憧憬/降谷零


守る力をわたしに下さい


「……どうして君がそこにいるのかな」
「何やおっそろしい顔しとるなあ自分」
「……」
「話は聞かせてもろたで。偶然開いとった窓の隙間からな」

もう隙間も何も関係あらへんけど。と割れた窓ガラスのフレームを動かして、彼は部屋の中へやって来た。

「一人足りなくない?」
「先にここに来とるはずやと思てたのにおらへんなァ。まだアンタの仲間と追いかけっこしとるかもしれん」
「こっちへ寄越すなって言ったのにな」
「おー怖。教育が足りんかった可能性は大いにあるで。オレを追いかけて来よった二人組は早々に諦めてどっか行きよったしな」
「二人組?」
「ウェイターとスーツの兄ちゃんたちや」

ウェイターはわたしの班の部下だけど、スーツ姿の部下は降谷さんの班の人間だ。ということは降谷さんが何か指示を出して、彼らにこの子を追わせたのかな。適当な所で諦めろって指示でも出したのかも。相手は本部長の息子だし。

「それで……ずっと引っかかっとることがぎょーさんあってな、吉川さんに是非とも答え合わせ願いたいところなんやけど付きおうてくれるよなァ?」

これまで誤魔化して来たのをここで全て綺麗にしてしまおう。彼からの提案はわたしにとって、重すぎるものでもあるし心のどこかで待ち望んでたことでもあった。いつかは来ること。降谷さんには今回の件が片付いたらちゃんと話すように言われてたんだから、話すのは時間の問題だったわけだね。

「わたしの、昔話をした方が答え合わせしやすいでしょう?」

きっと色んな角度から推理して、ありえないと時には一蹴したくなるようなことも選択肢にいれて考えてたはず。その中で間違ったものを素早く消し去るにはこれが一番手っ取り早い。


*


乾いた風の強い日。久しぶりに会う親友と食事をしている時だった。これから本格的にどこかに潜入なんてしたら会えなくなる。大学卒業してから全然会えていなかったけど、それ以上に会えなくなるんだろうな。下手したら今後一生会えない可能性だってある。それをどう切り出そうかとモヤモヤしていた矢先のこと。大きな音と地震に似た揺れ、そして地鳴り。騒がしい店内が不安な声でいっぱいになるのも当然だった。

「ねえ紗希乃、何があったんだろう。すごい音だったけど、」
「すぐ荷物まとめて出よう。ここも危ないかもしれない」
「危ないって、何が起こったかわかるの?」
「わかんない。わかんないけど、ここも危ないことくらいはわかるよ」

音が大きさからして近場で何か起きてるはず。叫び声や狼狽えた声が店の外から聞こえてくる。わたしたちが席を立ちあがるのを見て、怯えていた周囲の人たちも次々と立ち上がった。店の外へ出るわずかな間に同じような音が数回響き渡る。外に出ると、熱を乗せた風が吹き抜けていく。数十メートル先にあるビルがものすごい勢いで燃えていた。

「逃げなきゃ、紗希乃!」
「待って落ち着いて!このまままっすぐ逃げると危ない。その先を曲がって斜めに離れよう」

追い風のせいで炎はわたしたちの方へと向かってきていた。風が弱い日なら十分に逃げられるけど、こうも強くちゃあっという間に追いつかれる。ちらちらと火の粉が逃げる先に舞っているのを顔に浴びないように走った。慌てた多くの人たちが道なりにまっすぐ逃げていく。ちがう、そっちは危ないよ。曲がりたくても、まっすぐ逃げていく人たちに揉まれて進めない。逆走するより、もう一本先で曲がった方が……くそ、こういう時はどうしたらいい?皆を誘導する?でも、この混乱してる最中に皆従ってくれるの?

「うわあっ!」

わたしの後ろを走っていた親友が転んだらしく、人ごみに紛れて姿が見えなくなった。人の流れに逆らって、なんとか彼女の目の前に辿り着く。そこには転んだ親友と、それに躓いたらしい一人の女の子が蹲っていた。火の手がさっきよりも近くに迫ってきている。

「大丈夫?!」
「ごめん、紗希乃」
「立てる?」
「あたしはなんとか…、でも、この子は足を捻ったみたい」
「ねえ、あなた大丈夫?足見せて、」
「痛たた…立てても歩けへん…」
「捻挫かな。わたしが背負うから、この子持ち上げるの手伝ってくれる?」
「う、うん」
「置いてって!あたし負ぶったらお姉さんたちまで逃げ遅れるやろ!」

