憧憬/降谷零


口が招いたいろんな災い


うす暗い会議室の壁に降ろしたスクリーンを眺めて、ひとり小さくため息を吐いた。

『ライター?車ン中探すんはえーけど、見てへんよ』

ついさっきしたやりとりを思い出す。一晩経ってから、はやめに大阪府警に顔を出して大滝さんにライターのことを聞いてみたけども大滝さんは持ってないみたい。それじゃあやっぱり寺にでも置いて来たかなあ……。スクリーンの脇に立ち、レーザーポインタで図を指しながら話しているのは府警公安部に所属している部下。いけないけない。集中しなくちゃ。公安部から数名、府警刑事課から数名。今回は合同調査という名目で集められた。

「当時、急速に勢力を増していた宗教団体……公安は捜査時に『N』と呼んでいますが、その『N』の末端構成員が暴徒化した結果、中規模の爆発および火災を起こし、その後は皆様の知る通り刑事課の手を借りることとなりました。今回合同調査のチームを発足させた理由に関して説明をして頂きましょう」

部下に話をふられて立ち上がる。刑事課から出てきている刑事は大滝刑事を含む数名。どれも血の気が多そうな男性で、見たことのある人もいれば初顔もいる。立ち上がったわたしを面白くなさそうに眺めている男性たちについつい冷ややかな視線を投げてしまっていたみたいで、隣りに立つ部下につっつかれた。えーい、笑顔だ笑顔。……そうだな、目指すは降谷さんの安室透ばりの嘘っぱち。

「……ご挨拶が遅れて申し訳ありません。警察庁警備局警備企画課の吉川紗希乃と申します。最終責任者が別件で立て込んでいるため代理として参りました、よろしくお願い致します。さて今回、先ほど説明のあった『N』の最近の動向に不審な点がありましてお集まり頂きました。」
「さっそく質問や」
「はい、どうぞ」
「公安と刑事課がわざわざ合同調査するっちゅうのに責任者が代理でええんか」
「ええ、問題ありませんが」

連れて来れるなら山中さん連れて来てるに決まってんでしょ。と胸の中に押しとどめて、無理やり笑顔をつくった。女と言うだけで不信感を抱くひと、若いというだけで舐めてかかるひと。どこにでもいるとわかってはいるけど、気分がいい物じゃない。この人の名前は何だっけな、府警の刑事課の何係だっけ……。

「やめーや。ええ年こいてみっともない!大体な、この人はとっくにお前さんより上やぞ。首飛ぶ覚悟あって言っとるんならこれ以上止めんけどな!」
「さすが公安サマですかぁ。……言うてもこっちに直接手出しできるわけないやろが」

大滝さんが庇ってくれたと思えば、その男は反省の色なしにぶつくさと文句を言ってる。そんなだから昇任試験通んないんでしょうが、と頭の中でこの男のデータを思い浮かべる。実績はそこそこあるのにあと一歩で昇級できない警部補。もったいないなあ。つい、最後の一言を口に出してたらしく、場の空気が一瞬固まった。あ、まずい。これって生意気だと思われるやつ。

「ええと、確かにわたしにはそちらの人事を動かす権限はもちろんありませんが、口は災いの元ですよ、とだけ言っておきましょうか。」
「っ…!」
「捜査の話に戻りましょう。宗教団体『N』は東京を拠点に活動しています。現在は我々公安の監視下にあります。例の事件で暴徒化していたのは末端構成員のみであると調べがついていましたが、また新たに暴徒化するおそれのある人物が浮上しています」

スクリーンに写真を数枚並べて映し出す。

「この4枚の写真を見てください」
「その4人が末端構成員や言うんか?その、左から三番目の男は去年 詐欺で逮捕状でてるはずや!」
「正確に言うと一人ですね」
「はあ?4枚並べて何を……」
「この4枚の写真は全て同一人物の写真です。正面からわかりにくいですが、耳の形が同じです。この男は三回整形手術を受けています。写真は整形前から現在まで。詐欺の逮捕状は高齢者が標的の振り込め詐欺でしたよね?奴は令状が出た後に名古屋で最後の手術を受けました。」
「そこまでわかっていて逮捕せんかったんか?」
「情報が揃ったのはつい先日です。それに、泳がせる必要があると判断した上で監視していました。暴徒化する可能性があると踏んだのは、別の組織の人間がこの男と接触していたためです」
「吉川さん、その組織はどういう組織なんや?」
「これはまた別件なので詳細は話せませんが、『N』よりも規模が広く、攻撃性は高いです。『N』のバックについたわけではないのでこの男と個人的に親交を深めているようですが、今後ないとも限りません」
「それで、どうしてわざわざ大阪でまた調査をすると?」
「この男は現在、大阪のとある土木建設会社に勤めているようです。そこの会長の生誕パーティが明日の午後に予定されています。また、そのパーティ中にその組織と接触するという話も掴んでまして。接触後、逮捕できればベストかと」

