に必要だ。

「あの時の安室さんは、バーボンとして動いていたってことで合ってるよね?」
「降谷零だったらあんな風にやらないって?」
「だってあんな脅しみたいなこと……」
「まああれは君に見せるためとはいえやりすぎかなとも思うけど、不必要とも思わないな」

正義ってなんだと思う?コナンくんに聞いてみたい。きっと、すがすがしいくらい眩しい言葉が返ってくるんだろうな。

「綺麗な正しいことだけですべて守れるのなら、きっとわたしたちはいらないね」

わたしたちが必要ない世の中では、世界ではないことをコナンくんもわかってる。綺麗ごとだけじゃ守りきれないこともわかってる。この子はこんなちっちゃな子供なのに、全部わかっていてもどかしさを感じてるみたい。

「本当にすごいなあ、君は」




綺麗な言葉はきっと眩い

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