置いていけ、とごねる女の子を背負うと足元に携帯が一台落ちてるのが見えた。そこから『どこ居るんや和葉ァ!!』と男の子の大きな声が機械越しに聞こえてきた。親友に携帯を拾ってもらって彼女に持たせる。そして、人を縫うように走り始める。

「っねえ、和葉って、あなたの名前?」
「うん。平次っちゅう幼馴染と一緒に逃げとったんやけどはぐれてもーて、」
「わたしにも聞こえるようにして電話でてくれる?」
「わかった!」
『おいこら和葉ァ!』
「平次!」
『和葉?!お前どこ居んねん!』
「転んで人に助けてもろてん。それで今負ぶってもろて逃げてるんやけど、」
『どの辺や?!』
「さっきの店から二つ目の信号あたりにもうすぐ、」
『オレも今から行くからな、その人らと離れるんやないぞ!』
「待って!こっちに来てはだめ!」
『何やて?』
「まだ人が多い!すれ違うくらいなら先で合流しよう!」
『合流言うてもアンタ道分かるんか?!声聞いた感じ関西人やないやろ』
「だから道を教えて。もう火の手はそこに来てる!」
「紗希乃、少し先にある川に飛び込めば……!」
『アホ!逆に川は危険やぞ!』
「よくわかってるね、川はダメ。で、さっき言った二つ目の信号を右折したいんだけど、その先はっ?!」
『右折してまっすぐ行けば大通りに出る!』
「これからそこを目指して右折するから、君もそっちへ向かって!」
『わかった!和葉を頼むで姉ちゃん!』

いくら中学生くらいの女の子だとはいえ、長い間背負い続けられるものじゃない。ずるずると背負った体が滑り落ちていくのを何とか背負い直す。あと少し……あと少し進めれば……何とかできるはず。

「和葉ちゃん。右折してしばらく進んだら、歩いてもらうけど頑張れる?」
「う、うん」
「でも紗希乃、火が飛んできたらどうするの?歩いてたら逃げられないよ」
「見た感じコンクリートのビルが並んでる。火の粉が飛んで来ても大きく燃え広がることはなさそう。それに一番近い幹線道路があそこなら燃え進む火の手の最前線に最も近いのがこの通り。運が良ければ途中で消防隊か救急車に拾ってもらえると思う」

相変わらず熱を帯びた風が吹き続けているけど、右折したおかげでビルが遮ってくれてるみたいだった。それでも普段感じることのない熱さに汗が止まらない。曲がって数メートル進んだ先で、崩れるように座り込んだ。やっぱり人を背負って走るのってきっついな。しかもこの空気の中だし。一人で走っていた親友もゴホゴホと咳込むようにしゃがんでいる。

「はあ、はあ……ここから歩こう。わたしたちで両肩を支えれば歩けるよね?」
「足手まといになってもーてごめんなさい、」
「大丈夫だよ!紗希乃がついてるから!」
「そう買い被られても困るんだけどー」
「何言ってんの。こっちはかなり驚いてんだからね、しばらく会わないうちに立派になっちゃってさあ」
「アンタはわたしの母親か」
「だって、紗希乃がいなかったらあたしたちここまで逃げて来れなかったよ」

本当に。と真剣な眼差しでこちらを見つめる彼女に思わず息を呑んだ。わたしの判断が間違っていなかったかどうかなんて今はまだわかんないよ。ここまでは逃げて来れたけど、この先助かるとも限らないし。喉がざらつくのが不快で一刻もはやくこの場から離れたかった。それでも、和葉ちゃんをまた背負って走るのは正直キツイし、二人で支えながら走るのも勘弁してほしい。わたしの考えが間違ってなければ、延焼を防ぐために大通りの方からも消防車が来るはず。火元にはもう到着してるみたいで、消防のサイレンが遠くから聞こえてきた。

「平次、こっち来る言うてたけど無事やろか」
「大通りの方で待ってるかもしれない。もう少しだから頑張ろうね、和葉ちゃん」

向こうから一人の少年がこっちへ走ってくるのが見える。おそらくあれがこの子の幼馴染かな。よかった、会えて。すこしホッとしたその時、後ろで誰かが転んだような音が聞こえた。振り向くと一人の男の人が蹲っている。手を貸そうかと、和葉ちゃんに声をかけて二人を座らせてからその場から離れた。