当日の配置や役柄は書類にまとめてある。読めばすぐわかるし、何よりこれは決定したプラン。彼らの意見で方向転換することはないから後は渡すだけ。各々読んでおくよう伝えて会議室を出た。会議室からガヤガヤと声が聞こえた。どーせ文句言って大滝さんに叱られてんでしょ。ポケットからスマホを取り出すと、新着メッセージが1件。

『準備はできたよ』

さっすが降谷さん!仕事はやいなあ。うまくいくといいけど……。通話アプリを開いて、キーパットで目的の番号を呼び出した。数コール鳴らしてから、やっと繋がる。

「もしもし。お尋ねしたいことがあるんですが……」

適当なライター買いに行こ。通話したまま公安部の廊下を歩きながら、ふと窓の外を眺めた。今日も空気は乾いてる。明日もきっと……、

「……ええ、それでお願いします。帰る前にまた連絡しますね」

*

チェーン店のコーヒーは西に来ようとも味は変わらないみたい。降谷さんの、というか安室さんのコーヒーが飲みたいな。一緒に大阪へ来てるとはいえポアロでの味を出せはしない。インスタントでも美味しく淹れられるのかもしれない、と思うのは降谷さんは何でもこなしてしまうからだった。もう少し不器用でもいいのに。そうしたら、背負うものがもっと少なくできる。なまじ背負えてしまうから荷物が増えていくんだ。そういや、わたしはどれくらい背負えるんだろう。そんなことを考え始めたら目を通していた書類の文字が滑る滑る。文字を追うのをやめ、腕を組んで、目を瞑ってみた。わたしが何か抱えようとしても降谷さんが横からひょいひょい手を伸ばしては掻っ攫っていく。容量一杯になる前に軽くなるから、わたしの限界がわからない。

「これって、良いことじゃないよなあ……」

うーん、と唸っていたところに大滝警部が現れた。大阪府警のとある会議室で一人腕を組んでいたわたしが不思議だったらしく、パチパチと瞬きをくり返している。

「何や悩み事ですか、吉川さん」
「まあ色々と……」
「普段秘密裏に動いてる分、色んな悩みもあるやろ」
「隠すのは得意なので平気ですよ」
「さっきもうちのモンがすまへんなあ」
「いいえ〜慣れてますよあんなの」
「慣れるっちゅーことは公安も大変ってことやな。警視庁に出向すれば女性刑事もおるしもう少しやりやすいんじゃ?」
「今のところは出向するつもりもさせられる様子もなさそうですね」
「ほー。刑事課には興味あらへんと」
「あはは」

大滝さんと会話しながら、書類を並べ直す。トントンと整えていると、大滝さんがわたしの持つ書類をじっと見つめてきた。

「なにか?」
「いや、明日のパーティーのゲストに呼ばれた府議会議員が少々気がかりでなあ」
「ああ、あまりよろしくない噂がありますね」
「やっぱし知っとるんですか、吉川さん」
「招待客は一応調べてありますよ。まあ、現行犯逮捕はできないでしょうね」
「二兎を追うものは一兎も得ずってわけや」
「そういうことです」

腕時計を見ると、ちょうどいい時間になっていた。そろそろホテルに戻ろう。降谷さんもホテルに戻っているはずだし。

「なあ、吉川さん」
「なんでしょう?」
「平ちゃん…、いや、服部平次に言わんでええんですか?」
「もともと本部長とそういう約束しましたし」
「あんなん口約束や」
「どのみち彼は自分で気付きますよ。探偵って皆とっても目敏くて行動的で困っちゃいます」
「身内に探偵でもるみたいな言い方やなあ」
「ふふ。本当、困りますよねえ」




口が招いたいろんな災い

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