「大丈夫ですか?」
「…ったのに……まだ……、迎えくるって、……なんで僕だけ、」
「大丈夫ですか、お兄さん」
「うわああああ!!!」

手を差し伸べているのにずっと気付かなかったのか、わたしに気付いた男が突然焦り出し、わたしを払いのけて走っていく。

「何やのあの人!お姉さんが手伝ってくれはったのに!」
「紗希乃、大丈夫?」
「……」
「紗希乃?」

あの人、知ってる。どこかで見た。どこかってどこで?大阪は初めて来たのに。それも今日の昼に着いたから数時間しか大阪にはいない。さっきお茶をしていたカフェ?それでも、全身黒のあんな野暮ったい恰好をした人なんて……。だったら服装じゃない。見たことあるのは顔。どうしてこんなに引っかかるんだろう。思い出せって、頭の奥でガンガン音が鳴ってるような気がした。そんな時、とある組織に潜入中の上司の一人とのやりとりを思い出した。

『降谷さんは、顔や背丈の情報の他に何を注意して見ていますか?』
『そうだな……例えば"耳"かな。顔を隠して、耳だけが見えてるケースもあるし、顔の整形までは思いついても、耳まで頭が回らない人間も多いしね』


「……あ、」

そうだ。あの顔を見たことがある。それも、"画面越し"に。画像は荒いけど、あの鷲鼻、そして耳。あの男は横顔の写真もデータベースに登録してあった。わたしを払いのけて通り過ぎた時に見えたあの耳の形は、あの画像と同じだ。そういえばあの男の呟き、あれだけじゃ断定できないけど関西の人間じゃなさそうだった。『迎え』、『僕だけ』?さっき驚いていたのはわたしと会ったことがあるからではなく、"人が目の前にいることに驚いた"のだとしたら。"人に会ってはまずい"ことに関わっているのだとしたら……。蛇行しながら走り続けている男と、こっちへ向かっている和葉ちゃんの幼馴染がすれ違った。和葉ちゃんの隣りに座っていた親友がわたしの目の前に立っている。

「ねえごめん、わたし、」
「行っていいよ、紗希乃」
「え?」
「ごめん。行っていいよ、って言い方じゃ行きにくいね。あたしたちについててくれてありがと!もう大丈夫、なんとかなる!だから、紗希乃がやるべきことがあるなら迷わずに行って」
「うん……!」

親友が伸ばしてくれた手を取って、立ち上がる。

「ちゃんと、何かを守る警察官に紗希乃はなれるよ」

二人を置いて男の背を追った。途中ですれ違った色黒の男の子に声をかけられたけど、反応してる場合じゃない。あの男のデータが登録されていたのは東京エリアで活動している宗教団体のファイルだったはず。東京エリアは配属当初一番先に覚えたけど、あの団体は少し前にも開いた。そのタイミングは、わたしの教育係が変わった時。ということは今ついてる山中さんが担当している案件……。男の後姿を見失わないように走りながら、山中さんへ電話をかける。くそ、出ない。というかそもそもこのスマホはプライベート用だった。まだ配属されて間もないわたしにはまだ仕事用の端末は配布されてない。休日の何の実績もない新人部下からの連絡なんて優先順位なんか知れてた。警備企画課に直で連絡するしか……

「ふるや、さん?」

そうだ。降谷さんだ。二台持ちをしているのが組織にバレると怪しまれるからと、一台しか持っていないって言ってた。そして、その番号をこの前交換したばかり。潜入の話とかを知りたくて、困った顔の降谷さんから連絡先を半ば無理やり手に入れたんだった。降谷さんを通せば、潜入工作員からの緊急連絡用番号にかけてもらえるはず。お願い、出て。出てくれないと、わたし、

『はい、安室です』
「ふ、るやさんっ!」
『誰だ?』
「わたしです、吉川紗希乃っですっ」

息が切れて、煙を吸った喉はガラガラと汚い声しか出してくれない。

「大阪で、爆発事件が起きました。犯人と思われる男をひとり、追っていますっ。おそらくウチで調べていた『N』の会員です!」
『その男が犯人だという確証は?』
「心証でしか、ありません!ですが、相手は複数犯で被害は大きくなる可能性が……」
『それだけではこっちは、』
「わかってます!まだ信用できるような関係も、実績も、何もわたしは持ってません!だから…、だからお願いです、」

「今後一切信じてくれなくてもいいから、今だけはわたしを信じてください」




守る力をわたしに下さい

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